諦観するわけ -5-

 店を出て大通りの方へと向かう。

 新しく購入した手袋が馴染まないのか、何度も手を広げては目の高さまで持ち上げて、くるくると両面を交互に見つめているクーちゃん。


「似合います、か?」

「はい、とっても」

「うふふ……、クマキチさんのおかげですね」


 きゅっと拳を握って、緩む口元を隠すように両方の拳で口元を隠す。

 昭和のぶりっこポーズのようだが、美少女がやると本当に様になって見える。


 最初の宣言通り、手袋はクーちゃんが自分で購入した。

 手袋が破れる原因を作ったのは僕なのに、である。


 なので、僕は手袋とは別にプレゼントを用意した。

 喜んでくれるといいのだけれど。


 わざと歩調を落とし、クーちゃんの後ろへ回る。


「クーちゃん」

「はい?」


 振り返ったクーちゃんの目の前にラッピングされたプレゼントを差し出す。


「今日の記念に」

「……え?」


 50センチ以上もある大きな包みを抱え、また驚いた表情を見せるクーちゃん。

「開けてみて」とプレゼントを指さすと、丁寧にゆっくりとリボンを解いていく。


「……わぁっ」


 中から顔を出したのは、先ほどのお店で一番コーディネートに詳しいオシャレさんだというクマのクマキチさん。さっきのクマのぬいぐるみだ。


「あの、これ……」

「手袋をダメにしちゃったお詫びと、今日一日よろしくっていう気持ちです」

「そんな、それじゃわたしも何か……」

「それはあとで考えるとして」


 わたわたと辺りを見渡し始めたクーちゃんを落ち着かせて、短い問いを投げかける。


「受け取ってくれますか?」


 答える前に一度クマキチさんを見て、ゆっくりと弧を描いた唇が頷きと共に開かれる。


「はい。……大切にします」


 ぎゅっと抱きしめて、大きめのクマのぬいぐるみに顔を埋める。

 どこの世界でも、ぬいぐるみをもらった時の反応って同じなんだな。

 姉も、これくらいのサイズのぬいぐるみをもらうと必ずこうしていた。


「うふふ。嬉しいなぁ」


 ぬいぐるみを抱きしめる姿が、姉と重なって見えたからかもしれない――


「これでもう寂しくありません」


 歓喜の中でこぼれ落ちていったそんな言葉が、僕の心をざわりと撫でていった。

 心の奥に小さな鉤針が引っかかったように、ちくちくと小さな痛みを感じさせる。




 真っ暗な家に帰るのは……寂しいよね。




「今日から一緒に寝ましょうね、クマキチさん」




 床も、ソファも、ベッドも、ドアのノブさえも、みんなひんやりしているんだ。

 家のどこにも温もりがないんだよ……




「よろしくお願いします。『はい、よろしく』……うふふ」




 誰か、返事をしてよ。

 誰か、笑いかけてよ。

 誰か、僕の名前を呼んでよ。




 胸が締めつけられる。

 呼吸が苦しくなる。


「ただいま」が吸い込まれて消える、真っ暗な部屋が脳裏に蘇る。




 僕は、温かい家庭が…………欲しいっ!




「……トラくん?」




 独りぼっちは、……もう嫌だ。





「トラくん!」

「……はっ!?」


 顔に柔らかいものが押しつけられる。

 見れば、それはクマキチさんのお腹だった。


「……クマキチさん?」

「『だ~いじょうぶかい、トラく~ん?』」


 もしかしたら、さっき僕がしたことを模倣しているのだろうか。

 だとしたら、あのぬいぐるみ劇には元気になる効果があったと、クーちゃんがそう判断してくれたってことになるのかな?

 僕をこうして元気付けようとしてくれているのだから。


 だとしたら、嬉しい。

 嬉しい、けど……それよりも。


「『元気出して~』」


 必死に低い声を出そうとしているのが可愛くて……


「くすっ!」

「はぅっ!? ひ、酷いです、笑うなんて」

「い、いえ。ちょっと……あまりに可愛くて」

「へぅっ!? ……お、お世辞が過ぎますよ」

「いやいや、本当に」

「も、もう、いいですからっ」


 クマキチさんでぼふぼふ僕を叩いて、顔を背けるクーちゃん。

 そっぽを向いているから首筋があらわになっている。真っ赤だ。


 素直で、気遣いが出来て、純粋で、優しい。

 こんな素敵な人が孤独に震えて夜を過ごしているなんて、何か間違っている。

 こういう人こそが、穏やかな温もりに包まれて生きていくべきなんだ。

 こういう人こそが、本当の幸せを手にするべきなんだ。



 この人となら……



「クーちゃんとなら、楽しく暮らしていけそうですね」


 微笑ましいほどに分かりやすい素直な反応を見せてくれるクーちゃんを見て、素直にそんな言葉が出てきた。

 けれど、その言葉はクーちゃんを困らせてしまったようで――


「……ダメ、だよ」


 ――泣きそうな微笑みが僕に向けられた。


「わたしと結婚しても、手もつなげないし、一緒に眠ることも出来ないし……子供も、望めません。うっかり触れるだけで永遠の別れになってしまうような、そんな危険で悲しい結婚生活なんて送らせられません」


 今、クーちゃんが必死に作っているのは、今日見た中でもっとも悲しい笑みで。


「トラくんみたいに優しい人なら、なおさら」


 ちょっとやそっとでは意見を変えてはくれないということが分かり過ぎて、胸がざわつく。


「きっと、今日がわたしの人生で一番楽しくて、一番幸せで、もっとも大切な日になります。わたしは、今日という日を経験できたから、また明日からも生きていけます。それに、クマキチさんもいてくれるから、……もう、独りぼっちじゃないですし」


 ぎゅっと抱きしめられたクマのぬいぐるみが、寂しそうに歪んだ。


「今日、来てよかったです。勇気を出してお見合いをして、本当によかった」


 まるで自分に言い聞かせるようにそう言って、クーちゃんは長い息を吐く。

 吐き切った後で、にっこりと笑う。


「トラくんに出会えて、本当によかった」


 もう終わってしまったかのように、別れの言葉みたいなことを口にするから、泣きそうになってしまった。

 奥歯を噛みしめ、昂ぶる感情を悟られないように抑え込む。




『今日が私にとって人生最高の一日。ホント、生まれてきてよかった』




 弾けるような笑顔で言っていた姉を思い出す。

 結婚式の朝、僕や両親に「今までありがとう」なんて、別れの挨拶みたいなことをかしこまって言っていて……その時には、なんの予感もなくて、嫌な感覚なんか何もなかったのに……


 今は……


 …………ダメだ。



「まだです」


 このざわつきが起こると、僕は……


「お見合いは始まったばかりでしょう?」


 目の前の人の手を取らずにはいられなくなる。


「最高だったかどうかは、終わりの時に考えるものですよ」


 その人の手が震えていたのなら、なおさら。


「最後の最後で一発大逆転だってあり得るんですから」


 最高はどんどん塗り替えていかなきゃいけない。

 これ以上ないだろうって幸せな時でも、それ以上の幸せで記録を塗り替えていくんだ。いけるんだ。


 生きている限り、必ず。


「だから今日は、『これまでの人生で最高の一日』にしましょう」


 だから、未来を閉ざすようなことは言わないで。


「お見合いは、まだ始まったばかりですよ」


 腹の底でぐるぐる渦巻く重苦しい感情を誤魔化すように、とぼけた笑顔を作ってみせる。

 ぎこちなくても、笑顔は伝染していく。

 僕の気持ちを察してくれたのか、クーちゃんも笑ってくれた。ぎこちなく。

 あ。ぎこちなさまで伝染しちゃった。


「美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て、そしてまた可愛いものを買いましょう」

「……ふふ。盛りだくさんですね」

「もちろんです。最高の一日にするんでしょ?」

「……そう、ですね。これまでの人生で、最高の一日に」


 少しだけ言葉に詰まり、必死に涙をこらえて、クーちゃんは笑ってくれた。


「……ありがとう、トラくん」


 最後の言葉は、風に紛れるような小さな声で。

 だから、返事はせずに笑ってそれに応える。


「さぁ、次はどこに行きましょうか?」


 重い話はここまでにして、楽しいお見合いの再開です。そう宣言するつもりで投げかけた質問には、もっとも難しい答えが返ってきた。


「トラくんにお任せします」


 さぁて、どうしたものか……

 どんな学者も歴代の偉人でさえもきっと頭を悩ませるであろう難問に頭を捻りながら、僕は膨れ上がった孤独感を必死に抑えつけて、それを笑顔で誤魔化した。






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