その一言ですべてが報われる -2-

『私の幸せが虎吉の幸せになりますように。私の幸せが家族の幸せになりますように。世界一幸せな私がみんなに幸せをお裾分けしてあげよう。家族の幸せはみんなの幸せだよ。ハッピーになろうぜマイファミリー! ……なんちゃって』




 ――そう書かれた紙が折りたたまれて入っていたのだそうです。


「姉の字でした。『何書いてんだ』って笑ったんです。笑ったつもりだったのに、涙が、止まらなくて……」


 そう言ったトラキチさんの瞳から、静かに涙が流れ落ちました。


「あの日、あの時、確かに姉は世界一幸せだったんです。顔を見てれば分かります。そこに嘘はなかった。……けど。もっと長く……もっとたくさん……もっといろいろと、ささやかな幸せを、感じることが出来たはずなのにって思うと……悔しくて」


 人生のすべてをかける勢いで努力をしていたお姉様なのに、幸せを手にした瞬間その生涯が幕を下ろした。

 それを『悔しい』と、トラキチさんは感じたのだそうです。


「それで、トラキチさんは結婚を……?」

「はい」


 袖で涙を拭い、洟を啜って、力強く頷く。


「家族の幸せはみんなの幸せだと、姉が書き残してくれましたから」


 お姉様が、そしてご家族がこの先感じることが出来たはずの幸せを、トラキチさんは求めた。

 最高の幸せを手に入れて、この幸せは家族みんなのものだとお裾分けするために。


「そのような理由が、あったんですね」

「はい。……はは。酷く傲慢で、身勝手な理由ですよね」

「そんなことは……」


 相手に尽くすためだけに結婚を望む人が、果たしてどれだけいるでしょう。

 自分自身の幸せを思い、家族を思い結婚を考えるのが普通です。

 その思いに大小はあれど、決して責められるものではないはずです。


「どんなにご家族への思いが強く、そちらが本命であったとしても、トラキチさんはきちんとお相手のことも考えていました。とても思いやりのある方だと、私は思います」

「……そうでも、ないんですよ」


 恥ずかしそうにはにかんで、首を傾げる様は、どこか自嘲されているように見えました。


「今、思えば……なんですけど」


 そう前置きをして、トラキチさんは罪を告白するように肩をすくめて言いました。


「僕が百連敗した理由って、無意識のうちに僕自身が『結婚したくないな』って思っていたからかもしれないなって」

「結婚したくない……ですか?」

「したくないというか……結婚して新しい家族が出来てしまうと……前の家族との思い出や大切に思う気持ちが薄れてしまいそうで怖かった、といいますか……だから、うまくいきそうな時ほど焦っていたような気がします。今思えば、ですけど」


 ご自分で話すうち、ご自分の言葉にご自分で驚かれているようで表情がくるくると変わっていきます。


「難癖みたいな酷い理由でフッたこともあるんですよ」

「難癖、とは?」

「すごく寒い日に、鼻声でお見合いに来られた女性がいて……その……『体調管理に無頓着過ぎる』って……」


 驚いて目を見張る私を見て、「最悪ですね、僕」と、トラキチさんは泣きそうな顔で笑いました。


「僕は、僕の幸せのためじゃなく、僕の家族を幸せにするために誰かを巻き込もうとしていたんですね……今気が付きました」


 はぁ……と、重たいため息をこぼして、両手で顔を覆い隠す。

「あぁ……ホント…………最悪だ」と、自分を責めるトラキチさん。


 なんだか、とても……らしくないと思いました。


「反省することがあったならば、それを生かし、この次へ繋げてみればいかがでしょうか?」


 人は失敗を犯します。

 しかし、失敗することが悪いことではないはずです。

 失敗を繰り返さないためにどうするのか、それを考え、積み重ねていくことで失敗は減っていくのです。

 それが、成長というものです。


「自分のことで、特に目を逸らしたいような自分自身の汚点に関して、気が付けないことはたくさんあります。気が付いていない方を、私は何人も見てきました。ご自身で気付かれたのですから、トラキチさんはすごいです。少なくとも、私はそう思います」


 いつまでも沈んだ顔をしていてほしくなくて、私は思いつくままに言葉を重ねました。


 らしくないなと、思いました。

 今日の私も。

 我ながら。


「……すみません。知った風な口を利いてしまいました」

「いえ。……励ましてくれようとしてくれたというのは、すごく伝わりましたから」


 伝わってしまいましたか……なんだか妙に恥ずかしいです。

 どのような選択をするのか、それは相談者様の判断されることで、決して相談員が利己的に回答を誘導してはいけない。

 そう教わってきたのに、私はトラキチさんの思考を誘導しました。

 私が望む方へ。


 そんな自嘲するような顔はしないでほしいな、などという利己的な望みを叶えるために。


「申し訳ありませんでした」

「いえ、謝る必要は……」

「面目次第もございません」

「謝り過ぎです」


 そう言われて、ハッと顔を上げました。

 こちらを見ているトラキチさんは、少々呆れたような表情をされていました。


 ……もしかして。

 トラキチさんはこのような気持ちだったのでしょうか。

 謝り過ぎるのは、どんなに言葉を重ねても不安が解消されないから。


 ふふ……

 こんなところでも、トラキチさんのクセが伝染うつってしまっていたのですね。


 ……いや。

 トラキチさんは謝る必要がないところでも謝っているので、私のこれとは少し違うでしょうか。

 おそらく違う気がします。

 必要な場面で過剰になるのと、必要ない場面で持ち出すのとではやはり異なります。

 危うく混同されるところでした。

 トラキチさんの方が、私よりもよっぽど常識がズレています。


「トラキチさんに言われたくはありません」


 不服を示すように唇を尖らせてみます。

 するとトラキチさんは目を丸くして、そして笑い出しました。


「カサネさん、そんな顔もするんですね」


 くすくすと屈託なく笑う。

 その笑顔はとても可愛く見えて、もう少しこのまま見つめていたい……の、ですけれど、いささか笑い過ぎではないでしょうか?


「そんなに面白い顔でしたか?」

「いえ、そんなことは……くすくす」

「そんなことがないなら、そこまで笑わないのではないですか? ……もう、笑い過ぎです」

「すみま…………すみません。あの……っ」


 手のひらをこちらに向けてぴよぴよと小さく振る仕草は『今しゃべるからもう少し待って』の合図だと思われます。

 待ちますけれども、やはり笑い過ぎです。失礼です。



「あまりにも可愛かったもので」



 …………お世辞を言って機嫌を取るのは、女性を相手にした場合は有効な手段でしょう。

 ただ、私にはお世辞など必要ないと思うのですが。


「出来ればもう一度見せてもらって、写真――は、ないので、絵画にして保存しておきたい気分です」

「からかってますよね?」

「本気です」


 それはそれでどうなのでしょう?

 笑いが止まらないくらいに面白い顔を絵画にしたいと言われて、私はどう反応すればいいのでしょう?



 可愛い――



 なんて、お世辞に決まっています。

 だって、可愛い要素などなかったのですから。

 そんなこと、言われたこともないですし。

 トラキチさんの優しさの賜でしょう。


 ……一度検証してみましょう。


「トラキチさん」


 呼びかけ、トラキチさんがこちらを向いたタイミングで、ほっぺたをむにっと押して唇を「ちゅ~」っと突き出します。


「くふっ! あはは。可愛い……っ」


 やはりお世辞でした。

 このユニークな顔が可愛いわけがありません。

 どうしようにも褒める要素がない時は『可愛い』と言っておくのが無難なのでしょう、おそらく。男性の間では当たり前のことなのかもしれませんね。


 もしくは、トラキチさんが顔の一部を意図的に歪ませた女性を好ましく思う男性なのか…………


「……ちなみに、顔をひん曲がらせた女性が理想のタイプということは?」

「ないですよ!?」


 違うようです。

 では、お世辞で確定ですね。

 ……まったくもう、紛らわしいのですから。


 怒りなのか焦りなのか、心持ち頬が熱を帯び喉が渇きました。

 落ち着くためにゆっくりと水を飲みます。


 まぁ、お世辞とはいえ、男性に面と向かって『可愛い』と言っていただけたのですから、これはいい思い出として胸にしまっておきましょう。




 最後に、いい思い出が出来ました。




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