分け合う -3-

「クレイさんですが、お相手が見つかり、先日お見合いをされました」

「そうなんですか」


 随分と早いなと思った。

 クレイさんに相応しい相手がこんなに早く見つかるとは、正直思っていなかった。早く見つかればいいなとは思っていたけれど。

 ……カサネさん、随分無茶をしたんじゃないだろうか?


「トラキチさんに、きちんと報告したかったんです。……随分と気にされている様子でしたから」


 前回のお見合いの別れ際、僕は半ば八つ当たりのような気持ちでカサネさんに無茶を言った。

 そのせいで無理をさせてしまったかもしれない。

 いや、確実に無理をさせてしまっただろう。


「すみませんでした」


 クレイさんが可哀想だと思った。

 そして、一日も早くクレイさんに相手が見つかればいいと思った。

 これ以上、クレイさんが自分の人生を嘆かなくてもいいように。


 それを、僕はカサネさんに押しつけてしまったのだ。

 本当に申し訳ない。

 僕は、カサネさんに甘え過ぎていたらしい。今さら自覚した。


「……ふふ」


 テーブルに手を突いて頭を下げると、カサネさんが小さく笑った。

 何か可笑しなことがあったのだろうかと顔を上げると、口元に指先を軽く触れさせてカサネさんが微笑んでいた。


「初めてお会いした時からずっと、トラキチさんは謝り過ぎです」


 いつも落ち着いていて静かな瞳が、過去を懐かしむように細められる。

 柔らかく弧を描くその目元に、なぜか胸騒ぎを覚えた。

 取り返しがつかなくなるような、妙な焦りを。


「いえ、でも、ご迷惑をおかけしましたし」

「迷惑など、かけられていませんよ」

「それに、ちょっと冷たい物言いだったかなって……」

「そんなことはありません」

「けど、そのせいでカサネさんが無理を……」

「していません。これは私の職務ですから」


 何も気にすることなどないと、カサネさんは言ってくれる。

 その口調が……胸騒ぎを加速させる。


 何かを言おうとするのに、何を言いたいのか分からない。

 そもそも、どうしたいのかも、自分でよく分かっていない。


 お見合いをしないと決めたのは自分だ。

 生活基盤を固めなければ相手に迷惑をかけてしまう。それはハッキリしている。

 自分で納得して、自分で決めたこと、……なのに。


 カサネさんとの距離が遠くなることを、僕は、怖がっている。


 どうしたいんだ、僕は。

 自分からやめると大袈裟に騒いで、「お見合いをやめないでください」と言わせたいのか?

 なんて傲慢な。

 最低じゃないか、そんなの。


 僕は、そんなことを考えているのだろうか。

 自問自答していると、カサネさんがクレイさんのお見合いの詳細を話してくれた。


「結果から報告しますと、お見合いはうまくいき、一年程度の準備期間を設けた後、ご成婚される見通しになりました」


 カサネさんの話によれば、お相手は不死身の狼男だそうで、クレイさんの能力以上の生命力を持ち合わせているのだそうだ。

 手をつないでいれば、服や装飾品を壊すことなく抱きしめたり触れ合ったりすることも出来るらしい。

 子供に関しては未知数、ということだった。


「……よかった。クレイさん、ちゃんと温もりを感じられる家族を手に入れられたんですね」


 僕には出来なかったことだ。

 ただそばにいることしか出来ない僕なんかより、ずっとクレイさんを幸せにしてくれるだろう。

 こういう結果になって、本当によかった。


「『クレイさん』……ですか?」

「え? あぁ、いやほら、破談になったお見合い相手の方をいつまでも『クーちゃん』と呼ぶのは、ちょっとどうなのかと」


 それはあまりにも馴れ馴れし過ぎる気がするので。


「けれど、クレイさんはクマキチさんを一生大切にするとおっしゃっていましたよ」


 もっともそれは、愛情ではなく純粋なる感謝の念によるものだと思われますが、と、カサネさんは言った。

 ……そっか。

 ほんの少しでも彼女が救われたのなら、僕との出会いも無駄じゃなかったのかな。


「お待たせしました」


 壮年の店員が料理の載ったお盆を持ってやって来る。


「こちら、ボーモードースンのエリッヒャでございます」


 目の前に小洒落たワンプレート料理が置かれるが……どっちが注文したものか分からないっ!

 ぱっと見、ソースが絡んだソテーなんだけど、これ魚かなぁ? 鳥かなぁ?

 エリッヒャってどういう料理だろう?

 しかも、ちょうど真ん中に置かれたのでどっちの料理か判別できない。

 どうやら、この店員はどっちが何を注文したかを覚えていないらしい。「早くどっちか取って場所あけてよ」みたいな目で見られている。


「えっと……そっちは、なんですか?」

「トラルイモッポのアケーレです」


 トラルイモッポのアケーレ――っ!?


「……どっちが鳥ですか?」

「そちらが鳥料理となっております」


 どうやら、先に置かれた方が僕の料理らしい。

 メインとサラダとパンが載ったプレートを自分の前に引き寄せる。


 店員がカサネさんの前にもプレート料理を置いて、礼をしてから下がる。


 厨房に戻ったら「あいつ、鳥と魚の区別ついてねーぞ、ぷぷぷっ」とか言われるのだろうか?

 ……くそう。ボーモードースンは鳥、ボーモードースンは鳥、ボーモードースンは鳥。


「カ、カサネさんは好きなんですか、トラルイモッポ?」


 少しでも知識不足を誤魔化そうと話を振る。

「アンコウ好きなの? 通だねぇ」みたいなノリで。


「いえ、初めて見ました。アケーレという調理方法も聞いたことがありません。どのような味がするのでしょうか?」


 いいなぁ。

 知識不足を一切恥じないその姿勢。

 むしろカッコいいです。見習いたい。


 ウチの姉がよく、知りもしない料理の蘊蓄を知ったかぶりで語って失敗していたのを隣で見ていたから、なんとなく知識不足は恥ずかしいって意識が強いんだよね。


『知ってる、トラキチ? この時期の鰹はね、戻り鰹よりも身が柔らかくて脂がのって美味しいのよ? ねぇ、大将?』

『お、お嬢ちゃん詳しいね。ま、そいつはカンパチだけどね』


 ――みたいな。

 姉さん、顔真っ赤だったなぁ、あの時。


「トラキチさんのお料理も美味しそうですね」

「一口食べますか?」


 何気なく口にして、はたと気付く。

 いや、それ女性に言っちゃアウト!


「……え?」

「いえ、すみません! 今ちょっと姉のことを考えていたもので、つい。姉がよく言ってたんです、『一口頂戴』って。知らない料理を食べられないのは、なんか損した気分になるからって」


 完全に姉さんと話しているつもりになっていた。

 なんでだろう。カサネさんが優しくて頼り甲斐があるから、姉さんと重ねちゃってる部分があったのかな?

 あぁ……失敗した。


「あの、とにかく、忘れてください」

「……食べますか?」

「へ?」

「そちらを一口いただけるのでしたら、こちらの料理も一口、食べますか?」


 カトラリーを手に、カサネさんがそんなことを聞いてくる。

 いや、食べてみたいですけれど、トラルイモッポのアケーレ。見たことも聞いたこともない料理ですし。

 けど、いいのかな?


「いいんですか?」

「まだ口を付けていませんし、衛生面では問題ないと思います」


 いや、そういうことじゃなくて。

 ……まぁ、中には異性と料理をシェアすることに忌避感を抱かない人もいますよね。カサネさんは、きっとそのタイプなのだろ。


 ただ……、まいったな。

 この場合「いただきます」と言うのと、「遠慮します」と言うのは、どっちが恥ずかしいだろう?

「遠慮します」とか言ったら「うっわ、意識してる、キモっ」とか思われないだろうか。

 とはいえ「いただきます」とか言えば「うっわ、マジか、キモっ」って言われないだろうか……


 散々悩んで、答えが出なくて。


「……いただきます」

「では、切り分けますね」


 結局いただくことにした。

 切り分けているカサネさんの眉間にシワが寄っていないので、きっとはらわたが煮えくり返るほど嫌ってことはないはず。


「……すみません、厚かましいお願いをしてしまって」

「いえ。私も興味がありましたので、ナントカ鳥のナントカ」


 おぉう、カサネさんは一切覚える気がない。


「どうぞ」


 すっと、僕のプレートに一口分のトラルイモッポのアケーレを載せてくれる。

 付け合わせやソースが綺麗に盛り付けられている。まるで、この一口分だけで完成された料理のように。

 これに合わせて、見栄えよく切り分けなければ!


「あの、トラキチさん。そんなにたくさんは……」

「え?」

「あの……、一口分で」


 美味しそうな部分を切り分けていると、大き過ぎると言われた。

 ……姉は結構がっつり奪っていったんですが。


「すみません、姉基準で考えていました」


 ぺこりと頭を下げると、カサネさんがまた「くすっ」っと笑った。


「ですから、謝り過ぎです」


 一口分ずつを交換して、笑みを交わす。

 手を合わせて「いただきます」と呟くと、向かいでカサネさんが僕の真似をした。


「いただきます」


 そして、「合ってましたか?」と上目遣いで尋ねてくる。

 どこにも間違いがないことを伝えると、ほっとしたように息を吐いて、僕が切り分けたナントカ鳥のナントカを食べ始めた。

 ……もう忘れたよ、鳥の名前。


「トラキチさんは――」


 上品なサイズに切り分けた魚料理を食べながら、カサネさんが口を開く。


「本当にお姉様がお好きなんですね」


 よく話に出てくる上に、姉の言いつけはよく守っているように思えると、カサネさんは言う。

 そんなに話していただろうか。

 けれどまぁ、その問いに答えるのは簡単だ。


「好きですよ。自慢の姉ですから」

「一度、お会いしてみたいですね」

「……え?」

「トラキチさんに多大な影響を与えた方には興味があります。きっと、トラキチさんがお優しいのも、努力家なのも、そして謝り過ぎるのも、お姉様が影響しているのでしょうから」


 それは、そうだろうと思う。

 姉だけではなく家族との仲も良好で、僕は両親を尊敬している。

 けれどやっぱり、姉は特別だ。

 小さい頃はずっと一緒にいて、ずっと守られて、ずっと迷惑をかけられて、そして、ずっと僕に優しくて温かい情愛を注いでくれた。


 けれど。


「会うのは無理ですよ」

「そうですね。『世界』への統合はいつどこで起こるか分かりませんからね」

「いえ、そうじゃなくて――」


『世界』とか、元の世界とか関係なくて。



「姉はもう亡くなっているんです」






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