諦観するわけ -2-

「クレイさん」

「は、……はい」

「それじゃあ、行きましょうか」

「はい。お願いします」

「どこか行きたいところがあれば遠慮なく言ってくださいね」

「はい。……ありがとうございます」


 遠慮なのか照れなのか、クレイさんは僕から一歩下がった位置をキープするようにゆっくりと歩き出す。

 デートならば、手とかつないだりするのだろうが……さっきのアレは、やっぱり手をつないだせいで起こった現象なんだろうな。


「あの、聞いてもいいですか? 嫌なら答えなくて構いませんので」

「なんでしょうか?」

「手をつなぐと、さっきのようなことになるんですか?」


 クレイさんが小さく息をのむ。

 やはり、あまり触れられたくないことのようだ。

 けれど、何も聞かず、何も知らないまま一緒に過ごして、無知ゆえにとんでもない大失態を演じてしまうわけにはいかない。

 聞くことでそれを未然に防げるのなら、僕はその情報を知っておきたい。


「教えていただけると、この後いろいろ注意できますし。もちろん、無理にとは言いませんけれど」

「いえ……あの。お気遣い、ありがとうございます」


 すっと、静かに頭を下げて、クレイさんはゆっくりと話し始めた。

 手のひらの部分が大きく破れた手袋を見つめながら。


「わたしは、触れたモノの生命を奪い取ってしまう身体なんです」

「それは、手で、ですか?」

「いいえ。全身です」


 こちらに向けられた笑みは、この世に絶望しているような、世界の終末を悟った人が見せるような、諦めに満ちたものだった。


「この肌も、髪も、わたしを構成するすべてのものは、生あるモノの命を奪います。植物も、動物も、……人も、皆等しく」


 それは呪いなのだと、彼女は言った。


「わたしの母は、他者の不幸を吸い取る『退魔の女神』として人々に崇められていました。けれど、数百年に亘り他者の不幸をその体内に溜め込み続けた母の体はついに限界を迎え……わたしが生まれました」


 他者から吸い取った『不幸』が体内で集まり強力に圧縮され、一つの生命を生み出した。

 それが、彼女――クレイ・バーラーニと呼ばれる神なのだそうだ。


「生まれ出でた時、わたしは触れることもなくそばにあるありとあらゆるモノの生命を奪い始めたのだそうです」


 女神様の子孫が生まれると祝賀ムードだった国は一転、絶叫と絶望に塗りつぶされた。


「退魔の女神として民に愛されていた母は、その日から『死神を産んだ魔神』と呼ばれ酷い迫害を……」


 それらはすべてクレイさんが生まれた直後の出来事で、クレイさん自身は詳しく覚えていないのだそうだ。


「それでも、母の記憶の断片がわたしの頭の中に微かに残っているんです。最後の、母の行動も」


 これまで庇護してきた民たちに追われ、退魔の女神は生まれたばかりの我が子を抱えて嵐の森を逃げ続けたのだそうだ。

 守りの護符でぐるぐる巻きにして。

 そんな守りの護符も一日で焼き切れ、ついに退魔の女神は我が子を抱きかかえることすら出来なくなってしまう。


 滝のように打ちつける豪雨と荒れ狂う轟雷の中、洞窟に逃げ込んだ退魔の女神は――


「すべての元凶となった憎き忌み子の顔を睨みつけ、首を絞めたのです。『目を逸らすな。決して忘れるな』と呪詛の言葉を吐きながら……きっと、すべての不幸の原因はお前だと恨んでいたのでしょう……。けれど、退魔の女神の力は忌み子には敵わず、忌み子が窒息するよりも先にその命を奪い取られてしまったのです……」


 めまいがした。

 なのに、視線が外せず、身動き一つ、呼吸一つ出来なかった。


「わたしは、母を殺したのです」


 もう何度も、その現実と向き合い続けてきたのだろう。

 そう告げた彼女の表情には、なんの感情も浮かんでいなかった。悲しみすら枯れ果ててしまったかのような、空虚な瞳がそこにあった。


「ただ、退魔の力が少し働いたのでしょうね……それ以来、そばにいるだけで命を奪うということはなくなりました。……もっとも、触れれば命を奪われるのですから、不気味な存在であることには変わりありませんけれどね」


 そうして、自嘲するように唇を歪める。

 その表情がとても苦しそうに見えた。


「ですので、決してわたしには近付かないでくださいね。間違って触れてしまえば、取り返しのつかないことになりますから」


 植物でも動物でも、加工品のように生命活動を行っていないモノは触れても変化がないらしい。

 けれど、衣服などに包まれていても、手をつなぐなどの接触をするとたちまち命を奪おうと『力』が暴走するらしい。


 遮蔽物となっていた手袋を焼き切って僕の命を奪おうとしたように。


「わたしも、なるべく近寄らないように気を付けます」


 そんな寂しいことを言って、諦めたつもりになっているくせに今にも泣きそうな表情で下手な笑みを作ってみせる。


「だから、トラキチさんもわたしには近寄らな……」

「ということは!」


 だから、すっごくバカなことを言いたくなった。


「突然抱きつかれたりしたら大変ですね」

「…………へ?」


 驚いた時に顔を覗かせる素の表情は、本当に無防備で、幼くて。

 さっきの話が事実なら、クレイさんはずっと誰にも甘えることが出来ずに今まで生きてきたことになる。

 ずっと一人で、過去のことを何度も何度も思い返して、その度に何度も何度も自分を責めたのだろう。

 そして、無理やり自分に言い聞かせたのだ。

 自分を取り巻くすべての環境を、境遇を、不幸を、『仕方ないんだ』と。

 そうして諦めなければいけないと思いながら……心のどこかで救われたいと切実に願っているんだ。


 だから、何度も何度も言い聞かせてきた『仕方ない』『諦めなければいけない』って感情の、その範囲外の出来事には、こんなにも無防備な表情を見せてしまうんだ。


 だったら僕は――


「だって、手袋がそんな風になっちゃうんでしょ?」

「え………………はっ!?」


 破れて手のひらがあらわになった自分の手を見て、もしこれが服で起こったらどうなるかを想像したのだろう、クレイさんの顔が真っ赤に染まった。


「気を付けましょうね、お互いに!」

「きゅ……っ」


 返事しようとして、恥ずかしさのあまり喉が締めつけられたのだろう。

 クレイさんの喉から変な音が漏れた。

 小動物の鳴き声みたいで可愛かった。


 そして、真っ赤な顔でどう反応していいのか分からずにおろおろしているクレイさんも、とっても可愛かった。


 そうだ。

 だったら僕は、変な冗談でもなんでも言って、クレイさんの素顔をたくさん見せてもらおう。

 クレイさんがこれまで過ごしてきた時間とはまったく違う時間を一緒に過ごそう。

 クレイさんが見てきた景色とはまったく違う景色を一緒に見よう。


 自分の人生や未来がたった一つしか用意されていないと思い込んでいるクレイさんに、無限の可能性を見せてあげられるように。



「ん、んんっ!」



 僕が決意を新たに、今回のお見合いに臨もうと意気込む中、カサネさんが大きめの咳払いをした。

 そちらを見ると、胸のポケットから黄色いカードが取り出され、僕の目の前へと突きつけられた。


「警告1、です」

「イエローカード!?」


 まさか、そんなルールが存在したとは!?

 まさか、アディショナルタイムとかありな感じでしょうか?


「警告三回で強制終了です」

「誓って、不埒な行為はいたしません」


 片手を持ち上げ宣誓する。

 カサネさんとクレイさんに向かって。

 ……すみません。冗談を言うにしてももっと気を遣うべきでした。いや、インパクトがある方がいいかなぁ~って思ったんですけど…………ホント、すみません。

 セクハラって、言わないでください。本当に、反省しております。


 深々と頭を下げると、「まぁ、意図は理解できますけれど」とカサネさんが呆れた顔で息を吐き、クレイさんも「わたしも、気にしていませんので、どうか頭を上げてください」と優しい声をかけてくれた。


 優しさが身に沁みます。

 ……と、同時に。


 …………僕、なんか本気で結婚できない気がしてきた……


「それじゃ、あの……行きます、か? お店」


 肩を落とす僕を覗き込みながらクレイさんが気遣わしげに声をかけてくれる。

 はい。行きましょう。

 ここでのあれやこれやを忘れるために、楽しい思い出で上書きせんがために。






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