強くて弱い彼女 ティアナ・マッケンジー -4-

「よぉし! では、私の努力の成果を見せようじゃないか! お弁当、楽しみにしているといいよ。きっと美味しいから」

「そんなにハードルを上げて大丈夫なんですか?」

「もちろんだよ! 美味しいものしか入れてないからね」


 ドンと胸を叩き、そして得意げにウィンクを飛ばしてくる。

 これは俄然お弁当の時間が楽しみになってきた。

 目的地であるダンジョンの中の泉に早くたどり着きたい。


「トラキチ君、伏せて! モンスターだ!」

「うぎゃぁぁあああ!?」


 巨大なコウモリが僕の頭上すれすれを恐ろしい形相で飛び去っていく。

 ティアナさんに腕を引かれていなければ、頭を齧られていたことだろう。


 ……ホント、目的地であるダンジョンの中の泉に早くたどり着きたい、切実にっ!


「ちょっと待っててね。このオオコウモリは火が苦手なんだ。今追い払うから」


 言いながら、ティアナさんは上着のポケットからライターのようなものを取り出し、オイルランプのような小瓶に火をつけた。

 途端に小瓶が燃え上がる。正確には、小瓶の口から出ている芯が燃えているのだが……燃え過ぎじゃないですかねぇ。

 ガスバーナー級の火力を持つアルコールランプみたいになってますけど……


 巨大な炎を見て、オオコウモリが天井付近で暴れている。

 何羽か仲間が集まってきて大騒ぎをしている。

 ……怖ぁ…………


「やっぱ、戦って勝てるような生き物じゃないんですね、モンスターって……」


 ゲームのようにばったばったと薙ぎ倒していけるような生き物じゃない、目の前で暴れている巨大生物は。

 と、思ったら。


「いや、この程度のモンスターなら私一人でも殲滅は出来るんだけどね……」


 ティアナさんは、あの大型犬くらいある巨大なコウモリの群れを『この程度』と言い切った。……勝てちゃうんですか?


「けど……乱暴な女の子だって思われたくないから……」


 か~わ~い~い~。



 ……って和める状況じゃないんですってば!

 殲滅できるなら殲滅してくれた方が安心できるんですけどねぇ!?


 いや、でも、返り血まみれのお見合い相手って、それはそれでどうなんだろうって感じはしますけども……


「もうすぐ逃げていくと思うから、もうちょっとの辛抱だよ」


 にひひと笑って、イタズラをする時のように嬉しそうな顔で僕の頭を撫でる。犬にするように、わっしゃわっしゃと。


「保護欲を掻き立てられるね、君は。可愛いよ」

「いや……可愛いと言われましても…………」


 素直に喜べませんが。


「そういえば、相談員さんはどこに行ったんだろうか?」

「……えっ?」


 背筋に冷たいものが走った。

 振り返ると、カサネさんが……いない。

 少し離れた場所にいて、その距離を保ってついてきていたはずなのに。


 耳鳴りがし始める。

 息が詰まる。

 汗が、噴き出していく。


 冷静になれ、落ち着けと自分に言い聞かせて、慎重に辺りを見渡す。

 すると、ダンジョンの壁際にカサネさんの大きなバスケットが投げ出されているのを発見した。

 その壁をよく見ると……壁の一部に微かな隙間を見つけた。

 隙間というより……壁がズレている?

 まるで、からくり屋敷の回転扉のように…………まさかっ!


「カサネさんっ!」


 たまらず駆け出していた。

 このダンジョンには、いくつもの罠が仕掛けられているんだ。

 もし、カサネさんがその罠にかかっていたとしたら……


 手をかけると、その壁は予想通り軽い力で回転した。

 むわっとしたカビ臭さが鼻につく。

 長年閉め切られていた通路だったのか、壁や天井にかなりの量の埃がこびりついる。まるで洗っていない羊の毛のような、ベタベタでもこもこした分厚い埃が張りついている。

 床は……スネまで埋まりそうなくらいに埃が積もっていて、ドアを開けたせいか、夥しい量の埃が舞い、黄砂に霞む大地のように黄色く空間が濁っていた。



「カ、カサネさ~ん……!」


 あまりの惨状に少々腰が引けてしまった。

 暗闇と埃のせいで奥まで見渡せない通路に向かって声を投げかける。

 すると――



 ズモモモモモモ!



 と、埃が盛り上がり、ヘドロが絡みついた真っ黒い腕が埃の中から突き出されてきた。

 悲鳴を上げるべきか即座に逃げ出すべきか、一瞬の迷いが僕の体を硬直させて、僕はその黒い手に腕を掴まれてしまった。


「トラキチ君!」


 ティアナさんの声に、停止していた脳が再起動する。

 振り解かなければ――と、腕に力を入れた時。


「……けほっ」


 埃の中から、カサネさんの声がした。


「カサネさん?」

「けほっ、けほっ!」


 僕の腕を掴む手は、よくよく見てみると不安に怯えるように細い指に力がこもっていた。

 目を凝らしてみると、もうもうと立ち込める埃の向こうに、つばの広い帽子のシルエットが見えた。

 カサネさんだ!


「カサネさん、とにかく出ましょう」

「けほ……あ、あしが……」


 カサネさんのシルエットはどう見ても小さい。いや、低い。

 倒れ込んだ後、何かの理由で起き上がれないでいるようだった。

「足が」ということは、何かが絡みついているのかもしれない。……もしかしたら、モンスターが掴んでいるのかも!?


「カサネさん、しっかり掴まってください!」


 僕の腕を掴むカサネさんの手を払い、逆に腕を掴み返す。細い手首をしっかりと掴んで、こちらへ引くのと同時に自分が一歩前へと踏み出す。

 通路の中に踏み込むと、まるで沼にはまったかのような感触が足に伝わってきた。

 カサネさんの腕に絡みつくヘドロのような物体。それが床一面に沈殿しているのかもしれない。


 引き寄せたカサネさんの体は重く、何かの抵抗をはっきりと感じた。

 しかし、引き戻される感覚はなかったから、きっとヘドロに足を取られているのだろう。――なら。


「嫌だったら、ごめんなさい!」

「へ…………きゃっ!?」


 ぐっと体を近付けて、カサネさんの体を抱き起こす。

 腰に腕を回し、しっかりと僕の体に密着させる。

 トリモチのような強力な粘り気を感じた。これは、一人では立ち上がることすら難しかっただろう。


「強く引きます! 痛かったら言ってください」

「ひゃ…………はぃ……」


 歯を食いしばって、滅多に使わない背筋を全力で酷使する。

 勢いよく体を仰け反らせて、カサネさんの体をヘドロから引き剥がす。

 そして、相撲でいうところの『うっちゃり』みたいな動作で体を横に捻り、引き寄せたカサネさんを通路の外へと引っ張り出そうと試みる。

 最悪の場合、カサネさんだけでもこのヘドロまみれの通路の外へ、ティアナさんがいる外へと引っ張り出せればそれでいい。


「いきますよ!」

「あっ、あのっ、トラキチさん、ちょっと待っ……!」


 痛いのか、怖いのか、カサネさんは僕の体にぎゅっとしがみつき、慌てたような息をしきりに漏らしていた。


「相談員さん、手を!」


 ティアナさんが助けに来てくれた。

 通路の外からカサネさんを引っ張り出してもらえれば、かなり楽になるだろう。

 さぁ、カサネさん、早く手を!


「いえ、それは少し難しいかと!」


 なぜ、拒否を!?


 カサネさんは僕の腕の中で体を懸命に丸めている。

 僕にしがみついていた手を、今は自分の服の胸元を押さえることに使用している。


「ふ、服が……引っ張られて…………ぬ、脱げ……っ!」


 トリモチのような粘着物質に引っ張られて、ワンピースが脱げそうになっているらしい。胸元の手を離せば、きっと大変な事態になるのだろう。


 でも、カサネさん。知っていますか?

 両手が塞がっている上に踏ん張りが利かない状況で、さらに体を大きく仰け反らせているから、さっさと離脱してくれないと……


「へぶっ!」

「きゃぅ!?」


 ……二人揃って地面へ倒れ込んじゃうんですよね。ヘドロと埃の中へ。


「だ……大丈夫かい、二人とも?」


 もうもうと舞い上がった埃の向こうから、ティアナさんの声が聞こえてくる。

 心配半分、呆れ半分といった配分だろうか。

 とりあえず僕はカサネさんが無事でよかったなぁと安堵しつつ、今日はスーツじゃなくてよかったなんて貧乏くさいことなんかが脳裏によぎりつつ、カサネさんの今日の服がワンピースじゃなくてセパレートだったらもっと大変なことになってただろうな……なんてことを考えていた。






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