一世一代の…… -1-
この『世界』の動物園がどんなところかと多少の不安はあったけれど、日本で見たような動物園と大差はなかった。
違いがあるとすれば、見たこともないような動物がたくさんいるというところくらいだ。
「あ……あぁ……私は、一体どうすれば……」
入園ゲートをくぐると、途端にカサネさんの落ち着きがなくなった。
このようなドレスで外へ出るなんて……と、難色を示していた顔はどこへやら、左右を見てどちら回りで見て回ろうかと真剣に悩み始めている。
一匹の漏れもなく、満遍なくしっかりと見て回るつもりなのだろう。
初っ端から張り切り過ぎると、あとでバテますよ。
入場ゲートを入ってすぐのところに設けられた大きな園内のマップを見る限り、この動物園の敷地面積はかなり広い。
そのマップによると、入場ゲートから左手側に少し進むと動物とのふれあいコーナーがあるようだ。
「カサネさん、右の方から見て回りましょう」
「それが、動物園のマナーですか?」
いえ。
いきなりふれあいコーナーに行くと、カサネさんがそこから動かなくなりそうだなって思っただけです。けど、たぶんそうなるでしょ?
「この園内マップをもらっていきましょう。簡単にですけど、動物の説明が載ってますよ」
「買い占めます」
「無料ですから、必要枚数だけにしてください」
見て回る用と持って帰る用があれば十分だろう。
僕も一つ持って帰ろうかな。チロルちゃんに見せてあげたい。
「これは今見て回る用で、こっちは持ち帰り用にします」
「そういうのは『有り』なんですか?」
「有りですよ」
「では、私も便乗させていただきます」
そう言って、園内マップを三つ手に取るカサネさん。
……便乗?
「……いえ、もう一つは、保存用です」
便乗と言いつつ、僕よりも多く持って帰るつもりらしいカサネさん。
真似をしつつも、自分流にカスタマイズすることは忘れない。
……こういうところが、若干姉に似ている気がするんだよなぁ。
好きなものに妥協しないところとか。
「じゃあ、行きましょうか」
「はいっ」
心持ち、語尾が跳ねるような返事。
一見すればいつもの冷静なカサネさんに見えそうだけれど、瞳がキラキラ輝いているし、若干口角が持ち上がっている。
バッと走り出さないだけ、ウチの姉よりも理性的だけれど。
ウチの姉は、こういう場所に連れてくると、誰よりも早く、そして誰の制止も振り切って駆け出すに違いない。
たぶんだけど、チロルちゃんもそんな感じだろう。精神年齢が近しいのかもしれない。
「トラキチさん。もし、私が動物に抱きつこうとしたら、必死に止めてください」
「たぶん止められないので、必死に自制してください」
「…………善処します」
確約をいただけなかった。
そんな風に、珍しく浮かれるカサネさんを見て、自然と口元が緩む。
あぁ、もう。可愛いなぁ。
「最初は、草食動物のエリアみたいですよ」
「イモムシやバッタなどですね」
「いえ、虫ではなく動物がいるはずです」
なんだろう、カサネさん、虫好きなのかな?
しばらく歩くと、馬に似た大きな動物が、囲われたエリア内を悠然と歩いていた。
「ライラという動物らしいですよ。背中に人間を乗せて、最高時速120キロで走れるんだそうです」
「すごいですね。私はライラを背中に乗せて、そんなに速くは走れません」
逆にする必要はないんですよ!?
乗馬の名手である暴れん坊な将軍様も、馬を背負って走ったことなんかありませんから。
それにしても、120キロはすごいな。
僕なら振り落とされそうだ。
「可愛いです……撫でてみたい」
「タテガミがふわふわしてそうですね」
「分かります! あぁいう枕があったら、きっと幸せです」
ふわふわに顔を埋めたいらしい。
その気持ち、分かります!
それからしばらく、ぷらぷらと園内を歩き、一つ一つの檻の前で割としっかり時間を割いて動物を観察し、初めて見る動物に目を輝かせるカサネさんをこっそり堪能した。
そして草食動物エリアが終わりに差しかかる頃、僕たちはそいつに出会った。
「見てください、トラキチさん! ウロゴンです!」
額に太くて立派な角を生やした牛のような動物。
それは先ほど、ランチに入ったレストランで食べたウロゴンだった。
こんな厳つい動物だったのか……草原で出会ったら一目散に逃げ出すな、僕なら。
「これがウロゴンなんですね……」
はぁ……と、口を微かに開けてウロゴンを見つめるカサネさん。
その大きさに、立派な角に、迫力満点の足音に、度肝を抜かれている様子だ。
「……美味しそうです」
「それ、水族館では定番のボケなんですけど……」
動物園では初めて聞きました。
「あの辺りがランプで、あの辺りがミスジですね」
「いや、部位は分からないですけど」
食に頓着しないと言っていたカサネさんだが、生きた牛を見て部位を思い浮かべるとは……結構食いしん坊なんじゃないだろうか?
「そして、あの辺りが豚バラ……」
「牛の体に豚バラは含まれてませんよ」
あれ?
もしかして……
「カサネさんって、結構天然ですか?」
「いえ、どちらかといえば養殖かと」
あ、天然だ。
真顔で養殖とか言ってる。
何を言われているのか分かってないのに、とりあえず分かった風な顔をしているだけだ、今この人は。
そうか、カサネさんは結構お茶目な人なんだ。
そして、結構な負けず嫌いなんだな。
神に仕える者として、失敗は認めにくかったりするのだろうか。
「カサネさん。ピザって十回言ってみてください」
「ピザ?」
「食べ物です」
「初めて聞く名前ですね。見たことがありません」
「こっちの『世界』にはないんですかね?」
「どうでしょう。ピザというものを認識していなかったので探そうとしたことがありませんでした。今度リサーチしてみます」
「もし見つけたら教えてもらえますか?」
「そうですね。可能であればご連絡差し上げましょう」
「お願いします」
「はい。……あ、トラキチさん。あっちに鳥がいますよ」
「ピザって十回言ってもらっていいですか!?」
危うくなかったことにされかけた!?
素晴らしきマイペースですね、カサネさん。
訝しむカサネさんを説得し、ピザと十回言ってもらう。
指折り数えるカサネさんを眺めて、自分の肘を指さして問う。
「ここは?」
「ヒザ?」
「ヒジです」
「…………ぷぅっ」
膨れたぁ!?
なにこの衝撃映像!?
可愛過ぎるんですけれども!?
「……ズルいです」
「いえ、僕のいた世界で流行っていた遊びでして」
「…………トラキチさんもピザって十回言ってください」
「いや、僕は引っかかりませんよ。自分で仕掛けたイタズラですから」
「………………ズルいです」
ほっぺたをぱんぱんに膨らませて僕を睨んでくるカサネさんは、異論を挟む余地もなく可愛くて、もっとからかいたくなってしまう。
もっとも、これ以上やるとヘソを曲げられそうなので我慢するけれど。
「……にやにやしないでください」
「すみません」
「――と言っている顔が笑ってますよ」
「すみません」
ごめんなさい、顔、戻りません。
負けず嫌いなカサネさんが、なんだか意外でもあり、そういえば「布団が吹っ飛んだ」を緊張を解すおまじないだと勘違いしていたことを頑なに認めなかったなと思い出し、もう全部ひっくるめてカサネさんらしいと思えてきた。
「要するに、ややこしい言葉を先に言わせて、勘違いを引き起こすような出題を行えばいいわけですね……」
今から新たな引っかけ問題を作ろうとカサネさんが真剣な顔で考え始める。
何か思いついた暁には、素直に引っかかってあげよう。こんなに真剣なんだもの。
ただ、わざとらしくないようにしなければ。わざと引っかかったと知られれば、カサネさんはきっともっと不機嫌になりそうだ。
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