良縁は懐を温める -1-

「とらー! おみあいしっぱい、おめでとー!」

「こ、こら、チロル!?」


 エリアナさんとのお見合いが破談になった翌日。

 寝室を出てリビングへ行くと、朝から豪勢な料理が食卓に並んでいて、チロルちゃんに祝いの言葉と共に出迎えられた。

 ……なんで?


「おとーしゃんとおかーしゃんがね、ざんねんパーティーするってー!」

「パーティーじゃないのよ、チロル! 残念会! 落ち込んでるだろうトラ君をさりげなく元気づけるために美味しいご飯を作ってあげようっていうだけで……あぁあ!? トラ君の前でそれ言っちゃダメなんだったわ!? どーしましょう!?」


 セリスさんが、なんか盛大にテンパっている。


「あ、あの、ご、ごめんなさいね。そんなつもりじゃなくてね、トラ君に元気になってもらいたくて、だから、その……」

「はい。分かってます。ありがとうございます、セリスさん」

「トラ君……」


 僕がそう言うと、セリスさんはほっとした表情を見せて、少し笑ってくれた。


「チロルちゃんもありがとうね」

「うんー!」

「でも、おめでとうじゃないからね」

「じゃあ、ざんねん?」

「うん。そうだね」

「じゃあ、とらー! ざーんねーんでーしたー!」

「……う、うん、ありが、とう」

「ご、ごご、ごめんなさいね、トラ君! ウチの娘、ちょっと奔放で……!」


 チロルちゃんの口を両手で押さえ、にっこり顔のまま頬を引き攣らせて冷や汗を流すセリスさん。

 いえ、なんか、こちらこそ、……すみません。


「まぁ、確かに結果は残念でしたけど、実はそんなに落ち込んでないんです」


 エリアナさんは確かに綺麗で、性格もさっぱりしていて、笑顔がよく似合って、すごく理想に近い女性だったけれど――


 あんな幸せそうな顔されちゃあね。


 ゲルベルトさんに好きだと言ってもらえた時のエリアナさん、本当に嬉しそうに笑ってた。

 あの笑顔が見られただけで、僕は満足だ。あれが正解。あれ以外の結末はなかったとすら思える。


 その手助けが出来て、よかった。

 かなり強引で自己満足な方法だったけれど……



 けど、不思議でもある。



 僕は、自分で言うのもなんだけれど、日本にいた頃は結婚に貪欲だった。

 今も真面目に結婚について考えてはいるけれど、あの頃の『貪欲さ』は、もしかしたらなくなってしまったかもしれない。

 それは決して、別に結婚できなくてもいいと思うようになったわけではなく……


 もしかしたら。

 完全無欠の幸せな家庭を作るために必死になっていた僕は、あのセスナに潰されていなくなってしまったのかもしれない。

 絶対に壊れない幸せを求めて、絶対に死なない結婚相手なんて無茶を押し通そうとしていた僕が、相手にそれを求めておきながら、あっさり命を落とした。

 だからかもしれない。


 ほんの少しだけ、肩の力が抜けた。

 今はそんな気分だ。


 本当に必死だった。

 少しでも趣味が許容できなければ長続きしないだろうとお断りして、小さなことに腹を立てる人を見れば家庭崩壊を幻視して一歩踏み出す足が動かなくなった。そして、そんな面倒くさい僕なんかには付き合いきれないとお断りされたことも、数えきれないほどにあった。


 僕はきっと、随分と自分勝手な結婚観を相手に押しつけようとしていたのだと思う。

 自分の望みを叶えるための結婚をしようと――

 そのために相手を利用しようとしていた……の、かもしれない。今にして思えば。


 なんて傲慢で、なんて身勝手。

 そして、なんて寂しい結婚を求めていたんだろう。


 きっと、日本であのままお見合いを続け、いつか条件に合う女性と巡り会い、そして結婚していたとしても……僕は本当の幸せは手に入れられなかっただろう。

 だってそれは、僕のわがままを叶えてもらったに過ぎないのだから。



 こんなことを言うと、誰かに怒られるかもしれないけれど……こうなってよかった。

 馬鹿は死ななきゃ治らないなんて言うけれど……僕の『結婚馬鹿』はあの日に一度リセットされたんだ。


 それを実感したのが、あの瞬間だった。

 エリアナさんとゲルベルトさんが抱き合って、泣きながら浮かべていたあの表情。

 あれこそが、本当に幸せな人が見せる笑顔なんだなって、初めて気が付いた。



 心の底から思ったんだ。

 あぁ、この二人が結ばれてよかったなぁって。


 だから、いつか僕も――エリアナさんたちに負けないくらいの、本当に幸せな結婚をしたい。

 それが、今の僕の目標だ。



 あれ? 目標、変わってないな、これ。

 でも、目指す先は変わった気がする。

 うん。それに気が付けて、僕はよかったと思っている。

 だから、昨日のお見合いは、連敗記録は更新したけれど……僕にとっては成功だったんだ。



「トラ君。本当に、落ち込んでないの? 無理してない?」

「はい。全然」

「そう……」


 頬に手を当てて、短いため息を漏らし、セリスさんは僕を励ますように温かい声で言う。


「先方の方、よっぽどブッサイクだったのね」


 毒っ!

 セリスさん、今さらっと猛毒吐きましたよね!?


「破談になってよかったって思えるようなブッサイクなら、その方がよかったのね、きっと。うん。トラ君、おめでとう」

「あ、いえ……」


 チロルちゃんの奔放な性格、セリスさん譲りなんじゃ……


 エリアナさんの名誉のためにもきちんと説明をするべきなのか、それとも、他人の色恋を関係ない第三者にぺらぺらしゃべるのは控えるべきなのか、僕が一瞬迷っている間に、工房から悲鳴が聞こえてきた。


「なんですとぉぉぉおおおお!?」


 師匠の雄叫びだ。


 師匠の家は三階建てで、一階が工房と浴室、洗面、トイレ。

 二階にリビングダイニングと僕の部屋(元物置)があり、三階に師匠たち家族の寝室がある。


 ダイニングを出て階段を駆け下り、工房へ出ると、師匠が僕に向かって猛突進してきた。


「お、おぉぉおおい。ぉいおいおいおい! トラよ、おい!」

「おぉおおちおちちおち落ち着いてください、師匠!」


 繊細な銀細工を生み出すクマのような巨大な手に両肩を掴まれて、これでもかと体を揺さぶられる。

 何にも乗っていないのに乗り物酔いをしそうだ……


「きゃ、客……客が…………いや、お客様が……き、きき、来……っ」

「師匠の銀細工は評判がいいから、お客さんくらい来るでしょう、そりゃあ」


 基本は商人に商品を卸して、店へと並べてもらうのが師匠の工房のスタイルだ。

 けれど、中には師匠の作品を気に入って工房まで直接買いに来る人もいる。

 よくあることではないけれど、決して珍しいわけでもない。

 きっと、『知る人ぞ知る』くらいには名の通った銀細工師なんだと思う。師匠がそれくらい腕のある人だってことは、若輩者の僕にだって分かる。


 一体何を大騒ぎしているのだろう、と……視線を工房へ向けて僕は息をのんだ。


「やぁ、トラキチ殿。しばらくぶりだな」

「エリアナさん!?」


 そこに立っていたのは、昨日よりも随分とカジュアルな服装をしたエリアナさんだった。



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