翼をもがれたわけ -4-
「私が向かった村は、とても小さく、人間よりも家畜が多いような田舎でした」
神の指令を受け、地上へ降り立ったカサネさんは、そこで慎ましく生きる人間を見たのだという。
「それが、私が初めて見た人間でした」
「それまで地上に降りたことはなかったんですか?」
「お恥ずかしながら、私は武術に疎く、戦闘能力が著しく低かったのです」
片手で大男を捻り上げていたカサネさんの戦闘能力が低い!?
目にも留まらぬ速度で移動して、僕に迫る凶刃を防いでくれたカサネさんが!?
なんだかんだでダンジョンからの帰り道、しっかりと僕を守ってくれたカサネさんが!?
インフレの酷いバトルマンガの世界ですか?
というか、そんな好戦的な神々とカサネさんのイメージがまったく噛み合わない。
本当にカサネさんはそんな神の使徒をやっていたのだろうか?
神を敬わない姿勢からも分かるように、カサネさんはその世界の神々とは相容れない思考の持ち主だと思うんですが……
カサネさんはもっと優しくて、もっと思いやりがあって、とても穏やかな人だ。
戦争が絶えない世界で神の尖兵をしていたとは、とても思えない。
何か、カサネさんの意識を塗り替えるような出来事があったのだろうか。
「ようやく一人前と認められ、初めて遣わされた地上の村で、私は運命の出会いをしたんです」
それはもしかして、カサネさんを変えた運命の人?
初恋の相手、なのだろうか。
その人に出会ったことで、カサネさんは今の穏やかな心を持つようになった……とか?
うぅむ……それはなんというか、ちょっと……聞きたくない話かも……
「私はそこで初めて見たんです。犬を」
「……犬?」
「はい。大きな犬でした」
若干、カサネさんのテンションが上がる。
犬……ですか。
家畜が人間より多いような田舎なら、牧羊犬的な飼い犬がいても不思議ではないですが。
「もふもふでした。オマケに尻尾がパタパタしていましたっ」
力強く拳を握り、瞳をキラキラ輝かせている。
ほっぺたは薄く上気して桃色に染まっている。
カサネさん、動物好きなんだ。
「おそらく、個対個で戦えば犬の方が人間よりも強いでしょう。けれど、犬は人間を主と認め従順に付き従っていました。あれこそ、正しい主従の関係だと、私は思いました」
神と自分たちの関係は歪であると、その当時のカサネさんは思ったのだそうだ。
「あと、他にももこもこした動物がいっぱいで、みんなとても可愛かったです!」
カサネさんの中では、神と使徒のあり方よりも動物の可愛さが重要なようだ。
瞳が力強い。
「あの日以来、私は動物が大中小問わず大好きで、ことあるごとに飼おうと試みているのですが、なかなか条件が揃わず、ままなりません……」
しゅんと項垂れるカサネさん。
そんなに好きなんですね、動物。
ネコカフェとか連れて行ったら大喜びしてもらえそうだ。
「降り立った私を見て、他神の臣民たちはすべてを悟ったようでした。みなが私の前に跪き、慈悲を求めたのです。子や老人たちが苦しまぬように、と」
命乞いは無意味であると、その世界の者たちは当然のように理解していたらしい。
神の意志に逆らえるはずがないのだと。
他の神の臣民になった者たちを受け入れる神はいないのだそうだ。
仮に受け入れられたとしても、人間としては扱われず、家畜以下の酷い処遇が待っているため死を選ぶ方がマシだというのが、その世界の常識らしい。
なんて恐ろしい世界なんだろう。僕には耐えられそうもない。
「他神は邪神、その臣民は邪教徒と教えられてきた私は、その村人たちを見て驚きました。もっと足掻き、みっともなく泣き叫び、命の灯が尽きるその瞬間まで呪詛の言葉を吐き出し続けるものだと思っていました」
カサネさんは一度見たことがあるという。
神の怒りに触れ、街ごと滅ぼされた臣民たちの末路を。
自らに仕える臣民であっても、逆鱗に触れれば容赦なく処罰する。それが当たり前の世界。
臣民たちは最後の瞬間まで神に慈悲を乞い、涙と悲鳴を撒き散らして散っていったのだという。
「聞いていた話と違いました。見てきた者たちとも違いました。そこで私は初めて、神が口にする言葉はすべてが正しいわけではないのではないかと、疑問を抱いたのです」
これまでは、言われるがままに行動し、それが間違っているかもしれないなんて疑いもしなかった。
すべては神の意志であり、神の意志は絶対的に正しく、正義であると思っていた。
けれど、カサネさんは疑問を抱いた。
「私は、もう一度村人たちを見渡しました。恐怖に顔を歪める者、絶望に震える者、声を殺して泣いている者。けれど、その誰もがまっすぐに私と対峙していました」
そこでふと、カサネさんが頬を緩める。
「その間ずっと、小さな子犬が私の足にすりすりと頭をこすりつけていました」
飼い主の気も知らないで、ワンちゃんはのんきだね!?
「尻尾がぱたぱたぱたぱたしていて、とても可愛かったです」
そうなんですか。
けど、なんでしょう、こう……村人全員の命がかかっている場面なので、そっちが気になって完全に和みきれません。
「それで、カサネさんはどうしたんですか?」
「抱っこしたい気持ちをぐっと我慢しました」
「いえ、犬に対してではなく、その村人たちに!」
カサネさんも空気を読んで犬と戯れることはしなかったようだ。
えらいですよ、カサネさん。……いや、普通か。
「私は思ったんです。動機は何かと」
「動機、ですか?」
「はい。私に与えられた指令には、神がそれを行おうと思った動機がありました」
「別の神に勝つため、ですよね?」
「そうです。ですので、神が戦争で勝ちさえすれば、私の行動の成否は関係なくなるのではないか、と」
もともと、神威も領土も数段劣る相手なのだ。
家畜よりも人間の数が少ないような村からの信仰など、あってないようなものだ。
「ですので、私は彼らに身を隠すように伝えました」
村人に説明し、神々の戦争が終わるまで隠れているようにと、カサネさんは臣民たちに伝えたらしい。
そして、神の目を欺くために、人と家畜がいなくなった村を一つ破壊した。
「嫌な気分でしたね。誰かの住処を壊すというのは。その時は、自分が抱いた感情がなんなのか、理解できなかったのですが……今にして思えば、不愉快だったのだと思います」
住む場所を奪われた村の人たちは大変だろう。
けれど、神の意志に唯々諾々と従う使徒でありながら、自分の意志で人々を救おうとしたその考えは、素直に賞賛できる。
ただ、その結果が……
「それで、カサネさんは翼を奪われたんですか?」
「はい。天界に戻ってみたら件の神との戦争は終わっていて、案の定私が仕えていた神が勝利していました」
それで終わると思っていた。
しかし、神はすべてをお見通しだった。
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