未知数な彼女 カサネ・エマーソン -3-

 朝食より随分早い時間に起き出してきた師匠に見つかり、「お前よぉ……」と苦い顔をされ、朝食を早めに取らされ、「遅れないように行った方がいい」と玄関まで見送られた。


「悪いな。もうお守りはねぇんだ。気を付けろよ」


 そんな言葉と共に心配そうな顔を向けられた。

 師匠の銀の腕輪は僕が壊してしまった。なのに、そんな僕のことを心配してくれる。


「大丈夫ですよ」


 せめて少しでも安心を与えたくて、根拠はないけれどそんな言葉を告げて僕は工房を出発した。

 今からゆっくりと向かえばちょうどいい時間に着くだろう。

 ……あれ?

 僕って、いっつも約束の時間ぴったりに行こうとして結構早く着いちゃうんだっけ?

 …………ってことは、生着替えが……っ!?


「……もっとゆっくり行こうかな」


 けど、遅刻とか絶対ダメだし…………あぁ! 日本での『遅刻絶対悪』感覚が今だけは恨めしい!


 早く行くべきか遅くするべきか悩むうち、僕は相談所にたどり着いてしまった。

 さすがに来慣れた場所だけあって迷うこともなかった。


「……まさか、本当に生着替えをしているワケ、ない……よね?」


 さすがに冗談だろうと必死に自分に言い聞かせ、僕は相談所のドアを開いた。

 中に入ると、カウンターに腰を掛けている幼女がいた。

 僕を見つけるとカウンターから飛び降りて、弾むような足取りでこちらに向かってくる。


「よく来たね。時間ピッタリだ!」


 ピッタリかよっ!?

 くぅ、こんな日に限って……!


「おやおやぁ~、随分と残念そうな顔だねぇ~? ん~?」

「い、いえ、決してそんなことは……」


 いけない。

 どうやら心の奥底にしまっておくべき感情が顔にちょっと漏れ出たらしい。

 懸命に顔を逸らしておく。


 すると、カウンターの向こうの方で扉が開く音がした。


「所長、これは一体どういう冗談ですか。それとも嫌がらせですか? こんなひらひらした服を私に……」


 文句を言いながら奥から姿を現したのは、『ちょっとしたパーティーで着られる』なんて謳い文句で販売されていそうなスタイリッシュなドレスを纏ったカサネさんだった。

 首回りが大きく開いていて細く長い首がすごく目立ち、スレンダーな体のラインがくっきりと浮かぶようなシルエット。光沢のある柔らかそうな布地はシルクだろうか。とても大人っぽくて、どことなく色香を感じさせる。

 ただ、大人っぽいだけではなく、肩口にゆったりとしたフリルがあしらわれていたり、腰付近に目を引くリボンがついていたりするので可愛くも見える。


 いつもきちっとしたスーツばかりだったカサネさんの、見たこともないような格好に思わず見惚れてしまった。

 数秒、呼吸の仕方を忘れたほどに。


「カ、サネ……さん?」


 そんなオシャレをして、一体何事ですか? 何かあるんでしょうか?

 そんな疑問を投げかけたかったのだけれど、言葉が出てこない。

 疑問符が脳内を埋め尽くしているのに、今まさに僕の口から飛び出してしまいそうな言葉は――



『すごく、綺麗です』



 ――言えるはずがないので必死に飲み込みましたけども!

 口にした途端、顔から火が出るのは火を見るより明らかだから。


 カサネさんも事情を把握していないのか、僕を見つめたまま動きを止めている。

 一時停止した映像のように、中途半端な位置で腕や足が止まっている。

 ……え? 誰にも詳細話してないんですか、あの幼女?

 っていうか、今さっき『所長』とか言いませんでした?

 え、所長なんですか?

 いやそれよりも、この後、僕、どうしたらいいんですか?


 まったく分からないので、固まった筋肉を無理やり動かして所長だという幼女へ視線を向ける。

 それに合わせるように、カサネさんの首もぎしぎしと軋むような動きで所長さんへと向く。


 僕たち二人の視線を浴びて、所長さんは「うむ」と満足げに頷いた後で、胸を張って宣言した。



「じゃ、あとは若い二人に任せて」



 いや、ちょっと待って!?

 なにやりきったみたいな顔してんですか!?

 えっ、どこ行くんですか!?

 僕たち置き去りですか!?

 バタン……って、ドア閉めました!?

 状況が把握できてないんですけども!?

 ちょっとぉー!

 所長さん、カムバーック!



 ……しかし、待てど暮らせど所長さんが戻ってくる気配はない。

 どーすんです、この後?


「えっと……カサネさん」

「は、はい」


 僕の呼びかけに肩を震わせ、こちらを向くカサネさん。

 途中、自分の首回りが大きく露出していることを思い出したのか、恥ずかしそうに肩を寄せて身をかき抱く。


「あまり、見ないでください……似合っていませんので」

「そんなことないです!」


 似合ってないわけがない!


「素敵です! 普段と全然違って見違えたというか……あ、いえ! 普段の服装もとっても似合っていて素敵なんですが、今日のドレスは、その…………綺麗、だと、思います」


 あぁぁぁあああああ……結局言っちゃったよ、「綺麗」って…………

「は?」とか、ドン引きされたらどうしよう……いや、カサネさんはそういうこと言わない人だけど、でも困らせたかもしれない……僕に綺麗とか言われてもって感じで…………


「さすがですね」


 テンパって妙なことを口走った自分を責めていると、カサネさんが小さな声で呟いた。


「女性がオシャレをしていれば、まずはそれを褒める。女性に対する紳士的なマナーがしっかりと身に付いていますね、トラキチさんは」


 これまでと変わらない、相談者と担当相談員。そんな雰囲気で言葉をくれる。

 ただ、いつものような冷静なすまし顔ではなく、どんな顔をすればいいのかを悩んでいるように苦笑が浮かんでいる。


「けど、度が過ぎるお世辞は嘘になる危険がありますから、ほどほどが一番ですよ」


 懸命に笑おうとしているらしいカサネさん。

 その耳が真っ赤に染まっていた。

 あらわになっている首も、じんわりと赤みを増している。


 ……これ、カサネさんが照れた時の顔なんだ。


「くすっ」

「はぅっ!? な、何が可笑しいんですか?」

「カサネさんでも取り乱したりするんだなぁと思いまして」

「と、とりっ……、取り乱してなんて……別に、私は…………普通です」


 ツンとアゴを上げてそっぽを向くが、そうすることで真っ赤な耳が余計に目立って見える。


「耳が赤いですよ」

「ふぐぅ!」


 指摘すると、バッと両手で耳を押さえ、「むぅ~!」っと可愛らしく僕を睨む。

 ……わざとですか、カサネさん。可愛過ぎでしょ、それ。

 込み上げてくる笑いを必死に堪える。ここで吹き出せば、きっともっと怒られる。

 口を押さえて、小刻みに揺れる肩をなんとか黙らせる。


「わ、笑い過ぎです」


 非難がましい声を聞いて、一層笑いが込み上げてくる。

 カサネさんの意外な一面を見られて、とても得した気分だ。


「こほん……」


 無理やりに空気を変えるように、カサネさんが咳払いを挟む。


「それで、本日はどのようなご用件で?」

「へ?」


 どのようなって……僕はただ、来いと言われて来ただけなんですが?


「カサネさんは、何か聞かされていないんですか?」

「私は、本日相談者様と会って、話をするようにと」


 え?

 ……面談?


「えっと、……退職したんですよね?」

「はい。昨日」

「…………なのに、面談ですか?」

「『面談ではない』と言われました」


 ん?


「……えっと。何を考えてるんですかね、さっきの幼じょ……所長さんは?」

「それは、誰にも分かりません」


 おそらく本人にも分かってないのでしょうと、カサネさんは呆れたように息を漏らす。

 ……大変ですね、そんな人がトップで。


「トラキチさんはどうしてこちらへ? あのロクデナ……所長に呼ばれてこちらへ?」


 ちょっとカサネさん。

 今、なんて言いかけました?

 ……カサネさん、社内では結構毒吐く方なんですか?


「えっと、僕は、今日お見合いをすると言われまして」

「……いつ、ですか?」

「昨晩です。夕飯の時に」

「……夕飯時に押しかけて、昨日の今日でお見合いを?」

「えぇ。戸惑いましたけど、師匠たちにも行った方がいいって言われまして」

「そうですか……ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「カサネさんが謝ることじゃないですよ」


 深々と頭を下げるカサネさんに気にしないよう伝え、顔を上げてもらう。

 顔を上げたカサネさんは頬を押さえて「はぁ……」とため息を吐く。


「もう退職していて、荷物をすべて持ち帰ってしまったことが悔やまれます……。トラキチさん」

「はい?」

「先の尖った鈍器のような物をお持ちではないですか?」

「そんな物所持してたんですか!?」


 持って帰ったことが悔やまれるってことは、ロッカーとかに常備してたのかなぁ!?

 ダメですよ、カサネさーん!?

 なんとか踏みとどまってー!


「ちなみにですが、トラキチさん」


 なんとか気持ちを切り替えたようで、カサネさんがいつもの冷静な表情で僕を見上げてくる。


「お相手の方に関して何か伺っていますか?」

「いえ、何も」

「そうですか……」


 細いアゴを摘まんで、カサネさんが少し考え込む。


「お相手がどのような人物かは分かりませんが、私にまでこのような格好をさせたということは、相応の方がお相手であると予測されます。ドレスコードがあるお店でのお見合いである可能性がありますね。それも、かなり格の高い方であると予測されます。私が着ているドレスがかなり質のいい物ですから。お見合いの主役がこれ以下のドレスであることは考えにくいんです。でも、これ以上の質のドレスとなるとかなりの高級品になるはずです。そのようなドレスを身に纏えるような御方がお相手であると考えるのが妥当だと思います」


 そのような予想を立て、僕に聞かせるように述べるカサネさんだが……僕の中ではそれとはまったく異なる別の回答が浮かんでいる。

 つまり。


「あの……、カサネさんがお相手、という可能性は?」

「…………………………へ?」


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