良縁は懐を温める -2-

 工房にやって来たエリアナさんは、お忍びなのか、ツバの大きな帽子を被りサングラスをしている。もっとも、今はどちらも外してあの豪快な笑顔を惜しみなく見せてくれているけども。

 芸能人のお忍びファッションみたいだ。


 カジュアルも、恐ろしいほどよく似合うな、この人は。


「驚いたようだな」

「そりゃあ、まぁ」


 どこか自慢げに鼻をふふんと鳴らすエリアナさん。

 僕の驚く顔を見て、嬉しそうに口角を持ち上げる。


 というか、師匠の巨体越しなせいで、非常に話しづらい。

 師匠、いい加減肩を離してくれないかな……と師匠を見ると、なんか涙目だった。


「ト、トトトト、トラ、おまっ、お前っ! いつ知り合いになったんだよ、龍族の姫様となんて!」

「いつって、昨日のお見合いのお相手が……『姫様』!?」

「『お見合いの相手』!?」


 僕と師匠の驚嘆が重なる。

 姫様って……、えっ!? いわゆる、あの、お姫様!?


「はは。姫とは言っても、単に家が古くから続いているというだけのことだ。それも数ある華族の中の一つに過ぎない、取るに足らぬ身分だ。どうか気にせず、昨日のように接してほしい」

「は……はぁ……」


 華族って……いわゆるところの貴族、だよね?

 いや、でも姫ってことは……王族の家系?

 この『世界』に王様がいるかどうかは知らないけれど……


 ……僕、なんて人とお見合いしてたんだろう。


「おい、トラ。お前、姫様に無礼を働いちゃいないだろうな?」


 師匠が声を潜め、割と真剣な、かなり血走った目で僕を見つめてくる。

 無礼…………働いたような……強引に迫ったり…………うん、黙っておこう。


「と、特には……」

「本当だろうな!?」


 きっと、エリアナさんは怒っていない……と、思う。……だと、いいな。


「龍族の逆鱗に触れると、こんな工房一瞬で消滅するからな?」

「経済的圧力……みたいな、ですか?」

「それもあるが、物理的にもだ」


 師匠が声を潜めて、ものすごく気を張ってそんなことを言う。

 龍族というのは、それほどに恐ろしい人種なのだろう。

 エリアナさんに関しては、そんなことはないと思うけれど。


「あ~ぁ、しまったぜ。そうと分かっていれば事前に…………はぁ。トラよぉ。お前には世間ってものをもっとしっかり教えてやらなきゃいかんようだなぁ」


 ようやく僕の肩が解放され、視界を埋め尽くしていた師匠の巨体が遠ざかっていく。


「この『世界』は、もともと龍族の治める土地だったんだ。だから、龍族って存在そのものが、この『世界』では王族みたいなものなんだよ」


 師匠が言うには、この『世界』のベースになったのは龍族のいた世界で、そこへ様々な異世界が統合されていったのだという。

 だから、この世界の根幹は龍族たちの世界ということになり、現在でも龍族は特別視されているのだそうだ。


「それが、なんで庶民のお前のお見合い相手なんかに…………あぁぁあ!? お前っ、トラっ、昨日、何着ていった!?」

「あの、見せましたよね? 半額で買ったスーツを……」

「なんで半額のスーツなんかで行ったんだよ!? もっと高い服着ていかなきゃ失礼だろうが!」


 あぁ、そういえば……と、盛大にテンパっている師匠を見つめて思い出す。

 お見合い相手がどんな人か、詳しく説明してなかったなぁ。

 会ってみるまで分からないと思って、あまり考えないようにしていたから。それに、情報もほとんどもらってなかったし。


「服の値段などどうでもよいことじゃ」


 興奮している師匠の肩に、エリアナさんがぽんと手を乗せる。

 それだけで師匠は「ひぃいい!?」と悲鳴を上げ、ものすごい勢いで床に転がった。

 そんなに怖いんですか、龍族が?

 恐縮しているようですけど、それって逆に失礼なんじゃ……


「如何に高価な衣服を身に着けようとも、心までは着飾れぬ。トラキチ殿の素晴らしさは、衣服の値段などでは到底表せない、もっと別次元のものじゃ。たとえ見合いに全裸で来ようとも、ワタシはトラキチ殿に好感を持っていただろう」

「いや、全裸でお見合いに行くような人に好感は持たない方が……」


 素っ裸で「僕の心を見てください!」とか言われても……「その前にいろいろ見せるな」って話ですし、ね。


「それよりもだ、師匠殿」

「しっ、師匠だなんて! 恐れ多ぅございます!」


 エリアナさんに呼ばれて、師匠が床に丸まる。……土下座? いや、危険を感じたダンゴムシみたいになっている。


「トラキチ殿の師匠殿という意味だ。かしこまるな」

「は……はぁ……」


 師匠を見ていると、この世界の龍族の存在がどういうものなのか、なんとなく分かる気がする。

 まぁ、師匠がちょっと大袈裟過ぎるのかもしれないけれど。

 とはいえ、僕も皇室の方がふらっと自分の家をお訪ねになられたりしたら、師匠と似たような感じになっただろうな、とは思う。「なんでこんなところに!?」って。


「実はな、仕事を依頼したいのだ」


 と、言った直後、その瞬間までエリアナさんの全身を覆っていた余裕と自信に満ちあふれた落ち着いた表情がかき消え、薄く染まる頬を隠すように恥ずかしげに俯いて、服の裾を摘まんで指先をもじもじさせながら、心底嬉しそうな声音で依頼内容を語り出した。


「その、こ、この度、ワタシは、こ、ここ、こん、こんや、婚約っ、をな、その…………することになって、だな…………ふへへへへへ」


 嬉しさがにじみ出して止まらないらしい。

 頬の肉が圧力鍋で四時間ほど煮込んだみたいに柔らかくなっている。


「婚約指輪は、まぁ、伝統だのなんだのとしがらみがあって、ふぃ、ふぃ~、『ふぃあんせ』……に、任せることになったのだが…………ぅへへへへへへ!」


 嬉しいんですね。

 もう嬉しくてたまらないんですね。

 グルメリポーターにあなたのほっぺたを「はむっ」てさせたら、絶対「お肉じゃないみた~い」って言いますよ。柔らか過ぎて。


「だから、結婚指輪を依頼したいのだ」

「りゅっ、龍族のご婚礼の指輪を、ウチが!? ……ふぅ」

「師匠!?」


 床で丸まっていた師匠が「びーん!」と飛び起きた直後に、硬直したまま床に倒れた。……ものすごい音がしたんだけど……頭、打ってませんよね?


「あ、あの、エリアナさん。師匠、今ちょっとテンパってこんな感じですけど、腕は超一流ですから、絶対ご期待に添えるものに仕上がると思います。だから、今はこんな状態ですけども、安心してお任せください」


 一応、弟子として、見習いとして、大口契約を確約するべく交渉の代理を買って出る。

 日本で勤めていた町工場でも、工場長が留守の時に取引先が来てしまったりすることがあった。そんな時は「今はいませんので」と追い返すのではなく、礼をもって接するようにと教え込まれていた。その教えが今生きているというわけだ。

 師匠に視線を送ると、「お前、偉い!」っていう温かい感情と、「にしてもハードル上げ過ぎじゃない?」って冷ややかな感情がびんびん伝わってくる視線を向け返された。


「いや、師匠殿への依頼ではない」

「「……へ?」」


 師弟揃って声を漏らす。

 瞬間、僕の背中をぞくぞくと言い知れぬ寒気が走り抜けた。

 ……え、嘘ですよね?


 エリアナさんの口から次にもたらされる言葉を察知して、僕の体は一瞬で硬直した。


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