諦観するわけ -3-

 道すがら、『クレイ・バーラーニ』というのはクレイさんの名前ではないという話を聞いた。


「『クレイ・バーラーニ』というのは、元の世界の民たちがわたしをそう呼んでいたので、今もそのまま使い続けている呼称なんです」


 そうか。

 クレイさんの母親はクレイさんに名前を付ける前にいなくなっちゃったから……


「『世界』に来て知ったんですけれど、普通の人はご両親が名を付けるんですよね?」

「まぁ、多くはそうなんでしょうけど、そうじゃないことも割と多いんですよ」

「そうなんですか?」

「えぇ」


 古い名家なんかだと、家長が名前を付けたりするらしい。お祖父ちゃんが孫に名を付けたりね。

 他にも、恩人に決めてもらったり、姓名判断の人に依頼したり。

 徳の高い和尚様にお願いしてものすごく長い名前を付けられたなんて落語もあるし。


「僕の場合、名前を付けたのは姉なんです」

「お姉様が?」

「そうなんです」


 僕が生まれた時、「この子の名前は『トラキチ』でなきゃダメ!」と姉が頑として譲らなかったらしく、姉に甘く割とノリと勢いで生きていた両親は「じゃあ、それで」と了承したのだとか。


「実はですね、ウチの家では『タツキチ』というシベリアンハスキーを飼っていまして」

「しべりあん……?」

「大きな犬です。で……『タツキチ』と対になるように『トラキチ』と」

「犬、基準でですか?」

「はい。犬ありきで、です」


 ――と、いうのは、実は姉の冗談だった。

 僕が信じ込んでいたからネタばらしが遅くなったとか言っていたけれど、小学校三年生になるまで、ずっとそれが真実だと信じていた。

 でもよくよく聞けば、タツキチがウチに来たのは僕が生まれた後なんだとか。

 けどまぁ、ハスキーとペアの名前ってのは変わらないんだけど。


 なんだかその分かりにくくて誰も得しないイタズラが姉らしくて、真実を知った後も僕の名前の由来は姉の冗談が正式な理由なのだと言っている。

 タツキチ、可愛かったし。僕に一番懐いていたし。


「『トラキチ』と『タツキチ』は対になる意味なんですか?」

「えぇ。僕の故郷では龍と虎はライバルみたいなモノで」

「トラキチさんはどちらなんですか?」

「え? えっと、……虎、です」

「強そうなお名前なんですね」


 異世界交流は難しい。

 当たり前に伝わると思った事柄も、同じ時代、同じ文化を生きてきたからこそ理解を得られるものであって、僕の普通は誰かの普通では決してないんだ。

 統合の際に脳を弄られて言葉を理解することは出来るようになった。けれど、言葉に含まれる意味までもを意思疎通できるかといったら、そんなことはない。そんな当たり前のことに今さら気付いた。

 でも、悲観することなんか何もないと思う。

 知らないことは素直に聞けばいいし、理解を得られないならば分かるように伝えればいい。ただそれだけのことだ。

 相手が之人神であろうと誰であろうと、今この時を一緒に過ごしている人を知ろうという気持ちさえあれば、きっと分かり合うことは出来るはずだから。

 人間関係って、どんな世界であろうと、そういう風に築いていくものだと思うから。


「ちなみに、『クレイ・バーラーニ』ってどんな意味になるんですか?」


 僕には名前のように聞こえているが、向こうでそう呼ばれていたのなら『退魔の女神』のような意味の言葉なのかもしれない。


「『クレイ・バーラーニ』は、『灰色の泥沼』という意味、です」


『女神』ですら、ないのか。

 なんか、無性に腹が立つ。

 そもそも、一人の女神様に自分たちの不幸をみんな押しつけたからこういうことになったんじゃないのか。

 なのに、自分たちばっかり被害者みたいな顔をして、『灰色の泥沼』なんて呼び名を勝手に付けて…………


 なんだか、『クレイさん』って呼ぶのが嫌になってきた。

 きっと、彼女は気にしないと言うだろう。『仕方ない』と諦めたような顔で。

 それが、なんだか嫌だと思った。


「あの……トラキチ、さん?」


 僕がふて腐れていたからだろう。彼女が心配そうに顔を覗き込んできた。


「始めに聞いた時は、とっても素敵な名前だと思ったんですけど」

「えっ、……わたしの名前が、ですか?」


 えぇ。

 なんか頭よさそうで、静けさを感じさせて、素敵な響きだと思った。

 けど、意味を知ってしまうと……


「あだ名付けていいですか?」

「あだ、名…………ですか?」

「はい。仲良し同士で呼び合う特別な呼び名です」

「なか、よし……」


 真ん丸な目をして、破れた手袋で唇に触れる。

 呆然としたまま、唇だけが微かに動く。


「……いいんですか?」

「もちろん。いや、是非」


 許可が下りたので早速考える。

 なんとなく可愛らしい響きで、けどまぁ、元の名前の響きを逸脱しない範囲で……

 あぁ、そういえば学生時代の友人のあだ名ってろくでもないモノばっかりだったなぁ。『和尚』とか『いがぐり』とか『鬼瓦』とか。

 僕なんか「お前、誰かのそっくりさんに似てるよな」とかいうぼや~っとした理由で『贋作』ってあだ名を付けられた。

 ……誰が紛い物だ。


 そういうのじゃなくて、やっぱ名前からもじった方が無難かな。


「それじゃあ、『クーちゃん』というのはどうでしょう?」

「くぅ……ちゃん?」


 少し沈んだ声に「あ、安直過ぎたか?」と不安になったが、途端にぱぁあっと明るくなっていく表情を見るにどうやら気に入ってもらえたようだ。


「あ、あの……呼んでみて、くれますか?」


 幾分そわそわして、胸の前で手をぎゅっと握って、控えめなおねだりをしてくる。

 いいですとも。

 ……ちょっと緊張するけれど。息を吸って、落ち着いて、ゆっくりと。


「クーちゃん」

「…………っ。はい!」


 一度、ぐ~っと噛みしめた後、弾けるような笑顔で返事をしてくれた。

 よかった。あだ名は成功したようだ。


「では、トラキチさんは『トーちゃん』ですね」

「いえ、それだとお父さんになってしまうので……」


 丁重にお断りしておく。

 そんな、下町のやんちゃ坊主みたいな呼び方、クーちゃんには似合いませんし。


「わたしも、トラキチさんをあだ名で呼びたいです。これまでどんなあだ名がありましたか?」


『贋作』です。


「そうですね。名前から取って『トラ』っていうのが多いですかね」


 贋作は絶対口外しません。えぇ、絶対。


「で、では…………と、……トラ……くん」


 わはぁぁ……

 なにこれ?

 あまずっぱぁ~ぃ。


「……は、はい」

「…………えへへ」


 ものすごく照れる。

 照れ過ぎて次の会話が始まらない。

 これ、このまま放置したらここで一日が終わる。


「お店に行きましょう!」

「そ、そう、ですね」


 会話は進まなくとも足なら進む。

 僕たちは言葉少なに目指すお店へと向かった。





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