強くて弱い彼女 ティアナ・マッケンジー -2-
ダンジョンの中はほのかに温かく、外の寒風を忘れさせてくれた。指先と鼻の奥にまだ冷たさは残っているものの、もうしばらく歩いていればそれもなくなるだろう。
「思ってたよりも快適ですね」
そんな何気ない感想が壁や天井にこだまして妙に大きく聞こえる。
「だろう? 駆け出しの頃、宿代が稼げなかった時なんかはダンジョンに潜って夜を凌いだものだよ」
「へぇ、そんな苦労もされていたんですね」
「苦労、か……確かに、お金はなかったしおなかもすいていたけれど、仲間と一緒に無茶をするのは、それはそれでなかなか楽しかったからね。あの当時を苦労だなんて思ったことはなかったな」
ものすごく充実した人生を歩んできたのだろう。
当時を語るティアナさんは、とてもきらきらした表情をしていた。
「あっ!?」
突然の大きな声に体が「びくっ!」と震える。
な、なんですか!? モンスターですか!? 罠ですか!?
「女の子だ!」
――と、僕をまっすぐに見つめて断言するティアナさん。
…………いえ、僕、男の子なんですけど。
「駆け出しの時から一緒にパーティを組んでいたのはみんな女の子ばかりで、理屈屋のケイトと、頼れるお姉さんのパティエ、それからおっちょこちょいのキャットウーマン・アマーシア。それに私を含めた四人でダンジョンに挑んでいたんだよ、ずっと」
「そう、なんですか……」
急にそんなことを言われて、何の話かと混乱したのだが、次の言葉で合点がいった。
「いくら冒険者といえど、そういう節度はしっかり守っていたのだよ、我々のパーティは!」
要するに、男と野宿とか、同じ宿に泊まっていたわけではないという弁明だったようだ。
確かに、こんな何もない薄暗いダンジョンで男女一緒に何日も過ごしたなんていうと、それを嫌がる人もいるだろう。
忘れかけていたけれど、これはお見合いなのだから。
「ダンジョンで男女合同パーティを組んだことはない。誓って」
「……ぷふっ」
懸命に身の潔白を訴えかけるティアナさんの向こうで、小さな息が漏れた。
僕たちの視線がそちらへ向かうと、つば広の帽子で顔を隠したカサネさんの肩が小さく震えていた。
「……すみません。ちょっと、急だった、もので…………油断しました」
笑いをこらえつつ、平静を装って釈明するカサネさん。
……そんな面白いことは言ってないと思うんですが。
「と、とにかく」
カサネさんから僕へと視線を戻し、ティアナさんは真剣な顔で訴えかけてくる。
「男女でダンジョンに潜ったことは……」
「ぷふっ! …………くすくす」
「…………」
ティアナさんがじとぉっとした目でカサネさんを見る。
じと目に反してほのかに耳が赤い。ちょっと照れているようだ。
「……すみません……続……けて、ください……」
口を押さえて顔を俯けるカサネさん。
つばの広い帽子がぷるぷる揺れている。
「こ、こほん。……とにかく! 男女でダンジョンに潜ったことは断じょてない!」
「……噛みましたね」
「ぷふぅっ! や、やめてください、トラキチさん……折角、我慢しましたのに……っ!」
なんだか、僕のせいにされてしまった。
『断じて』が『ダンジョン』に引っ張られてしまったティアナさんはもう限界とばかりに赤く染まった顔を横向けている。
不服そうに頬を膨らまして、涙目で僕を睨む。
……やっぱり、僕のせいにされてますよね、これ。
「くすくす……ふぅ、すみません」
目尻の涙を指で拭って、カサネさんが大きく息を吸い込む。
「以前の『布団が吹っ飛んだ』以降、駄洒落が面白く感じるようになってしまいまして」
「ぶふっ…………布団が、吹っ飛んだ…………なに、それ? あはは……、く、くだらない……っ!」
と言いつつ、ティアナさんがおなかを押さえて笑い転げている。
駄洒落ブームですか、ここらへん一帯。
やめてください……なんか、恥ずかしいので。なんでだか分からないんですが、ちょっと恥ずかしいので。
「トラキチさんが教えてくださった、緊張しないおまじないなんです」
「えっ!? なんでそんなことになってるんですか!?」
いつ僕がそんなデタラメを吹き込んだことに!?
「え…………あの、……違うんですか?」
「えっと……はい。なんでそんなことになったのかは分かりませんが、『布団が吹っ飛んだ』では緊張は解れませんよ」
「いえ、割と解れますけれど?」
「実践済みですか!?」
「………………………………いえ、特には」
嘘だ!
今彼女は明らかに嘘を吐いた!
カサネさん。緊張する場面で「布団が吹っ飛んだ」って言ってたのかな? ……なんだろう、そのシュールな絵。ちょっと見てみたかった。
「けれど、緊張を解すおまじないは駄洒落だと以前に……」
「それはたぶん『人を飲む』ってヤツで、人に飲まれないように手のひらに『人』って字を三回書いて飲み込むってやつじゃないかと」
「…………はっ!?」
「そういえばそんなことあったな!?」みたいな顔ですね。
よかったです、思い出していただけて。
色白なカサネさんの頬がじ~んわりと赤く染まっていく。
「し、しばらく遠くから見守らせていただきます。相談員は、出しゃばり過ぎてはいけませんので」
そう言って、帽子のつばで顔を隠しつつ僕たちから距離を取るカサネさん。
ものすごく照れてるじゃないですか。
その照れ方、一回や二回じゃないですね? 「布団が吹っ飛んだ」って口にしたの。
「ど、どうぞ。私のことはお気になさらず、お二人で、男女でダンジョンをご満喫ください」
「ちょぉーっと、相談員さん!?」
蒸し返されて、ティアナさんの顔まで赤く染まる。
「す、少しの間、個人個人でダンジョンを楽しむとしよう。そ、そういうのも、乙なものだよ、きっと」
ふいっと顔を背けて、ティアナさんまでもが僕から遠ざかっていく。
ダンジョンを楽しめと言われても……一人にされると恐怖以外の感情が湧いてこないのですが……
「あ、トラキチ君! そこには落とし穴があるから気を付けて。はまると最後、モンスターの餌にされてしまうよ」
何気ないような雰囲気でとんでもないことを口にする。
昔見たトレジャーハンターものの映画を思い出しぞっと背筋が冷える。たしか、落とし穴の中には無数のコブラがいて……あぁ、想像だけで足がすくむ。
壁伝いに歩けば落とし穴は回避できると聞いたことがある。壁すれすれまで穴を広げることは困難だからだ。
だから壁に手を突いて歩いていけば……
「そこを触るとガスが出るよ」
キケーン!
このダンジョン超危険!
「もし落とし穴があったら、壁、天井、向かいの壁と蹴ってジャンプしていけば簡単に回避できるから」
「超高難易度なんですけども!? 忍者でも何人かしくじりそうなレベルで!」
すみませんが、普通に歩いて進める道を教えてください。
「それから、口呼吸をしているとモンスターが寄ってくるからなるべく鼻呼吸を心がけて」
「原理が分からないですけど!?」
「それじゃ、私は向こうで涼んでくるから」
「ちょっと待ってください、ティアナさん!」
一人にされてはたまらないと、僕から距離を取ろうとするティアナさんに喰らいつく。
「ティ、ティアナさんは、元トレジャーハンターなんですよね?」
会話をしましょう! 何気ない会話をしていれば、照れや恥ずかしさなんか感じなくなるはずです。
……なので、一人にしないでください。
「もう、引退されたんですか?」
「うん。そうなんだよね。……まぁ、仕方ないかな、って」
ふっと、ティアナさんの表情が翳る。
何かわけあり。そんな表情だ。
……けど、まぁそうか。
引退するっていうのには、何かしらやんごとなき理由があるものだ。野球にせよ、芸能界にせよ、ある種の決意のもとでその決断を下すのだろう、誰だって。
トレジャーハンターという職業も、きっとそうだったに違いない。
ずっと続けてきた仕事を引退する理由。
それはたぶん、何も知らない者が気軽に踏み込んでいいものじゃない。
半端な好奇心で他人の過去を探るのはよそう。
「いろいろ悩んだんだけどね」
「そうなんですか」
「ホント、あの時は大変だった……」
「そう、ですか」
「悩み過ぎて頭から煙が出るんじゃないかってくらいでさ」
「あはは……」
「いや~、ほんっと大変だったなぁ~!」
聞いてほしいの!?
え、話したくて仕方ない感じですか、これ!?
確実にこっち見てますよね? ちらちら、話を聞いてほしそうに。話したいオーラー出まくりで。
……聞いて、みようか?
「な、なんで、引退しようと思ったんですか?」
「すまないが、それは気安く他人に話せることではないのだ」
えぇ~……
「まぁ、それはそうですよね。大きな決断があったんでしょうし。変なことを聞いてしまってすみませ……」
「いやしかし! 将来の伴侶となるかもしれない相手だ。あながち他人とも言い切れるものではないかもしれないな!」
話したいんですよね!?
もう、完全に顔が話したがってますよね!?
「……ここだけの話にしてくれるか?」
僕は一向に構わないんですが、あなたが『ここだけの話』をそこかしこでしてそうな感じは否めませんね。
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