一世一代の…… -4-

 小さなケース一個分のエサを与え終わると、抱っこタイムは終了となった。

 椅子から立ち上がったカサネさんは、そのまま天へ上っていくのではないかと思うようなふわふわした足取りで歩き出す。


「トラキチさん。モルモットを飼うためには何が必要ですか?」

「とりあえず、一度落ち着くことが必要だと思います」


 衝動買いするようなものではないんですよ、ペットというものは。

 まず下調べをして、準備を整えて、その上で本当に飼えるかどうか、最後まで責任を持てるかどうかを見極めて、それからです。

 そんな説明をすると、カサネさんは「おっしゃる通りですね」と理解を示してくれた。

 今止めないと、捨て猫を片っ端から拾ってくるような人になりそうだったので。

 自分のキャパは知っておかなければいけない。飼われる動物のためにも。


「会いたくなれば、また来ればいいですよ」

「そうですね。そうします」


 そう言った後、幸せそうに緩みっぱなしだったカサネさんの表情が、少しだけ曇った。


「どうかしましたか?」

「……いえ。なんでもないです」


 すげなく言って、ふいっと僕に背を向ける。


「トラキチさんも、何か抱っこされますか?」


 そうだなぁ。

 そこそこいい服を着ているので、動物の毛は気になるけれど……


「折角なので、抱かせてもらいましょうかね」

「では、アレなんかどうでしょう?」

「デカいですね!?」


『アレ』と指さされたのは、ポニーくらいはありそうな犬っぽい動物だった。

 黒く毛足の長い毛並みのせいで顔ははっきり見えないけれどどことなく犬っぽい。

 犬ならそこまで怖くはないと思うけれど、如何せん大きい。

 あのサイズだと、抱っこするというよりは抱きつくという感じになるだろう。


「戯れるトラキチさんを見てみたいです」


 戯れるって……


 体の大きさからか、その動物の周りには触れ合いを求める子供たちはいなかった。ちょっと遠巻きに見ている子たちはいるけれど。

 えっと、この動物の名前は……ペル?

 犬の名前でありそうだけれど、ペルという動物らしい。


「すみません。ペルの抱っこって出来ますか?」

「はい。とってもおとなしくて甘えん坊なので、是非抱いてやってください」


 係員さんがにこにことして、ペルの胴体を撫でる。

 それが遊びの合図なのか、ペルがこちらを向いて「ハッハッ」と息を弾ませ始めた。

 もふもふの毛で隠れてよく見えなかったけれど、ペルの瞳は黒くてつぶらで、遊んでほしそうにキラキラしていた。

 その表情がなんとも可愛くて、僕は両手を広げてペルの前に立った。


「ペル、おいで」

「ぺるぅっ!」


 うぉう、鳴き声が独特!?


 GOサインが出た途端、ペルが僕に飛びかかってきた。

 セントバーナードやゴールデンレトリバーよりも大きくて力強い。

 けれど、喜び方が犬に似ている。

 どこを撫でてほしいのか、なんとなく分かって、おなかの辺りや顔の横をわっしゃわっしゃと撫でまわす。

 ウチで飼ってた愛犬のタツキチが大好きだった撫で方だ。


「ぺるるぅ!」

「わぁっ、すごいです! ペルがこんなに懐くなんて、珍しいんですよ」

「そうなんですか?」

「はい。すごくはしゃいで……こんなペル、初めて見ました」


 どうやら、僕の『撫で技』はこっちの『世界』でも通用するようだ。

 初見の動物とも一気に打ち解けることが出来た。


 体は大きいけれど、係員さんが言っていたようにとてもおとなしい生き物のようだ。噛みついたり爪を立てたりするようなことは一切ない。

 力は強いが、あくまでじゃれついているだけだ。あは、甘噛み。


「カサネさんもこっちに来て、撫でてみませんか?」

「いいんですか?」

「もちろんですよ」


 体全身で喜びを表現しているペルが可愛くて、この可愛さを是非とも共有したくて、僕はカサネさんを誘う。

 とはいえ、カサネさんはドレスだから、あまりじゃれつき過ぎないように気を付けなきゃいけないな――と、思っていると。



 ふわっ。



 と、カサネさんの指が、僕の頭を撫でた。

 なでなで、なでなで、と、何度も僕の頭を撫でる。


 ……え?

 いや、あの……?


「……カサネさん?」

「よしよし。よしよし」


 片手で遠慮がちに撫でていたのが徐々に大胆な撫で方に変わり、ついには両手撫でへと変わる。

 大型犬の頭をわっしわっしするように、ダイナミックに僕の頭を掻き乱す。

 ……ついでに、僕の心も掻き乱されてますよ!?


「あ、あのっ、カサネさん!?」

「え? ……はっ!?」


 状況を把握したのか、カサネさんが両手を僕から離し、しばし硬直する。

 一体何を思って僕を撫でたのだろうか。

 まさか、ペルと僕を間違えたわけでもないだろうに……


「す、すみませんっ、ちょっと、間違えました」


 間違えてたぁー!

 とんだうっかりさんですね、カサネさんってば!?


「いえあの……あまりにも可愛かったもので、つい……」


 つい、見間違えたんでしょうか。

 確かに、黒い毛並みのペルと僕の髪の毛は似ていますけれども。

 見間違えるなんて……どんだけテンション上がってるんですか?


「すみません、整えますね」


 掻き乱されてもはもはになった僕の髪を、今度は丁寧に優しく撫でつける。

 指で梳くように、大切なものに触れるように、丁寧に丁寧に整えてくれる。


 ……さっきより一層掻き乱されてますよ、心が!

 なんかもう、恥ずかしいやら気持ちいいやらで、どんな顔をしてどこを見ればいいのか分からなくなる。

 ここが人前でなければ衝動的に抱きしめていたかもしれない。

 人がいてよかった。危うく犯罪者だ。


「あの、カサネさん、もうじゅうぶ……」


 もう十分ですよと言いかけた時、ペルが僕とカサネさんの間に割って入ってきて、おもむろに僕の顔を舐めた。

 べろんっと頬を舐められて、思わず「ぅひゃあ!」なんて情けない声が出てしまった。

 ……おのれ、ペル。僕に一体なんの恨みがあるというんだ。カサネさんの前でこんな情けない声を出させて……


 ぅぐぐ……と歯噛みしていると、係員さんがくすくす笑いながらペルの行動の意味を教えてくれた。


「ヤキモチを焼いたんですよ、この子。大好きな人が取られちゃうって」

「そうなんですか?」

「えぇ。担当飼育員に対しても似たような行動をよく取るんですよ。私に仕事を振る主任さんがよく吠えられています」


 楽しそうに笑って、係員さんはペルの頭を撫でる。「お客様の邪魔しちゃダメよ~」なんて言いながら。

 初めて触れ合ったお客さんに対して、ペルがこのような行動を見せるのは非常に珍しいのだとか。

「よっぽど気に入られたんですね」と言われて、ちょっと嬉しかった。


 そっか、気に入ってくれたんだ。

 ……師匠に相談して飼おうかな、ペル?


 そんな野望を密かに抱いていると、カサネさんがずいっと一歩接近してきた。

 手にはハンカチを握りしめて。


「拭きますね」

「あ、いや、大丈夫ですよ。犬を飼っていたのでこういうのは慣れていますし」

「拭きます」


 有無を言わさぬ力強さで、カサネさんが僕のほっぺたを拭き始める。

 ごしごし、ごしごしと、念入りに。入念に。執拗に。これでもかと。


「うふふ。お連れ様も、ペルと同じ気持ちのようですね」


 僕たちの様子を見ていた係員さんに言われ、急激に顔の温度が上がる。

 それって……カサネさんが、ヤキモチを? 僕に? 相手、ペルですけど?


「ダメじゃないですか……」


 僕の頬を拭きながら、カサネさんがぷくっと頬を膨らませる。


「お見合い中に、他の女性とそのような触れ合いをしては……」


 ペル、メスだったんだ。

 いや、それよりも、カサネさんにもお見合いという意識はあったようだ。それに驚いた。

 てっきり、上司命令で仕方なく一緒にいるのだと。適当に時間を潰して、時間が来たらサヨウナラなのだと。


 けど、もしカサネさんもこれをお見合いと思っていてくれているなら…………


「すみません。油断してました」

「へ?」


 責められていたので、とりあえず謝罪をしたのだが、カサネさんがきょとんとしてしまった。

 じっと見つめていると、首周りからじわ~りと朱が広がっていく。


「私……何か、口走っていましたか?」

「えっと……まぁ、その、多少は」

「忘れてください!」


 さっきまでほっぺたを拭いていたハンカチを僕の目に押しつけて、とたたっと、逃げていく。

 どうやら、無意識に言葉がこぼれていたらしい。

 つまりは、先ほどの発言は隠しておくつもりの感情から発せられたのだということで……




 萌え死んでいいですか?





 鼻の頭に引っかかり顔に残ったハンカチを手に取り、さも「今小動物を見ているので忙しいです」と背中で語っている風を装っているカサネさんに視線を向ける。

 まったく、この人は……


「善処します」


 絶対に忘れてやるものかと心に誓いつつ、前向きな言葉を口にする。

 善処するだけで忘れるとは言っていませんけどね。





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