ざわざわと波立ち始める -2-

 階段へ向かって歩き、少しだけ服の汚れを払い、髪を整えて、大きく深呼吸してから一階へと降りる。

 身だしなみは大事。

 ダンジョンでの半裸事件の後、特にそう思うようになった。


 カサネさんも、あんな格好になっちゃって大変だったし…………と、あの時の姿が不意に脳内に浮かんで、階段の途中で思いっきり頭を振った。

 出て行け! こんなとんでもない妄想は出て行くといい!

 きっと、あの姿はカサネさん的には黒歴史に違いない。僕の半裸がそうであったように、思い出してほしくない過去に違いない。だから思い出すな。あのキワッキワの丈の大きめTシャツとか、そこから覗く陶器のように真っ白な太ももとか……



 出て行けーい!



 さっきよりより鮮明に思い出してどーする、僕!?

 振りが甘いか?

 もっと振らなきゃダメか僕!? えぇ、そうなのか、僕!?


 階段の途中で限界を超える速度で頭を振り乱していると、不意に頭がふらっとして足を踏み外した。

 ずだだっと、すごい音がして、僕の体は階段の中ほどから転がり落ちていった。


「おい、大丈夫か、トラ!?」

「は、はい。ちょっと、滑っちゃって……」


 真実は闇の中……というか、言えるわけもないので口を閉ざしておく。


 なんだかばっちり見られてしまったような気がして、入り口の方へ顔が向けられない。

 また、なんともみっともないところを……

 一応、手遅れ感が否めないところではあるけれど、乱れた髪の毛をささっと整え、襟を正す。

 なんだろう、この羞恥。妙に恥ずかしい。

 一度深く深呼吸をして、頬を持ち上げて振り返る。


「お待たせしてしまってすみません」

「へぇ、お気遣いおおきに。せやけどウチ、気にしとりまへんえ」

「誰ですか!?」


 舞妓さんがいた。

 ものっすごいはんなりした舞妓さんが、可愛らしく僕に手を振っていた。


「いややわぁ、トラキチはん。お友達になってくれる言ゎはったのに、もうウチのこと忘れてしもたんどすか?」

「その完璧ななりきり……ミューラさんですね?」

「正解どす」

「メイクを取れーぇぇい!」

「あ~れ~、ご無体どすぅ~う!」


 別に帯を掴んでくるくるなんかしていないのにソレっぽい悲鳴を上げるミューラさん。

 やめてください。チロルちゃんが真似しますから。すぐ吸収しちゃうんですから。


 洗面所へ連れて行き、メイクと服装を普段のものに戻させた。

 さっぱりした後のミューラさんは、多少見慣れた感のある幼い顔をしていた。


「うぅ……トラキチ君のドS……」

「人聞きの悪いことを言わないでください」


 なんとなく、居住スペースに留め置いておきたくなくて、すぐさま店舗へと連れてきてしまった。

 こういう雑な扱いが出来るのも友達ならではだよね。


「折角、トラキチ君が記録更新したって聞いたからお祝いしに来てあげたのにぃ!」

「祝うような記録じゃないことはご存知のはずですけども!?」

「だって、こういう機会でもないとさ、トラキチ君、遊びにも来ないし」

「それは、まぁ……僕も修行中の身ですから」


 嘘だ。

 本当は、友達になってみたものの、よくよく考えたら女友達とかいたためしがなくて、女の子とどんな風に遊べばいいのかが分からなくて腰が引けていただけだ。

 デートする、ってわけじゃないし、男友達とするようにだらだら時間を潰すっていうのもちょっと違うような……

 あと、この年齢になると友人関係って節目の挨拶くらいになっちゃうんだよねぇ……


「とにかく! 友達なんだから遊びに行こうよ」


 もしかしたら、破談した僕を慰めに来てくれたのかもしれないな。


「ちょっと、相談したいこともあるしさ」


 薄っすらと頬を染め、それでもたまらなく楽しそうにはにかむミューラさん。

 あ、違う。慰めに来たんじゃないな、この人。


「好きな人でも出来たんですか?」

「にょっ!? にょんで分かるにょ!?」

「それは何かの模倣ですか? 素ですか?」


『分かるにょ?』と言われても……分かりますよ、そりゃ。

 そんな可愛らしい顔をしていたらね。


「どんな人なんです?」

「ちょほっ!? こ、ここで話すの!?」


 非常にユニークな来客に興味を惹かれたのか、師匠をはじめセリスさんもチロルちゃんも遠巻きにミューラさんを見つめている。

 その視線を感じて、ミューラさんは頬を赤く染める。


「や、やっぱさ、いわゆるその……恋の話、っていうの? そーゆーのはさ、もっとこう、人のいない静かな場所で、二人っきりで、ゆっくりたっぷりねっとりと話し合うもんじゃない?」

「表現がちょっと卑猥ですよ、ミューラさん……」

「そっ、そんなニュアンス含んでないもん! そーゆー風に考えるトラキチ君が卑猥なんじゃないか!」

「おかしゃーん。ひわいってなぁに?」

「ん~、そうねぇ……、責任を持ってトラ君に教えてもらいなさい」


 ごめんなさい!

 チロルちゃんに面倒なワードを教えてしまって、本当にごめんなさい!

 だから、『チロルちゃんにあとで説明』の罰だけは勘弁してください!

 僕には荷が重過ぎます!


「行きましょう、ミューラさん! ここは危険です!」


 主に、僕が!


「おぅ、トラ。出かけるのはいいが、昼過ぎには戻れよ。お前にも一つ銀を磨いてもらうからな」

「はい!」

「気を付けてね、トラ君」

「とら~! またね~!」


 師匠たち一家に見送られ、ミューラさんの背中を押しながら僕は工房を飛び出した。


「いい家族だね」

「はい。そう思います」


 そう言ってもらえて、誇らしかった。

 少しくすぐったくて、優しい感情に満たされる。


「おかーしゃーん。あの人がとらをフッた人~?」

「ううん。あれは、トラ君がフッた人」

「あー、かわいそうな人?」

「そうね。可哀想な人ね」


 そんな声が聞こえるまでは。


「……トラキチ君。家でどんな風に話したのか聞かせてくれる? ちょっと興味あるなぁ」

「さぁ行きましょう! 時間は有限なんですから!」


 何も聞こえなかったことにして、僕はさっきよりも強い力でぐいぐいとミューラさんの背を押し、強引に前へと進んだ。






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