もう寂しいのは嫌だから -3-

「ふぅ……」


 と、息を吐いて腰を下ろす。


 なんだかデートっぽいことをしている気がする。

 こういう時って、油断していると背後からほっぺたに冷たいジュースを「ぴたっ」とかやられるんだろうか。

 この寒い空の下でそれをやられると、心臓に悪そうだ。

 けど、もしそうなら、甘んじて受ける覚悟は出来ている。

 面白いリアクションが取れる自信はないけれど。


「トラキチさん」


 不意に、カサネさんに名を呼ばれた。

 顔を上げれば、僕のすぐ隣にカサネさんが立っていて、僕をじっと見下ろしている。

 薄暗い空と、吐き出される白い息にぼやけて、なんだか表情がよく見えない。

 いつもの澄ました表情とは、少しだけ雰囲気が異なって見えた。


「…………」


 唇を引き結ぶカサネさんを黙って見上げる。

 カサネさんは何も言わない。

 けど、何か言いたそうな顔をしている。

 もう少しだけ待ってみる。急かさないように、静かに。


「いえ……」


 いくつかの葛藤があったのかもしれない。

 自分自身の中にあった何かを否定する言葉を呟いて、視線が逸らされた。

 ほんの一瞬僕から逸らされた視線はすぐに僕の前へ戻ってきて、その時にはさっきの翳りは消えていつものカサネさんの顔になっていた。


「今回は、随分と前向きなようですね」


 相談員としての問い。

 おそらく、それがカサネさんの選んだ答えなのだろう。

 何に迷い、何を葛藤したのかは、僕には分からない。

 けれど、カサネさんが導き出した答えがこれまでと変わらない関係であるならば、僕はその意思に沿うように行動したい。


 にわかに感じていた焦燥も、気の迷いも、ほのかなときめきも、全部なかったことにしてしまえばいい。


「はい。今回こそは、いい結果にたどり着けそうです」


 僕のためにいろいろ気を揉み、奔走してくれたカサネさんに報いるためにも、僕はいい結果を残したい。

 そして、カサネさんに報告したい。



『あなたのおかげで幸せになれました』――と。



「……そうですか」


 寒い空気に紛れるように消えていった言葉は、吐息を白く染めることもなかった。

 何事もなかったかのように言葉は消えていく。

 なのに、妙に……



 僕を見つめるカサネさんの瞳が印象に残った。



「失礼しました」


 小さな白い息を吐き、カサネさんが離れた席へと座る。

 まるで映画でも見るかのように、同じ方向を向いて座る僕とカサネさん。

 知らない人から見れば、ただの他人にしか見えないんだろうな。



 当然だけれど。






 それからしばらく、僕は何も言葉を発さずに時間を過ごした。

 どこを見たもんだか分からなくて、ただじっとテーブルの木目を目でなぞっていた。


 長く座っていたせいで、すっかり体が冷えてしまった。

 お尻からくる冷えが背筋を遡ってきて首周りをすくませる。

 寒い。


「……っていうか、遅くないですか?」


 身を縮めたのと同時に、僕は振り返ってカサネさんに意見を仰ぐ。

 僕の飲み物を選んでいるといっても、少々遅過ぎる。

 正確な時間は分からないけれど、たぶんもう二十分くらいは経っていると思う。


「もしかして、何かトラブルが……」

「見に行きましょう」


 アゴや膝がプルプルしている僕とは異なり、カサネさんは美しい姿勢で立ち上がり歩き出す。

 寒さに強いのか、プロ意識の塊なのか……たぶん後者だろうな。


 慌ててカサネさんに追いつき、屋台の方へと足を向ける。

 ざっと見渡す限り、そこにクーちゃんの姿はなかった。

 微かな焦りが胸の中に生まれる。

 カサネさんも、同じように表情を曇らせていた。


「クレイさんについていくべきでした。……私の失態です」

「そんなこと……。一人にさせてあげたいと思ったんですよね? なら、僕も同じですよ」


 たぶんあの時、クーちゃんは一人になりたかったはずだ。

 カサネさんが後を追わず、あの場所に残ったのは思いやりからだ。自分を責める必要はない。


「それよりも、早く見つけましょう。無事が確認できたら、自分を責める必要もなくなるでしょ?」


 本当に、ものすごく真剣に飲み物を選んでいるだけかもしれない。

 なんにせよ、不安でもやもやするので早く顔を見て安心したい。


「二手に分かれますか?」

「ダメです」


 僕の提案は強い口調で拒否される。


「クレイさんとトラキチさん、二人とも見失ってしまったら……私の存在意義が失われます」


 大袈裟な気もするけれど……


「それじゃあ、待ち合わせ場所を決めて一回ぐるっと……」

「ダメです」


 どうやら、相談員として譲れないラインがあるらしい。

 カサネさんがそこまで言うのだから、僕がわがままを押し通すわけにはいかない。


「それじゃあ、急ぎましょう」

「はい。走るのは得意です」


 すみません。

 僕は、走るのが苦手です。

 なるべく早足で探しますので、全力疾走とかは勘弁してください。カサネさんの全力疾走、なんかものすごく速そうな気がしますので。


 屋台のそばを一通りめぐるが、クーちゃんは発見できない。

 嫌な予感がじわり……じわり……と広がっていく。


「買い物をした後、逆方向へ進まれたのかもしれませんね」

「あり得ますね。僕も一度お店に入っちゃうと自分がどっちから来たのか分からなくなっちゃうことが多々あるので」

「え……?」


 ん?

 ありませんか?

 お店から出た後真逆の方向に歩いていっちゃって、なぜか最寄り駅の次の駅にたどり着いちゃうことが。

 ……なさそうですね。僕だけですかね。


 少し捜索範囲を広げましょうかと、そんな話をしていると――


「……お静かに」


 カサネさんが僕の口元に手を近付けて、反対の手で自身の耳に触れた。

 ……指先が唇に触れそうなんですが、これは…………


「クレイさんの声がします。こちらです」


 すごく耳がいいのか、カサネさんは迷うことなく茂みの中へと踏み入っていく。

 僕には何も聞こえない。

 後を追うと、大きな木に身を隠すようにカサネさんは立ち止まった。

 近くの木に身を潜めつつ、カサネさんの視線の先を見る。


「……どうしよう…………どうしよう……」


 そこには、草の上に座り込むクーちゃんがいた。

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