最後の務め -2-
私は、手持ちのファイルをすべてひっくり返し、それでも足りずに資料庫から過去登録されていた相談者様の情報も引っ張り出して、すべての資料に目を通しました。
ご成婚され退会された方も、結果が出ず退会された方も、不運な事情で退会された方も含め、何かヒントがないかと目を皿のようにして文字を追います。
トラキチさんが当相談所へ登録されたあの日、おっしゃっていた条件の一つ。
『絶対に死なない人……とか、いませんか?』
不死者。
死の概念が存在しない種族。
もしくは、命の解釈が異なる人種。
調べていくと、確かに存在はするようでした。
グールやリッチ、スケルトンという、いわゆるアンデッドと呼ばれる者たち。
彼らには『生命』という概念が存在せず、内包する魔力によって活動を可能にしています。
アンデッド以外ではゴーレム、こちらも、魔力により生命活動に似た生き方を行っています。
ゴーレムには、ストーンゴーレム、クレイゴーレム、アイアンゴーレムなど多種多様な種族がおり、驚いたことに、過去に一度当相談所でアイアンゴーレムの女性がご成婚されていました。
彼らならば、クレイさんに触れても『命』を奪われることはないかもしれません。
ただ……
「『温もり』が、ありません」
魔力を原動力とする種族のほとんどは、体温を持っていませんでした。
血液の循環が必要なく、また外皮――皮膚や体毛を持ち合わせていない種族がほとんどでした。
トラキチさんのような温もりを……
私が、クマキチさんに与えてもらったような温もりを持ったお相手でなければ、クレイさんの幸せには繋がらない。
そう確信しています。
「まだ可能性はあるはずです。もっと適した誰かが……」
之人神にまで対象を広げてみましたが、長寿な方はいても不死身という方はいませんでした。少なくとも、資料の中には。
「もっと古い資料は……!」
さらなる資料を得ようと立ち上がった時、ふと明かりが消えました。
ランタンのオイルが切れてしまったようです。
真っ暗な闇が、一瞬ですべてを飲み込みました。
オイルを補充しなければいけない。
なのに、こう暗くては手元が見えない。
仕方なく、窓辺へと移動して月明かりに頼ることにしました。
大雪が降ったあの日から三日。
今日は凍えるような寒さながらもよく晴れた日でした。
窓を開ければ、大きな月が煌々と輝いていました。
大小三つの月が浮かぶ『世界』の夜空。
そのうちの一つ、もっとも大きな月は、一年に一度の新月の時を除いて常に満月です。
しかも、その明るさは日中でもその姿を確認できるほどに明るく、この世を平等に照らす神の慈悲であると言われています。神を信仰する者たちの間では。
私にとっては、非常時のランタン代わり程度の価値しかないものですが……
「……満月?」
ふと、一ヶ月半ほど前の新聞記事が頭に過ぎりました。
どこかで、満月に関する記事を読んだ気がしたのです。
とても傍迷惑な……その時の私には興味を向けるような要素が一切なく読み飛ばした記事が……
「……過去の記事は、資料庫にストックしてあるはず」
手早くオイルを補充し、ランタンの明かりを頼りに資料室の記事をどんどん遡っていきます。
そうして、うっすらと空が白み始めた時、ようやく目当ての記事を発見しました。
『深夜の魔獣騒動。その意外な結末』という見出しの、小さな記事でした。
日が昇るのを待ち、私はその方へ会いに向かいました。
結果として、少しばかりの紆余曲折があったようですが、クレイさんがご成婚されることになり、私は約束を果たせたことに安堵の息を吐いたのでした。
よかった。
これで、渡せます。
あっという間に時間は流れ。
あのお見合いの日から、もう一ヶ月が経とうとしていました。
「カサネ・エマーソン君」
デスクの整理をしているところへ、小さな所長がやって来て、私を手招きしました。
呼ばれるままに所長室へと向かい、私は大きなデスクに埋もれるように座る小さな所長の前に立ちます。
「クレイ・バーラーニさんから感謝の手紙が届いたよ。『相談員さんのおかげで、私は幸せになれそうです』とね」
「それともう一つ」と、人差し指を立てて口角を持ち上げる。
「君の要求は却下されたよ。君の言う通り、前の男にもらった贈り物など早々に処分するべきだとは私も思うが――」
「私はそのような意味合いの発言はしておりません」
「ま、似たようなものじゃないか」
まるで違う。
ご成婚が決まった今、前回のお見合いの折に別の男性から送られた贈り物がお相手様の心証を悪くする可能性があるので、手放すつもりがあるのであればこちらで引き取り大切に扱わせていただきますという提案をしただけだ。
クレイさんは、クマキチさんを殊の外喜んでいらしたから。
「彼女の言葉をそのまま伝えるとだね、『お心遣いには大変感謝いたします。けれど、クマキチさんは私が母以外から初めて与えてもらった温もりで、この命と同じくらいに大切な存在なのです。私はこの先、一生をかけてクマキチさんを大切にしていきたいと思います』だそうだ」
クマキチさんを大切そうに抱きしめるクレイさんの姿が目に浮かびました。
浮かんできたその顔は、満面の笑顔でした。
「あぁ、ちなみに。旦那となる男性を蔑ろにするつもりは毛頭なく、こんな自分を選んでくれたことに最大限感謝して、生涯愛し、尽くすことを誓うのだそうだ」
決してトラキチさんに未練があるわけではない。そういう意思表示なのでしょう。
まったく未練がないとは、思えませんが。それでも新たな人生を歩もうと前を向いているクレイさんを、心から応援したいと私は思いました。
「しかし、よく見つけてきたね。あんな『例外』的な相手を」
「三面記事のおかげです」
「まさか、人間に戻れない狼男とはねぇ、くふふ。これ以上の適任者はいないだろうね」
「満月の夜には不死身の狼男になる」と、元の世界で恐れられていたモンスター。それが、彼でした。
その彼が、『世界』の統合に巻き込まれてこの街へやって来たのは数年前。
常に満月が輝くこの街では、朝も夜も問わず満月の力が彼の体に影響し、否応なく狼男へと変貌させ続けていたそうです。
人間の姿に戻れなくなった彼は絶望し、自ら命を絶とうとしました……が、不死身の狼男なので死ねるはずもなく。
じゃあもう開き直ると、狼男のまま恋人探しを始めたところ、「魔獣」と恐れられてまるで相手にされず、おまけに騎士団を差し向けられ、それでも死に切れず、肉体的にも精神的にもズタボロになっていたのでした。
「魔獣の彼女を作ればいいという提案には、『毛深い彼女は嫌だ!』と放言していたらしいな」
くつくつと、他人の不幸を笑う腹黒幼女。
「しかし、そのおかげでクレイさんは救われました」
クレイさんが触れても、どんなに死神の力が生命を奪い取ろうとしても、不死身の狼男は死にませんでした。
トラキチさんがクレイさんを抱きしめた時に発覚したことですが、彼女の力は同時多発せず、もっとも効率よく生命を吸い取れる場所から相手の生命を吸おうとするようでした。
彼女の手のひらが触れていたトラキチさんの服には穴があいていましたが、トラキチさんが腕を回していた彼女の服は無傷でした。
要するに、手さえつないでいれば、肩を抱かれても、お姫様抱っこをされても、熱烈なハグを受けても、衣服に穴があくことはないのです。
「だからずっと手をつないでいるようですよ」
「双方共に、これ以上の相手はいないだろうからね。仲がいいのはいいことじゃないか。ま、お互いその相手を逃したら次はないだろうから、大切にし合えるんじゃないのかねぇ」
うまくいっているカップルが気に入らないのはいつものことで、所長は臭いものでも嗅いだような顔でお二人に祝福の言葉を述べています。
「これで万事解決だね」
「はい」
そう。
これで、おしまいです。
ふわ~っと、モナムーちゃんが天井付近から舞い降りてきて、私の顔をじっと見つめ……そっぽを向くようにまた天井へと上っていきました。
もう、齧る気にもならないようです。
「所長」
「ん~?」
気の抜けるような頓狂な声を上げる所長の前に、私は一枚の書類を差し出します。
ようやく、渡せました。
「……念のために聞こうか。これは?」
「退職願です」
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