翼をもがれたわけ -5-

「天界に帰った途端、私は神のイカヅチに打たれ、そのまま地上へ墜とされました」


 イカヅチが燃え移り、あっという間に翼が燃え尽きたという。


「翼と共に、使徒としての力がどんどん抜けていくのが分かりました。同時に、このまま墜落すれば助からないということも」


 翼さえあれば、天界から墜落しても怪我すらしないらしいが、カサネさんは翼と力を失った。

 この『世界』にいるということは、つまりそういうことなのだと理解しているはずなのに、心臓が嫌な軋みを上げる。

 願わずにはいられない。


 カサネさん、死なないで……っ!


「まだ微かに使徒の力が残っていたおかげで、即死は免れました。けれど、時間の問題でした」


 全身を強く打ち、大量に出血し、万が一にも助かる見込みはない。そう理解するのは容易だったと、カサネさんは言う。

 もしかしたら、少しでも苦痛にもがき、絶望の中でおのれの行動を悔いて朽ち果てろという神からのメッセージなのではないかと思えたそうだ。


「後悔、しましたか?」

「いいえ」


 さらりと答え、満足そうに笑みを浮かべる。


「村の人々が、私を取り囲み、口々に感謝を述べてくれたんです」


『あなたのおかげで生きながらえた』

『あなたは命の恩人だ』と。


 そして。


『我々を庇ったせいで……。申し訳ない』と、謝罪されたらしい。


「私の足に頭をこすりつけていた子犬が、今度は私の顔をぺろぺろと舐めたんです。とてもくすぐったくて、少しだけ臭かったんですけど、すごく満たされて……あぁ、助けられてよかったと、思ったんです」


 満たされた気持ちでまぶたを閉じたカサネさんは、そのまま『世界』の統合に飲み込まれた。

 そして、あの小さな所長さんに拾われたのだそうだ。


「戦場ではない場所に自分の居場所が与えられ、私は、以前の世界で叶わなかったことをやってみたいと思いました」


 前の世界で、最後の最後に感じた満たされた気持ち。

 それを、新しい世界でも――


「私は、誰かを幸せにするために生きようと、誓ったのです」


 そうして、カサネさんは僕のよく知るカサネさんになったのだ。

 誰かを幸せにするため。その思いは、接しているとひしひしと感じる。

 カサネさんの中にあるのは純粋な奉仕の精神。

 見返りを求めず、ひたすらに相談者の幸せを願って行動する姿は、まさに今カサネさんが口にした生き様そのものだ。


「もっとも、それが実行できているとは思えませんが」

「そんなことないです」


 カサネさんは、頑張ってます。

 僕なんか、何度も救われてます。


「僕は、カサネさんに出会えてよかったと思っていますよ。カサネさんの優しさに、何度も救われてます」

「そう言っていただけるのは光栄ですが、私は、別に優しくなど……」

「僕の目には、とても優しい人に映ってますよ」


 僕が暴走した時に止めてくれて、その後で諌めてくれる。

 そんなの、優しくないと出来ないでしょ。見て見ぬ振りするのが、一番楽なんですから。

 衝突を恐れず意見してくれる。そんな人が、どれほど大切なのか、僕は理解しているつもりです。


「……不思議ですね。トラキチさんにそう言われると、素直に受け止められる気がします」


 謙遜ではなく自己否定に似た感情で「そんなことはない」と思っていたが、今は「そう思ってもらえてよかった」と思える――と、カサネさんは言う。

 カサネさんが、カサネさん自身を認めてくれてよかった。

 すごいんですよ、僕の担当相談員さんは。……なんて、ちょっと胸を張ってしまいそうになる。


「トラキチさんに聞いていただけてよかったです。あの世界での自分の行動が間違っていなかったと、今日、確信が持てました」


 神の意志に背いた罪悪感、遠く力が及ばなかった無力感、そんなものがずっと燻ぶっていたのだという。

 もしかしたら、自分の考えこそが利己的で徹底的に間違っていたのではないかと、時折不安になることもあったそうだ。


「カサネさんが自分で考え、自分で行動した結果多くの人が救われたんですから、誇っていいと思いますよ」

「そう、でしょうか……まだ、自信は持てませんが」

「可愛い動物も、たくさん救われたでしょ?」

「そうですね。神の意志に背いてよかったと思います。今、思いました」


 よほど顔を舐められたのが嬉しかったらしい。

 その時間を生み出したのは、カサネさんの行動なんですよ。


「ただ、一つだけ後悔があるんです」

「なんですか?」

「あの子犬を、抱っこしておけばよかったです」


 神の意志に背いてすべてを奪われた使徒の後悔が、子犬を抱っこできなかったことですか。

 なんともカサネさんらしくて――



 いいなぁ。



 ――と、思った。


「では、この後いいところにご案内しましょう」

「いいところ、ですか?」

「はい。チロルちゃんにおねだりされていて、以前リサーチしたことがあるんです」


 きっとカサネさんなら喜んでくれるに違いない。


「この街の北側に、動物園があるんです」

「動物園?」


 そこそこ大きく、ちょっとした触れ合い体験も出来るという家族連れに需要がありそうな動物園だ。

 たくさんの動物を見て、小動物と触れ合えば、きっとカサネさんが笑ってくれる。

 オシャレなレストランで会話を楽しむのもいいけれど、僕はもっとカサネさんの笑顔を見たい。


 そんな思いをこめて笑みを向けると……


「この服装で、大丈夫でしょうか?」

「あ……ぅ」


 見るからに高そうなドレスを身に纏ったカサネさんが、困ったように首を傾げた。

 ……やっぱ、多少汚れる、よねぇ? 動物の毛とか……


 ……この『世界』に、コロコロとか、ないかなぁ?






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