翼をもがれたわけ -1-
『本日、友人が一大事のため
まことに勝手ではございますが、お休みさせていただきます』
本当にごめんなさいなの!!
トカゲのしっぽ亭 店主』
そんな張り紙を見つめ、僕とカサネさんはしばらく呆然と立ち尽くしていた。
昨日に続いての臨時休業。
……間が、悪いっ!
いや、本当に、間が悪いにもほどがありませんか?
「僕、なんだか一生このお店に入れない気がしてきました」
「普段はそんなことないんですが……、トラキチさんと一緒の時は100%開いていませんね」
「すみません! きっと僕のせいです!」
「いえ、そんなつもりで言ったわけでは。ただの客観的事実、統計データを述べたに過ぎません」
その統計が指し示しているような気がするんです。
間が悪いのは僕だ、と。
「ベーグルが殊の外大好きというわけではないんですが、……意地でも食べたくなってきました」
通おうか? 明日から毎日。この店に入れるその日まで。
「そうですね。味はピクニックの時に確認していただいているので大丈夫だと思いますし、店内の雰囲気も落ち着いていてとても居心地がいいので、是非一度行ってみてください」
お一人で、……って、ことだよね、その言い方は。
まぁ、分かっていることではあるんだけど……
カサネさんと出かけるのは、今日が最後なんだなぁ。
「では、別のお店を探しましょう」
後ろ髪を引かれる僕とは違い、カサネさんはさっさと踵を返して歩き始める。
確かに、閉まっている店の前でどんなに粘っても意味はない。
早く移動して会食できる場所を確定させる方が合理的だと、カサネさんはそう考えたのだろう。
お見合いの場所を決めるのも、相談員さんの仕事だしね。敏腕っぷりは、退職しても色褪せないということか。
あと、なんとなくだけど、ドレス姿をあまり見られたくなくてさっさと室内に行きたいのかもしれない。そんな気がする。
たぶん、そう大きくはハズレていないはず。
前回とは違う道を歩き、しばらく進むとオシャレなお店があった。
隠れ家的な、シックで落ち着いた大人の雰囲気が醸し出されている店構え。
店の前も綺麗に整えられており、飾られた薄桃色の大振りな花から甘い香りが漂ってきている。
学習したことを生かすチャンス!
「カサネさん、このお店にしてみませんか?」
店の前まで手入れが行き届いているのは、店員のしつけが行き届いている証拠。
前回はカサネさんチョイスでお店に入ったけれど、今回は僕が選んでみる。
「そのお店でも、別に構わないのですが……」
店を見つめ、こちらを窺うような表情でカサネさんが言う。
「このお店は、極めて薄着な女性が男性客に密着しながらお酒の酌をするお店ですので、二人でお話をするにはあまり向かないかと思われます」
「別の店にしましょう! さぁ、行きましょう! 早く行きましょう!」
大人の雰囲気がリアルに大人過ぎた!
求めてるの、そーゆーんじゃない!
隠れ家的な雰囲気? そりゃそうでしょうよ! おおっぴらに出入りするお店じゃないんですから!
「表の花壇に植えられていた花は、生命力を増進させる効果があるらしく、こういったお店の前にはよく植えられていて――」
「ものすごく勉強になりました! 二度と、あの花が植えてあるお店にはお誘いしません!」
顔全体が熱い熱い。耳の先までホットホットだ。
「お嬢さん、オイラに触れると火傷するぜ?」を、物理的に可能にしそうなほどに全身が熱い。
カッコつけて、覚えたてのテクニックを披露して、……女性をそーゆーサービスのお店に誘うなんて……
「穴があったら入りたいです……」
「…………掘りましょうか?」
いえ、物理的な要求ではなくて。
……なんだろう、「お願いします」って言ったら、文句一つ言わずに掘ってくれそうな雰囲気がありますね、今のカサネさん。
「……慣用句です。ものすごく恥ずかしくて、隠れてしまいたいという意味の」
「そうなんですか。覚えておきます。えっと……『穴を掘ったら人を埋めたい』、でしたか?」
「違います!? それはほのかに事件の香りがします!」
真夜中の山中で人一人が入りそうな大きな穴を無表情で掘っているカサネさんを想像して、ちょっと背筋が冷えた。
勝手な想像してごめんなさい。
「トラキチさんのいた世界には、面白い言葉や習慣がたくさんありますね」
「カサネさんの生まれ故郷ではそういうのはないんですか? 慣用句とか」
「慣用句、ですか…………『はっ、仰せのままに』、とか?」
「それは、定型文……です、かね?」
ものすごく権力のある人の下についたら、それ以外の言葉は許されないとかありそうだ。
外国のレンジャー部隊では、どんな無茶な要求であっても「イエッサー!」以外の返事は認められない、そんな厳しいルールがあるみたいだし。
「う~ん……これといって思いつきませんね。トラキチさんはもっと他にも知っているんですか? その慣用句というものを」
「いろいろありますよ。喉から手が出るとか、顔から火を吹くとか、ヘソで茶を沸かすとか」
「なるほど……魔力、ですね?」
「違います」
慣用句ですって。
僕はそれぞれの慣用句の意味を教えつつ、どんな時に使うのか、その例文も交えて説明をする。
「面白過ぎると、おヘソでお茶が沸くんですか……」
「笑い過ぎてお腹が熱くなるくらい可笑しいってことでしょうね」
「なるほど、興味深いです」
瞳をきらめかせ、カサネさんが胸元を触る。
大きく開いた首筋から胸元へかけて、指先が這うように滑って、ちょっとドキッとさせられる。
目の毒だ……
「ノート、ないんでした」
いつも、お見合いの時はノートを持ち歩いていたカサネさん。
今日はそれがないと、少し残念そうな顔をする。
こういう、ちょっと気になったことなんかを書き留めていたのかな。
「もっといろいろ教えてほしかったです」
「いいですよ」
「けど、きっと全部は覚えられません」
「心に残ったやつだけ覚えておけばいいんですよ」
別にテストに出るわけでもない。
気楽に聞いてくれればいい。
僕は思いつくままに慣用句を並べ立て、その意味と例文を挙げていった。
カサネさんは楽しそうに話を聞いてくれて、気になった言葉は何度か口に出したりしていた。
「尻の毛まで抜かれる……尻の毛まで抜かれる……尻の毛まで抜かれる……」
「すみません。もうちょっと他の言葉にしませんか、口に出すの……」
流れで教えてしまいましたけれど、そんな連呼するものではないです。
僕は急いで、もう少し響きの綺麗な慣用句を次々口にしていった。
そうして、おしゃべりをしながら歩くうち、「このお店はどうですか?」と、カサネさんが一軒のレストランの前で立ち止まった。
話をしながらも、よさそうなお店を探してくれていたらしい。
僕、しゃべるのに夢中になってて、お店なんかまったく見ていなかった。……ダメだな。エスコート下手過ぎる。
「すみません。また決めてもらっちゃって」
「いえ。たいしたことではありません。それよりも、いろいろな言葉を教えてもらって、こちらこそ感謝の気持ちでいっぱいです」
僕はつい謝っちゃうんだけど、カサネさんは感謝の言葉をくれるんだな。
そういうところこそ見習わないと。謝罪って、もらう方も困るかもしれないしね。
僕だって、どちらかというと「すみません」より「ありがとう」と言われた方が嬉しい。
二人一緒に店へと入り、店員の案内に従ってテーブルへ向かう。
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