もう寂しいのは嫌だから -1-

 行き先を任された僕は、とりあえず食事をすることに決めた。

 そろそろお昼時のはずだ。……僕の体内時計は、この『世界』では狂いまくっているようだけれど。でもぼちぼち小腹がすいてきている。


「好き嫌いはありますか?」

「クッキーが好きです」


 う~ん、お昼ごはんの話をしているんですけれど……

 まぁいい。オヤツタイムにはクッキーが美味しい店を探そうと、心のメモに書き込んでおく。情報は無駄にはならない。


「クマキチさんは何が食べたいですか?」


 すっかりお気に入り登録されたらしいクマのぬいぐるみに話しかけるクーちゃん。

 初めてのぬいぐるみだからだろうか、幼い子供がするようなことをやっている。誰もが通る道を通ってこなかったから、今まさに通っているのかもしれない。

 なんだか、無性に可愛いなぁ……


 ……えっ、僕って結構ロリっこ趣味があったりするのかな?

 いや、そんなはずは……


「ク、クマキチさんは、何が好物なんでしょうね?」


 妙に騒がしくなり始めた胸の動悸を誤魔化すために、穢れなきクマキチさんの話題に縋りつく。

 ピュアな心でピュアな会話が出来るはずだ。クマキチさんの話題なら、きっと。


「そうですねぇ……クマさんなので……」


 クマの好きそうなものを考えているのか、ぬいぐるみを抱いたまま軽く空を見上げ、こてんと首を傾げるクーちゃん。

 あなたが三歳児なら、きっと今の瞬間悪い大人に誘拐されていますよ。


 そんな無防備な顔でしばらく考え込んだ後、「うん」と小さく頷いて、クーちゃんはクマキチさんを自分の顔の前に掲げ僕へと身体を向ける。

 僕と目線を合わせたクマキチさんが、自身の好物を教えてくれる。


「『人!』」

「……うん、クマキチさん。もうちょっとメルヘンな物を主食にしましょうか」


 誰もリアルな情報なんて求めていない。

 クマキチさんが真ん丸いもこもこな手で「がぉ~」っと人間に襲いかかる様は想像したくない。


「ハチミツとかで、どうでしょう?」

「クマキチさんはハチミツが好きなんですか? ふふ……甘党なんですね」


 クマキチさんの顔を覗き込んで「わたしと一緒ですね」と楽しげに語りかける。

 出会った時よりもずっと笑顔が柔らかくなっている。

 よかった、楽しんでくれているようで。


「では、ランチはハチミツがたっぷりかかったクッキーをいただきましょうか?」

「それはオヤツの時間にしましょう」


 僕も甘いものは好きだけれど……ランチにはご飯を食べさせてください。

 おそらく、マリー・アントワネット的な生き方は僕には出来ませんので。

 パンがない時はお菓子ではなくお米を食べます。そこそこ塩辛いおかずと共に!


 そんな感じでどこかいいお店はないかと散策していると、なんと、トカゲのしっぽ亭を見つけてしまった。

 ログハウス風の、木の風合いを最大限に生かしたオシャレな造りで、思わず入ってみたくなるような魅力的なお店だった。


「あ。わたし、このお店知ってます。美味しいと評判なんですよね」


 あまり出歩かないというクーちゃんにも、その名前は知られているらしい。

 きっとよほど美味しいお店なのだろう。


「人気のお店だから、行く機会なんてないと思っていたんですよね」


 人気店なら人が多い。

 人が多いと、不慮の事故が起こる危険性も高くなる。

 だから避けていた……と、そんなことを言うってことは、この店に行ってみたいということなのだろう。

 僕も行ってみたいと思っていた。

 思っていたはずなのに……


「あれ? なんだか、お休みのようですよ」


 そんな言葉に、酷く安堵した。


 トカゲのしっぽ亭のドアには一枚の張り紙が貼られていて、そこには『店主が風邪のため本日はお休みさせていただきます』という旨が記されていた。


「お休みなら、仕方ないですね」

「はい。……ちょっと残念ですけど」


 眉を寄せながらも、落ち込んだ様子はない。




 ……よかった。




 ん? あれ?

 今、心の中に自然と湧き上がってきた言葉は、何に対してなのだろうか。

 考えようとすると、胸がざわつく。


 だから、今は考えないようにしておこう。

 今は、クーちゃんとのお見合いの最中なのだから。


 ちらりとカサネさんを見ると、カサネさんはいつものように落ち着いた、冷静な表情で立っていた。

 ……あ、顔を逸らされた。

 お見合いに集中しろという意思表示だろうか。

 そうだな。うん、きっとそうだ。集中しなきゃ。


「じゃあ、この次に見つけたお店に入りましょう。どんな料理でもモンク言いっこなし。……っていうのはどうですか?」

「ふふ。面白いですね。では、そうしましょう」


「なんだかどきどきしますね」と、わくわく顔で言うクーちゃん。

「から~い料理だったらどうしましょう」なんて呟いているということは、辛い物は苦手なのだろう。もし辛い物系のお店を見かけたらその手前で角を曲がるとしよう。


 ――とか思っていたら、辛い物エリアに遭遇してしまった。

 看板を見るだけで『激辛系』と分かるような店が軒を連ねている。

 ……くっ。さっきの角を曲がらなければよかった。


「こっちに行ってみましょう。こういう細い路地の向こうに隠れた名店があったりするんですよ、きっと」


 激辛ゾーンを避けるように手前の角で曲がる。身体を横にしないと通り抜けられないような、ネコの通り道みたいな逃げ道しかなかったけれど仕方ない。僕は臆することなくそこへ突っ込んだ。


 身体を横向けてカニ歩きで進んでいると、後ろからくすくすと笑い声が聞こえてきた。


「クマキチさん。トラくんは優しいですね」


 そんな会話が聞こえてきて、僕の考えていることなんかすっかり見透かされていると知る。

 ……恥ずかしい。


 細道を抜けると、そこには公園が広がっていた。

 レンガ敷きの整備された道と芝生。そこかしこにベンチが置かれている。

 それから、冬でも青々とした葉をつけた樹木が並んでいる。


「大きな公園ですね。こんなところがあったんですね」

「わたしも、ここまでは来たことがありませんでした」

「少しよろしいでしょうか? この公園を越えて東へ向かうと、流通の要となっている運河があります。さらに南へ進めば大きな港もございます」


 僕たちの会話に、カサネさんが補足をしてくれる。

 そうか、じゃあ随分と東の方まで来ていたんだ。銀細工工房からは結構離れちゃったんだな。


 先ほどまで舞っていた粉雪は姿を消したけれど、どんよりと重たい曇り空は今にも雪を落としてきそうで、寒さが身に沁みる。

 そんな天気にもかかわらず、大きな公園には休暇を楽しむ人たちがあふれていた。

 犬のようなもこもこ可愛い小動物を散歩させている人や、走り回っている子供たち。ジョギングをしている人や、かじかむ指で読書をしている人も。


 中でも多いのは、寒さを理由にぴったりと寄り添うカップルたち。

 見せつけているのか、周りが見えていないのかは知らないけれど、結構なイチャイチャ具合だ。腕とか指がこれでもかと絡み合っている。

 まぁ、公園ではよくある風景だ。

 そういうのも込みで、なんとものどかな風景だと思った。


 けど。

 クーちゃんにとっては、そうじゃなかったようだ。


「…………」


 ぎゅっと、クマキチさんを抱きしめ視線を逸らすように地面を見つめる。


 ……あ。


「人が、多いですね」


 空白を埋めるように、そんな言葉が放たれる。

 非難するわけでもなく、感心するわけでもなく。ただの事実を端的に述べる。


 そっか。そうだよね……

 ここにいる人が当たり前のようにやっていることって、クーちゃんには絶対に出来ないこと、なんだよな。

 手をつないで街を歩くことも、肩を寄せ合ってベンチに座ることも、ふざけ合って体を押し合うことも、風に乱れた髪を手櫛で整えてあげることも、クーちゃんには出来ないことなんだ。


 まいったな。

 こんな場所、来るんじゃなかった。

 何がのどかだよ。

 無神経にもほどがあるだろう、僕。


 こんな寂しそうな顔、させるつもりじゃなかったのに……


「場所を変えましょうか」と、そんな提案をしようとしたその時、僕の目にあるものが飛び込んできた。

 それは、日本では割とよく見かける光景で、すごくありふれていて、けれど、すごく幸せを実感させるもの。

 僕は、投げかけようとしていた提案を変更する。


「クーちゃん」

「はい?」

「手をつなぎましょうか」


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