分け合う -1-

「お~い、トラぁ。そんな根を詰めなくていいってのによぉ」

「いいえ、絶対に弁償しますので!」


 コンマ数ミリの溝を等間隔で彫る。

 たったそれだけのことが出来ない自分がもどかしい。

 拡大鏡を覗き込みながら歯噛みする。


「……くっ、もう一度やり直します」

「待て待て待て!」


 線の歪んだ細工を再度溶かして成形し直そうと席を立つと、師匠に肩を掴まれた。


「お前、いい加減寝ろ」

「寝ろって……、さっき夕飯食べたところじゃないですか」


 夕飯の後、質の悪い銀を借りて細工の練習を始めたのはついさっきのことだ。

 寝るにはまだ早いんじゃないかと外を見ると……明るかった。


「えっ!? もう朝ですか!?」

「昼過ぎだよ、バカヤロウ」


 師匠の大きな手が僕の頭を軽くはたく。

 軽くのつもりなんだろうけれど、体のサイズが違い過ぎるので結構痛い。


「お前が腕輪の代金を弁償するって聞かねぇからよ、気の済むまで練習させてやろうと思って、この一ヶ月余りずっと我慢してたんだけどよ……」


 はぁっと大きなため息を吐いて、師匠は難しい顔で僕を見る。


「頑張るのと無理をするのは違うだろう」


 呆れたように言って、僕の作った失敗作を摘まみ上げてじっくりと観察する。


「それにな、そんなやり方じゃ、いい物は絶対作れねぇぞ」

「……技術が追いついていないから、ですか?」

「はぁ……、そうじゃねぇよ」


 失敗作を作業台へと置いて、太い指で僕の胸を突く。


「こんなやり方で身に付けた技術じゃ、細工に心をこめることは出来ないっつってんだよ」

「……こころ……?」


 作業台に転がっているのは、細かい細工が刻み込まれただけの、ただの銀の塊。

 習作だからとか、失敗作だからとか、そんなこと以上に……それは確かにつまらないものに見えた。


「これなら、下手っぴだったけど前の、ほら、あのヒヨコのブローチの方がいい出来だったぞ」


 それは、僕が初めて作った、下手だけれど、完成品と呼べる最初の作品。


 そうか。

 僕、あの頃から何も変わってない……いや、後退しちゃってたんだ。


 ……確かに、そうかもしれない。


「とにかく、金だの弁償だのってのは一回頭から綺麗さっぱりなくせ。金のことばっか考えてるから、こんな飾り立てた、金儲けに傾倒したような細工ばっかり練習しちまうんだ」


 僕の失敗作を指で弾く。

 これはその程度の、値打ちのない物だと切って捨てる。


「俺はな、銀を丸めて『タマゴです!』って言ってた頃のお前の作品の方が好きだぜ」

「『それのどこが細工だ、バカ!』って叱ったじゃないですか」

「ったりめぇだ! 細工師になろうってヤツが手抜きすんじぇねぇ」


「けどな」と、師匠はとても優しい表情を見せる。


「今のお前のやり方は間違ってる。俺は、弟子をそんなつまんねぇ細工師に育てるつもりはねぇ。弁償がしたいならしろ。だが、それは今じゃない。お前が一人前になるまで、いくらでも待ってやる」


 そう言った後、デカい指で僕のデコを弾く。

 ……痛い。


「弟子の失敗は師匠の責任だ。半人前が一丁前に責任を背負い込もうなんてしてんじゃねぇよ」


 僕の取った行動で、師匠の銀の腕輪が壊れてしまった。

 あの行動自体を悔いたりはしないけれど、それでも、壊してしまった事実には向き合わなければいけないと思っていた。


 けれど、師匠は壊れた腕輪を見て――



『よかったぜ、お前が無事で』



 ――そう言って、力強くハグをしてくれた。

『持たせておいて正解だったな』と、笑っていた。

 セリスさんも、泣きそうな顔で僕を抱きしめてくれた。抱きしめて、頭を撫でてくれた。

 チロルちゃんも、ぎゅーってしてくれた。


 報いたい。

 そう思ったら、居ても立ってもいられなくなって……

 なのに、僕のやり方は間違っていたらしい。


「とにかく、お前は少し休め。別に眠らなくてもいいから、頭の中から仕事のことをなくせ」

「そう、言われましても……」

「やることがないなら、街にでも出て服でも買ってこい。この次こそ見合いを成功させられるようなカッコいい服をな」


 がははと笑う師匠に、僕は口を引き結ぶ。

 ……言いにくい。

 けど、言わなきゃ。


「あの、師匠……」

「ん? どうした? はっは~ん、小遣いの催促かぁ? 俺はそうそう甘くねぇぞぉ」


 戯けたようににっと笑う、面倒見のいい師匠。

 この剛胆な笑顔に何度救われたことか……


 笑顔の力を借りるべく、僕も無理やり口角を持ち上げる。

 口の端が微かに引き攣るけれど、精一杯笑ってみせる。


「僕、もう、お見合いするのはやめにしようと思っているんです」

「はぁ!?」


 アゴが外れそうなほど口をあんぐり開けて、僕の額に手を当てたり下まぶたをめくって確認したりし始める。


「病気じゃないです、大丈夫です、正常です」

「いや、でも、お前……」


 いかに僕が結婚したかったのか、それを知っている師匠には今の僕の発言が信じられないようだ。

 教会の枢機卿が「神頼みとかやめようぜ」って言い出したかのような驚き方だ。


「百四連敗の原因は、やっぱり僕の未熟さにあるんじゃないかと思ったんですよ」


 ぐいぐい迫ってくる師匠を少し押し返して、説明を聞いてもらう。


「僕はまだまだ見習いで、今の状態で『仕事に就いている』とは、とても言えないんじゃないかと。経済面とか、あと住むところとかもそうなんですけど、そういうのをきちんとしておかないと相手の方に苦労ばかりかけてしまうんじゃないかと思うんです」


 そんな状態だというのに、僕ときたら……自分勝手な結婚論を振りかざして。


「なので、生活基盤をしっかり安定させて、それからでも遅くないかなぁ、って」


 僕が未熟なせいで、多くの人に迷惑をかけた。

 独りよがりな暴走のせいで。本当に多くの人に。


「それに、この家がとても居心地がいいので、もう少しお世話になりたいなぁ……なんて」


 結婚することになれば、当然この家を出て行くことになる。

 この『世界』に来て独りぼっちだった僕を温かく受け入れてくれた師匠たち。


 ……僕を家族のように扱ってくれる、優しい人たち。温かい場所。


 あなたたちがいてくれたから、僕は気が付けたんです……自分の…………



 浅ましさに。



「トラ」


 腰に手を当てて、つらそうに眉をひそめて、師匠が僕を見下ろしている。


「お前がウチを気に入ってくれてるってんなら、そりゃあ嬉しいけどよ。……そんな顔で言うんじゃねぇよ」


『そんな顔』と言われ、自分の顔に触れる。

 よく分からないけれど、どんな顔をしていたんだろう?

 笑顔でいたつもりだったのに。


「まぁ、確かに時間は必要かもしれねぇな」


 諦めたような口調で頭を掻く師匠。

 処置なし。……そんな言葉が聞こえてきそうな気がするのは、僕が卑屈になっているからだろうか。


「それで、その話、相談員さんにはしたのか?」

「……えっと…………」

「してないのか」


 していない。

 しなきゃ、だめ……かな、やっぱり。


「ちゃんと話しておけよ。こうしている間も、あの姉ちゃんはせっせと次の相手を探してるかもしれねぇんだからよ」

「そう……ですよね」


 どんなことがあろうと、きっとカサネさんは変わらず仕事をこなしている。



 クレイさんとのお見合いが破談に終わり、帰路に就くクレイさんを見送っていた時、僕は……



「ごめんください」


 突然、工房内に響いた涼やかな声。

 沈みかけていた心を慌てて浮上させる。

 息継ぎに失敗して必死にもがくように、無様な慌てっぷりで。

 あの声は……カサネさん?


「おぉ、相談員さんか!」

「あ、いえ……」

「ちょうどあんたの話をしていたところなんだ」

「私の、ですか?」


 カサネさんの声を聞いて、師匠が出入り口へと対応に向かう。

 棚の陰に隠れて、この作業台からは覗き込まなければ玄関は見えない。

 すっと、体が棚に隠れようとする。


「おい、トラ! お前もさっさと手を洗って出かける準備をしろ」

「へ?」


 師匠が棚の向こうからこちらを覗き込んで、いつもの世話焼きの笑顔を見せる。


「ちょうどティータイムの時間だ。相談員さんと茶でも飲んで話をしてこい」


 そんな、急に言われても……


「いえ。私は今日、ご報告に上がっただけで……」

「そうかそうか。じゃあ、ケーキでも食いながらゆっくり報告してやってくれ。ほら、トラ! いつまでもお客様を待たせるな。セリスー!」

「はぁ~い」

「トラの着替えを手伝ってやってくれ」

「いえ、僕は」

「はぁ~い。さぁ、トラ君、行きましょう」

「いえ、ですから……」

「私を、夫の頼みも聞けないダメ女房にしたいの?」

「……そんなうるうるした目で見られましても…………はぁ。お願いします」

「はい。お願いされます」


 強引な師匠夫妻に白旗を揚げて、僕は身支度にかかる。

 カサネさんがどんな顔をしているのか、呆れているのか、戸惑っているのか、それともいつものように冷静な顔をしているのか、僕には分からなかった。






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