困るはずの困らない申し出 -1-

 朝目が覚めた時、私は少し憂鬱な気持ちでした。

 数日前の夢を見てしまったからです。

 花束を差し出され、プロポーズを受けた――そして、それをお断りした時の夢。


 やはり、少なからず私の心に負荷がかかっていたようです、あの出来事は。

 思い出してしまったことで、再び罪悪感がちくちくと胸の奥を刺します。


 もっと他に、言いようはなかっただろうか……と、自分を責める自分がいます。


「ハーブティーを、飲みましょう」


 考えたところで時間が巻き戻るわけでもなく、また、仮に時間が巻き戻ったとしても、私が取れる行動は決まっています。

 すなわち、お断りをする。多少言葉のニュアンスを変えたところで、結末は変わらないでしょう。

 で、あるならば。もう気にするのはよしましょう。


 ハーブティーを飲んで、今日という日を迎えましょう。

 今日は休日ですので、気分を変えるのにはちょうどよいでしょう。


「それに……」


 数日前のことを悔やむよりも、昨日の結果を、そしてこれからのことを考えましょう。


 トラキチさんのお見合いが破談に終わりました。

 双方ご納得しての結果ですので、必ずしも良くない結果であったというわけではないのかもしれませんが……やはり、気になってしまいます。


 当日、笑顔のまま帰路に就かれたトラキチさん。

 その心は、本当に目に見えていた通りに笑顔のまま、だったのでしょうか。


 立て続けに訪れた二度の破談に、心は傷付かなかったのでしょうか?


 不意に、オルガードさんのことが思い出されました。

 お見合いが終わった直後ははっきりとした手応えを感じておられて、「俺、今度こそ結婚できる気がするぜ」と自信を覗かせておられたオルガードさん。

 しかし、結果は先方からのお断り。


 それをお伝えしに伺った際、オルガードさんは庭先で泣き崩れられました。

 三度目の失敗に心が折れ、人目も憚らず、「今度こそは本気だったのに」と。

 そして、自信を喪失されたオルガードさんは、ご自身のすべてを否定され始めたのでした。

 職業がよくないのだと、収入がよくないのだと。果てはご自身のお顔の造形が不出来なのだと捨て鉢になられていました。


 そんな彼を前に、私はただ「次こそ頑張りましょう」と、「お相手のタイプを変更してみてはいかがでしょうか」と、「当相談所はこの近辺では最大手になるので、条件に合う女性はまだ多数いますよ」と、そのような励ましの言葉しかかけてあげることが出来ませんでした。


 もっとこう、男性が喜ぶような慰めの言葉でもかけてあげるべきだったのでしょうか。

 ご自分の容姿を卑下されていましたので、そのようなことは決してないと……たとえば、こう……「オルガードさんのウロコは、とても硬そうですよ」とか。


 ――と、気が付けばまた後悔の念に囚われていました。

 よくないですね。

 気持ちを切り替えなくては。


 今日は、昨日の反省をし、トラキチさんのお見合いの失敗に関して後悔するべき日ですのに…………いえ。後悔などしないようにしなければと、そう思っていたのでした。ついさっきまでの私は。


「また、甘くしてみましょうか……?」


 水を入れたケトルを手に、魔導コンロの前で立ち止まりました。

 昨日飲んだ甘いハーブティーは、なんだか優しい味がしました。

 まるでトラキチさんのように、甘く、優しく、温かい。……少し、渋みが強かったですけれど。


 今度は、渋くないハーブティーで。


 そう思うと、無性にそれを試してみたくなりました。

 私はケトルを置き、出かける準備を始めます。


 私の住むこの部屋には、角砂糖が存在していません。

 買いに行かなければ。


 角砂糖以外の砂糖はというと、それも存在していません。

 私は料理もしないので、調味料の類いはほとんど揃っていないのです。

 世の中には、私などよりもはるかに美味しい料理を作れる方が多数存在して、そのような方々がリーズナブルなお値段でその料理を提供しているのです。

 なぜわざわざ苦手な料理をする必要があるのでしょうか?

 買えばいいのです。その方が美味しいのですから。


 そういえば、朝食がまだですが……帰ってからでいいような気がしました。

 甘いハーブティーと一緒に、ベーグルでもいただきましょう。もしくは焼きおにぎりを。

 どちらでもいいのです。通りのお店を見てみて、その時決めましょう。


 寝間着を脱ぎ、スーツを身に纏い……ふと、手が止まりました。


 もし、トラキチさんが本当の本当は傷付いていたとしたら……

 そして、オルガードさんと同じように、ご自分の何もかもを否定的に嘆かれていたら……


 困ります。

 トラキチさんには硬そうなウロコはありませんし、他のところを褒めなければいけません。

 しかし、いざ男性を褒めるとなると、どこを褒めればいいのか……なんと声をかければ男性が喜んでくださるのか、まったく分かりません。

 ありのまま……で、いいのでしょうか?


「大丈夫です。トラキチさんには、きっと首輪が似合いますっ!」


 声に出してみましたが、何かが違う気がしました。

 困ります。

 もしまた、上手に励ますことが出来なければ……そうしたら…………


「どうしましょう……」


 明日の朝、トラキチさんが花束を抱えて私の前に現れ、そして私にプロポーズをしたりしたら……


「……どう、しましょう、か?」


 困ります。

 困り…………ます…………か?


 いえ、困るはずです。

 私は相談員で、トラキチさんは相談者様なのですから。

 そもそも、私などにプロポーズをするということ自体、正常な判断が出来ていないという証拠です。

 所長も言っておられました。



『カサネ君に比べれば、焦げ過ぎたベーグルの方がまだ柔らかいというものだよ。ぬゎっはっはっ!』



 ……今日の朝食から、ベーグルという選択肢が消えました。

 焼きおにぎりにしましょう…………焼きおにぎりも、ちょっとカリカリしてますよね…………


 所長のせいで、覚える必要のない苛立ちを覚えてしまいました。

 休日に思い出すべきではないですね。忘れましょう。


 とにかく。

 万が一にもトラキチさんがそのような迷走をされるのだとすれば、それをきちんと諫めるのが相談員たる私の役割です。


 よし。

 やはり買い物へ行きましょう。

 甘いハーブティーを飲んで英気を養うのです。そして、休みが明けたら、今度こそトラキチさんに相応しいお相手を探し出すのです。

 今度はきちんと、私の判断で。


 懸命に働き、結果を残し――それをもってトラキチさんへの謝罪といたしましょう。


 そうと決まれば善は急げです。

 私は小さなバッグにお財布だけを入れて、外へと出たのでした。






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