あとは若い二人に任せて -1-

「インチキであろう?」


 部屋に戻るなり、エリアナさんが知恵の輪を突き返してきた。

 結局解けなかったらしい。

 簡単そうに見えて、それでいて出来ないと結構悔しかったりするけれど、エリアナさんは大変ご立腹な様子だ。


「怒った顔も、とってもチャーミングですよ」

「ふぁっ!?」


 にっこりと微笑んでそう言うと、エリアナさんはけったいな声を上げた。

 目を白黒させるエリアナさんには構わず、向かいの席へと腰を下ろす。


「ト……トラキチ殿の行動を読むのは困難を極めるの。実に突飛な御方じゃ」

「そんなことないですよ」


 先ほどまではガチガチに緊張していたけれど……


「もう覚悟を決めたんです。だから、照れたり遠慮したり、自分の思いを押し殺したりするのはもうやめます。これからは脇目も振らず、ただまっすぐに――」


 瞳を見つめながら、知恵の輪を差し出すエリアナさんの手を握り、両手でそっと包み込む。


「――あなたを幸せにすることだけを考えます」

「へぅ……そ、それは……あの…………ど、どうも……」


 変な感じで変なお礼を述べてくる。


 あぁ、本当に……可愛いなぁ。

 そんな人を、僕は今から……


「結婚したら、どんなことがしたいですか?」

「け…………っこん…………?」

「はい。そのためにここに来たんでしょ?」

「いや、まぁ……それは、そう……なのだが、まだ気が早いというか……」

「あれ? もしかして冷やかしですか?」


 声を急に冷たくして、握っていた手を突き放す。


「僕は真剣な思いでここに来たんですよ。もしこれで、あなたが僕をからかうために――結婚したいと必死になるモテない男を指さして笑いに来たというのであれば、僕はあなたを許しませんよ! 軽蔑します!」

「だ、誰もそんなことは言っておらぬじゃろうが!」


 態度の急変に驚いたのか、ムキになったように声を張り上げつつも、エリアナさんは後ろめたそうに眉根を寄せていた。


「本当ですね?」

「む……無論、じゃ」

「龍族の誇りにかけて、誓えますか?」

「う………………む。…………む、ろん……じゃ」


 この人は、嘘が吐けない人なんだろうな。

 なのに、素直じゃない。


「では、もしそれが嘘だったなら……あなたが、これまで誰にも捧げなかった『あるモノ』をいただきますからね?」

「あるモノじゃと………………はっ!?」


 何を想像したのか、エリアナさんは咄嗟に唇を押さえて、顔を真っ赤に染めた。

 ……へぇ、誰にも捧げてないんだ、それ。


「な、なにを不埒なっ!」

「別に不埒じゃないですよ。結婚するなら、当然のことでしょ?」

「け、結婚、するなら……そうかも、しれんが…………だがっ」

「結婚、しないんですか? やっぱりからかってたんですか?」

「そうではないと申しておろう!」

「エリアナさん」


 真剣な顔で、真剣な声で、そしてとても真剣な気持ちで、僕はエリアナさんの名を呼ぶ。


「――僕は、真剣ですよ」

「う……うむ……そう、か」


 あなたはきっと、結婚に対しては真摯に向き合っていたのでしょう。

 けれど、お見合いはそうではなかった。

 真剣だったなんて言わせませんよ、こんな……当て馬みたいなお見合い。


 だからこそ、そこを理解させる。

 自分のしていることが相手に、今回なら僕に、どれだけ失礼なことなのか、それを自覚させる。

 そうして、その罪悪感につけ込んで……絶対にうんと言わせてみせる。

「結婚する」と。


 しばし無言で見つめ合う。


 エリアナさんの目の焦点が合っていない。

 頭がぽーっとしていそうな、呆けた顔をしている。

 攻め込まれるのに弱いなんてレベルじゃない。

 エリアナさんは、初恋に浮かれる少女のように純粋なようだ。

 そう思うと、途端に愛おしく思えてきた。


 耳を澄ませる。

 そろそろ、カサネさんに教えてもらった「次の料理が運ばれてくる時間」だ。

 メインの肉料理とご飯物。

 それが済めば、残るのは水菓子だけ。


 そろそろ、ケリを付ける頃合いだ。


 廊下を歩く微かな音を聞き取り、息を吸い込む。

 ふすまが擦れる音と共に、よく通る声で、はっきりと告げる。



「エリアナさん、結婚してください」



 ふすまが微かに開き、止まる。

 エリアナさんが顔を深紅に染め上げる。


 緊張したけれど、タイミングはばっちりだったようだ。


 ちょい開きのまま開かないふすまを横目で確認して、攻勢に出る。

 口説き落としだ。


「あなたは本当に素晴らしい女性だ。美しく、気高く、それでいて思いやりがあって、そして少女のように無垢で可愛い」

「へぅっ……あぅ………………ほ、褒め過ぎ、じゃ」


 ふすまは、開かない。

 エリアナさんは、まだ気付いていない。


「褒め過ぎじゃないですよ。この程度では全然足りません。あなたの素晴らしさを語り尽くすには百年の時間が必要になるでしょう。だって、今この瞬間も、あなたの素敵なところを、僕は新発見し続けているのですから」

「わ、分かった! 分かったから、ちょっとタンマじゃ!」

「そうですね。次の料理もやって来たようですし」

「えっ?」


 僕の視線を追い、エリアナさんがふすまを見る。

 そして、驚愕に目を見開いて、そして、顔を真っ青に染める。

 分かりやすく表情が変わっていく。


 まずいところを見られてしまった……そんな表情に。


「……お取り込み中、失礼します」


 バレていると悟られては、行動を起こさざるを得ない。

 板前さんが気まずそうにふすまを開く。

 そして、俯いたまま渋い声で告げる。


「……メインの料理をお持ちしました」


 顔を上げず、誰も見ず、黙々と料理を運び込む。

 心持ち、急ぎ足で。


 顔を窺い見るが、表情は読み取れない。

 終始変わらぬ無愛想。

 本当に、この人は何を考えているのかが分かりにくい。

 おまけに……気持ちを言葉にしてくれもしないのだろう。


「わぁ! 美味しそうですね」


 突然声を上げると、配膳の手が一瞬止まった。

 そして、こちらを見ない程度に首を動かし、頭を下げる。


「ありがとうございます」


 おぉ、いい言葉をもらった。

 では、利用させてもらおう。


「何がです?」


 呆けて首を傾げる。

 質問の意味が分からなかったのか、今度は板前さんの目が完全にこちらを見た。

 こちらの真意を探るかのように。


「いえ。何が『ありがとう』なのかと思いまして」

「それは……私どもの料理を褒めていただきましたので……」

「嬉しかったんですか? 料理を褒められて、『ありがたいなぁ~』って思ったんですか?」

「えぇ……まぁ…………では、私はこれで」


 逃げるように早口で言って立ち上がる板前さん。

 でも、逃がさない。


「ですよね。素直な気持ちを言葉にしてもらえるのって、嬉しいですよね」


 板前さんが立ち止まり、エリアナさんの瞳が細められる。

 果たして、その背中が感じているのは僕の視線か、睨むようなエリアナさんの視線か……


「だって、僕が今言葉にしなければ、あなたには分からなかったんですもんね。僕がこの料理を『美味しそうだなぁ』って思ってるってことが」

「…………そんなのは、当たり前のことでしょう」

「えぇ。当たり前ですよ。……でも、そんな当たり前のことが出来ない人がね、いるんですよ。困ったことに」


 板前さんは何も答えなかった。

 ただ、じっと黙って、拳を握った。


「…………ふん」


 一際大きく鼻を鳴らし、エリアナさんが腕を組む。

 そして、蔑むような視線を板前さんに向けて、刺々しい声を遠慮なくぶつける。


「都合の悪いものから目を背け、何も聞かぬ何も答えぬ、知らぬ存ぜぬを貫く卑怯者なら、ワタシにも一人心当たりがあるがのぅ」


 もしかしたら、エリアナさんは期待したのかもしれない。

 僕が発した言葉が、彼を変えてくれるのではないかと。

 変わらないまでも、ふとした弾みでぽろっと一言、何か言葉を発するのではないかと。


 だが、その口は閉ざされたままだった。


 その落胆が、彼女の言葉に毒牙を持たせた。


「何を考えているのか分からん無愛想な男よりも、感情をありのままに表現できるトラキチ殿の方がはるかに魅力的な殿方じゃ! その卑怯者にも見習ってほしいものじゃ。爪の垢でも煎じて飲ませてもらえばいいのじゃ!」


 ムキになって、心にもない言葉を浴びせかける。

 破裂した水道管のようにあふれ出す言葉は止まらず、また、誰も止める術を知らない。

 溜め込んで溜め込んで、そして破裂した感情は制御を失い、すべてを台無しにするまで、そして台無しになった現実を痛感するまで止まることがない。


 あなたも、十分素直じゃないですよ。エリアナさん。


「どうした。貴様は口が利けぬのか? 声をかけられておるのだ、何か一つくらい言葉を返してみたらどうなのじゃ!?」

「…………料理が、冷めます」

「はぁ!?」

「……温かいうちに、お召し上がりください」


 背を向けたまま頭を下げて、足早に部屋を出て行く。

 ふすまが閉じられて、その姿が見えなくなる。


 言い逃げだ。


 結局、何も語らなかった、か。


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