知らない彼女を知りたい欲求 -2-
「そうだわ、トラ君。悪いんだけれど、チロルの仮装のアイテムを一つ買ってきてくれないかしら?」
「アイテム、ですか?」
「そうなの。買い忘れちゃって」
犬耳チロルちゃんに必要なアイテムというのは、一体なんだろうか?
「尻尾、とかですか?」
「しっぽなら、あるよー!」
無邪気に言って、チロルちゃんがくるんっとこちらに背を向ける。
そして上半身を傾けてオシリを突き出すと、おもむろにスカートを捲くり上げた。
その瞬間、僕の視界から光が失われた。
「見るなぁぁあ! トラァァアアアアア!」
そんな叫び声と共に、師匠の巨大な手が僕の目を覆い……というか、これもう完全に顔を鷲掴みにされているわけだけれども……そのまま僕を抱きかかえて走り出した。
どたばたと床を蹴る音がしたかと思えば、ガタつくガラス窓の音が聞こえ、腸がふわっとするような浮遊感を感じた。
二階の窓から飛び降りてませんか、この師匠!?
んんんどっしーん……と、巨体が地面に着陸した音と振動が僕の体やら鼓膜やらを震わせて、そこでようやく僕は解放された。午前の爽やかな日差しが視界に返ってくる。
おぉう……本気で外だ。冗談抜きで二階の窓から飛び降りたんですね、師匠。僕を抱えたままで。
「危なかったぜ……」
「えぇ……まったく」
「危うくチロルが嫁にいけない体になるところだった」
「いえ、僕の生命活動が終わるところだった、ですよ」
「はっはっはっ、大袈裟だなぁ、二階から飛び降りたくらいで」
バシバシと僕の背中を叩いて笑う師匠。
いや、大袈裟なのは女児のパンツくらいで窓から飛び降りようとするあなたの方ですよ。
あぁ、でもまぁ、「パンツくらい」とは言っちゃダメか。娘を溺愛している父親心を考慮するならば。
……まったく。師匠の親バカぶりも、もう少しなんとかなればいいのに。
「トラくぅ~ん!」
ぱたぱたと、セリスさんが工房から出てくる。
「ごめんねぇ。大丈夫だった?」
「えぇ、まぁ、なんとか」
僕の胸を、肩を、背中を、頭をペタペタと触り、心配そうに僕の全身を確認するセリスさん。
「よかった、どこもへこんでないわね」
心配……されているのだろうか、これは?
銀細工職人の妻のクセ……なのかな? へこみ確認。
セリスさん、まともそうに見えるけれど、結構独特な感性の持ち主なんだよなぁ……天然というか。
チロルちゃんの奔放さは、結構な確率で母親似だと、僕は思っている。
「もう、ダメよあなた。トラ君はあなたみたいに頑丈じゃないんだから。めっ」
「がはは! 悪い悪い」
セリスさんに叱られ、師匠が大きな手で頭をかく。
相変わらずイチャイチャしているな、この夫婦は。……僕の理想だ。いいなぁ。
「めっ」って怒ってくれるお嫁さんが欲しい。
「そうだ、トラ君。ちょっと、ちょっと」
と、可愛らしく手招きして、僕を呼ぶ。
「お買い物、頼まれてくれないかな?」
両手を合わせてお願いのポーズをとる。人妻とは思えない可愛らしさだ。……いいなぁ、師匠。
「さっき言ってた、仮装のアイテムですか?」
「そうなの。あと一つ足りないのよね」
犬耳も犬尻尾も万全なチロルちゃんの仮装。
あと、一体何が必要だというのだろうか。
「何を買ってくればいいんですか?」
「く・び・わ」
「首輪……ですか」
確かに、犬っ娘コスには必需品だ。
チロルちゃんの首輪姿を想像してみる……
『わんわん!』
「なんだか、ものすごく可愛い気がしてきました!」
「でしょ~! 絶対似合うと思うの、首輪」
「まぁ、俺の娘だからな! 何を着たって世界一可愛いに決まってらぁ!」
「首輪、要りますね!」
「うん。首輪は必要」
「よぉし、トラ! 買ってこい!」
「はい!」
セリスさんからお金を受け取り、お店の場所を確認する。
「ペットショップとか、ありますかね?」
「あら、ダメよ。動物用の首輪なんて、愛娘にはつけられないわ。ちゃんと人間用でないと」
「その通りだ。なにせ、俺の娘だからな」
人間用の首輪……なんてものが、存在するのだろうか?
いや、するのだろうけれど。
どうしても、その……ちょこっといかがわしい趣味の方々のイメージが……
「大通りから四本ほど奥に行った裏通りに、ちょ~っといかがわしいお店があるのね。そこになら売ってると思うから」
「そのお店に行けと!?」
「だ~いじょうぶ。使用用途が健全なら、全然エッチじゃないもの。堂々と買いに行けばいいのよ」
いやいやいや……堂々とは、ちょっと。
「人間用なら、首まわりの敏感な肌にも考慮されているだろうし、安心よ、きっと」
「そりゃよかった。嫁入り前の娘の肌にキズなんかつけられねぇからな」
「動物用は、ちょっと不安よね」
「あぁ! 人間用がいいな!」
……いいのだろうか。
まぁ、健全な使い方だし……うん、いいんでしょう、きっと。ご両親公認ですし。うん。
「それじゃあ、お願いね」
「品質を見極める目も、職人には必要だ。修行だと思っていかがわしい店で最良の首輪を見定めてこい!」
「は……はぁ。では、行ってきます」
修行だと言われれば、それはもはや断れるものではなく、僕は素直に買い物に向かうのだった。
「おとーしゃん! おかーしゃん! 『かわいいチロルのかそうで、とらをげんきにするぱーてぃー』のじゅんび、はやくしよー!」
「しぃー! まだトラ君そこにいるから、それは秘密よ!」
「大丈夫だセリス。200メートルも離れりゃ聞こえちゃいねぇよ」
「……それもそうね。あぁ、よかった」
なんて、人一倍声の大きな一家の会話を聞きながら、「帰ったら知らないフリをして驚かなきゃな」なんてことを僕は考える。
人の親切に水を差すような真似はしちゃいけない。
バレバレのサプライズをよく仕掛けてきていた姉に教え込まれた教訓だ。
サプライズとは、する方とされる方が一緒になって完成させる、一種の芸術なのであると。
せっかくチロルちゃんが僕を励ますために仮装してくれるというのだ。
それも、僕の大好きな犬っ娘の仮装だ。
僕にはそれを目一杯楽しむ義務がある。
もうほとんど見てしまったけれども、まだ未完成の状態だった。
完成すれば、それはそれは可愛らしい仕上がりになるだろう。
「よし! これも修行だ!」
僕は気持ちを切り替えて、指定されたお店を目指す。
数々のラインナップの中からチロルちゃんに一番似合う首輪を探し出すぞという、強い信念を抱いて。
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