ざわざわと波立ち始める -1-
お見合いピクニックの時、僕のお弁当作りをずっと隣で見ていたチロルちゃんは、おにぎりが大層気に入ったようだ。
「はい、とらー! おににぎー!」
舌っ足らずなしゃべり方で僕に笑顔とおにぎりを差し出してくれる。
自分でも作りたいとおねだりされた僕は作り方を教えてあげたのだ。作り方といっても「熱いから気を付けてね」とか「強く握り過ぎちゃダメだよ」とか「中の具は好きなものを入れればいいんだよ」とか、その程度だけれど。
「ありがとう、チロルちゃん。中身は何?」
「おににぎー!」
わぁ、ご飯と具の境目が分からない。
そっかぁ、チロルちゃんおにぎり大好きだからなぁ。
それはそれとして、ちょっと大き目の塩結びはとても美味しかった。
この年齢にしてこの絶妙な塩加減。チロルちゃんは将来素敵な料理上手になるに違いない。
顔立ちは美人なセリスさんにそっくりだし、さっぱりとした前向きな性格と面倒見のよさは師匠似だ。
きっと、花婿候補がわんさか押しかけて大変なことになるだろう。
「チロルちゃんはきっと、モテモテさんになるだろうね」
「じゃあ、とらがあまってたら、もらってあげるねー!」
「う、うん……余らないように精進するよ」
この素直過ぎる性格が、成長する過程でどこまでなりを潜めるか……悪化しませんように。
「うふふ。チロルは本当にトラ君が好きねぇ」
チロルちゃんが作ったのだと思しき巨大な塩結びを片手に、セリスさんが微笑ましそうに目を細める。
セリスさんの細い指に持たれていると、おにぎりがことさら巨大に見える。
「チロルが羨ましがっていたのよ、ピクニック。トラ君と行きたいんですって」
「じゃあ、今度みんなで行きませんか? お弁当を持って」
「あら、いいわね。じゃあそうしましょうか」
「やったー! だんじょんー!」
「違うよ、チロルちゃん!? 行くならもっと安全でのんびりしたところにするよ!」
ティアナさんのいない帰り道は、それはもう命の危機の連続で……本当に、よく生きて帰ってこられたもんだと自分の幸運に感謝しきりだった。
ダンジョンなんて、もう二度と潜らない。あそこは一般人の立ち入っていい場所ではない。
「南東に大きな運河が流れてますよね? あの辺りはどうですか。それほど遠くないですし、大きな船が行き来するのを見ればチロルちゃんも楽しいと思いますし」
「そうね。その距離なら、チロルも歩けるわね」
この街の入り口には大きな港がある。
そこから延びる運河は、この街のシンボルでもある王城へと延び、途中途中に荷揚げ場を設けて街の流通の要になっている。
――らしい。
カサネさんに教えてもらった情報だ。
僕の行動範囲がこの銀細工工房と結婚相談所の間の狭い区間に限られているってこともあるけれど、運河は市街地からは少々離れた位置にあるため、これまで見かけることはもちろん、その存在を知ることすらなかった。この街、大きいから。
だから、ちょっと見てみたいんだよね。運河。
「それじゃあ、今度は私がお弁当を作るわね」
腕まくりをして得意げな顔で僕を見るセリスさん。
僕のお弁当作りをチロルちゃんと一緒に見ていたセリスさんは「そういうやり方もあるのねぇ」とか「楽しそうねぇ」とか「いいなぁ……いつか私も」とか、結構大きめな独り言を言っていたのだ。自分では気が付いていないようだったけれど。
なので、家族でピクニックに行くならばこれは絶好の機会だ。と、この会心の笑みなのだろう。
家族の喜ぶ顔が大好き。そういう人なのだ、セリスさんは。
「セリスさんって、本当にいいお母さんで、いい奥さんですね」
「あら、どうしたの急に。褒めたって何も出ないわよ?」
「いえ。セリスさんみたいな人がいれば、僕もすぐ結婚するんだろうなぁって」
「じゃあ、チロルがお勧めね」
「いえ、そこまで『みたい』じゃなくても……」
似てますけどね、ものすごく。
顔も、言動も、発想も。
あと念のため言っておきますが、年齢制限ありますので、僕。
「ねぇ。トラ君は何か入れてほしいものある?」
「そうですねぇ……」
セリスさんの手料理は本当に美味しい。
どれもこれも美味しいので、好物を決めるのが大変なくらいだ。
「セリスさんの手料理ならなんでもいいです。僕、全部好きなので」
「まぁ、トラ君ったら!」
突然のハグ。
それも全力でぎゅーっとされている。
いや、あの、セリスさん!?
「なんていい子なの、あなたは!? そんな嬉しいこと言ってくれちゃって!」
なんだかすごく感激されたようだ。
セリスさんは料理に自信があり、手料理を食べさせるのが大好きなのだそうな。
師匠と結婚したのも、美味しそうに食べてくれるからだって言ってたし。
けど、こうやって全身で感情を表現してくれる人って、いいなぁ。
「もう、一生ウチにいていいからね! 結婚とか出来なくていいから!」
「いえ、結婚はしますけども!?」
これ!
この出て来ちゃいけない一言がぽろりしちゃう感じ!
しっかりと一人娘に遺伝しちゃってますからね!
そして環境がその悪癖を矯正しにくくしているんですよ! 気を付けて!
「チロルも! チロルも!」
セリスさんに抱きしめられる僕の足元で、チロルちゃんが両腕を広げてぴょんぴょん飛び跳ねている。
セリスさんを僕に取られて拗ねているのだろう。
ごめんね、チロルちゃん。
セリスさんから離れて、お母さんをチロルちゃんに返してあげる――つもりだったのに、なぜかチロルちゃんが僕にしがみついてぎゅーってしてきた。
いや、そっちかーい!?
「うふふ。本当にチロルはトラ君が大好きねぇ」
「あはは……」
「ひゅーひゅー」
「ひゅーひゅーはおかしいでしょ!?」
セリスさん、いまだに掴みどころが分からない。
「お、なんだなんだ、トラ。羨ましいことしてもらってるじゃねぇか」
一階の工房から、師匠がのそりのそりと上がってくる。
「おとーしゃんも!」
ぱっと僕から飛び退き、師匠に笑顔を向けるチロルちゃん。
そして、腕を大きく僕の方へと振って『どうぞ』みたいなジェスチャーを……いやいや、『どうぞ』じゃないから。師匠が抱きしめたいのは僕じゃないから。
当然、師匠は僕から離れたチロルちゃんをぎゅっと抱きしめる。
大きな師匠の腕の中で、小さなチロルちゃんがことさら大きな声で言う。
「そっちかーい」
そっちだよ!
どー考えてもそっちしかないから!
あと、その口調どこで覚えたの?
え、僕?
「あぁ、そうだ。トラ、お前に客だぞ」
「お客さん? 僕にですか?」
工房を訪ねてくる僕の知り合いといえば、カサネさんかエリアナさんくらいだ。
エリアナさんのところの銀食器の納期はまだまだ先だし……、やっぱりカサネさんかな。
あれから10日くらい経つし、次の面談日を知らせに来てくれたのかな?
あ、もしかして、ベーグルが美味しいっていうトカゲのしっぽ亭に案内してくれるのかも。
「分かりました。すぐに降ります」
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