料理下手なわけ -2-

「ふん! 愛想のない板前だ。サービスは改善する余地があるようだな、この店は!」


 吐き捨てて、頬杖を突きながら乱暴に小鉢を掴む。

 ……少々思うところはあるが、とりあえず、お見合いだし。

 僕も倣って小鉢の中身を覗く。


 小鉢の中には、赤くて丸い、「ぬろぉ~ん」とした切り身が入っていた。軽く火で炙ってある。……なんだろう、これ?

 少なくとも和食では、ない。


「これって、何かのお肉ですかね?」

「うむ。これはババゲルギの脇腹であるな」


 う~ん……聞いたことのない生き物だな、ババゲルギ。

 鳥か牛っぽい生き物でありますように……


「では、いただきます」


 箸ではなくフォークで食べるらしく、小鉢のそばに置かれた小さなフォークを手に取る。


「待つのだ、トラキチ殿」


 ババゲルギの炙りを刺そうとしたところで待ったがかかる。


「少なくない確率で伴侶となるかもしれぬ男女が、別々に食事をするというのも味気ないとは思わぬか?」

「別々って……?」


 向かい合っていますが?


「しばし待て」


 言って、エリアナさんは立ち上がり、僕の隣まで来て腰を下ろした。

 肩に寄りかかるように身を寄せてくる。


 


 めっちゃいい匂いするっ!




「あ、あぁ、あの……っ」

「なんだ、トラキチ殿は女性とこのように寄り添うのは初めてか?」


 初めてかと聞かれれば、それはまぁ、もちろんなくはないんですが……

 はっきり言っていいですか?


 あなたのレベルが高過ぎて緊張してるんですよ!


「ふふ……可愛らしいな、トラキチ殿は」


 エリアナさんの白い指が僕の頬を上から下へつつーっと撫でる。

 ゾクゾクゾク……っ!

 せ、背骨が砕けた……気がした。


「家に連れて帰って、ずっと撫でていたくなるな」

「そんな……ネコじゃないんですから」


 と、視線を逃がした先で、カサネさんが「うんうん」と頷いていた。

 いや、「うんうん」じゃないですよ。

 ちょっとスキンシップが過ぎる気がするんですが? 止めませんか?


「龍族の女はな、伴侶には尽くす方なのだ。食事はもちろん食べさせてやりたい。それがワタシたちの喜びでもあるのだよ」


 食べさせるって……あれですか? 「あ~ん」みたいな?


「さぁ、口を開くのだ」


 僕の肩に寄り添うように密着して、小さなフォークにババゲルギの炙りを突き刺す。

 近い……そして「あ~ん」とか……二秒で陥落しますよ、エリアナさんみたいな人にそんなことされたら。


「で、では…………恐縮ですが……」


 かちこちに固まる首をぎこちなく上下させて首肯し、緊張で震えるアゴをゆっくりと開く。

 あ、……あ~ん。


 こちらの準備が整うと、ババゲルギの炙りを持ち上げて、それを自身の唇のそばに近付ける。

 もう少しで唇に触れるという位置まで近付く。

 唇に視線が吸い寄せられて、心拍数が跳ね上がる。


 柔らかそうな唇が微かに開き、そして――


「ふぅふぅ」


 というエリアナさんの声と共に、唇の隙間から――ゴォオオウ!――と、炎があふれ出した。


「ほれ、あ~んじゃ」

「あ…………あーん……」


 そうして、僕の口の中へ放り込まれる炭。

 えぇ、炭です。消し炭。

 ガリガリして、ザリザリしていて、苦い…………


「どうだ? 美味いか?」


 そうですね……まず、焦げる前の味を知りたいです。


「あの……『ふぅふぅ』なしにしてもらえますか?」

「それは出来ぬ。『ふぅふぅ』も込みで、ワタシの義務であるからな」


 義務なのかぁ……

 キャンセルしたいなぁ……!

 融通利かないかなぁ、そこ。


「……こほん」


 と、遠慮がちな咳払いが聞こえ、その発生源であるカサネさんを見ると、人差し指がエリアナさんのプロフィール用紙を指していた。

 指先に視線を移すと、そこには――


『備考:料理が苦手』


 ――と、書かれていた。


 いや、現状で言えば、料理は完璧なんですよ。

 テーブルに並ぶまでは完璧なんですが、そこから口へ運ばれるまでの間に大惨事が起こってるんです。


「もう一口食べるか?」

「えっと、あの! ……そうだ! 今度は、僕が」


 すみません。

 まだ口の中ザリザリしてるんです。

 これ以上苦みを追加されると泣いてしまいます。

「……ぃいいいっ!」ってなりそうなんです。


「む、むぅ……意外と、積極的なのだな、トラキチ殿は……」


 え、やられるのは照れるんですか?

 なら、あんまり人にやらない方がいいのでは……


 ともかく、味覚が苦みによって機能停止しないように、エリアナさんの真似をしてババゲルギの炙りを食べさせてあげる。

「ふぅふぅ」も忘れずに。


「やっ! っと…………ちょっと、待ってほしい」


 寄せていた体を離し、顔を背け、フォークの前に手のひらを出して待ったをかける。

 あらわになった首筋が薄桃に色付いてとても艶っぽい。

 すーはーと、深呼吸をして、赤い顔をこちらに向け、ゆっくりと口を開く。


「あ…………あ~ん」


 開かれた口元へフォークを近付けると、トカゲやカメがそうするようにぱくっと勢いよく噛みついて、素早く顔を背けた。

 耳が、燃えているかのように赤い。


 どうしてこの人は、攻められるとこんなに弱いんだろうか。

 攻めている時はあんなに大人の余裕を醸し出していたというのに。


「あ……すごく美味しい」


 いいなぁ。

 味わってみたいなぁ、そのすごく美味しいの。


「こ、こほん……」


 拳一つ分、僕から距離を取って座り直し、真正面を見据えたまま――時折ちらっとだけこちらに視線を寄越し――エリアナさんは弁明を始める。


「龍族は、先攻必勝の一族なのだ。攻める時は絶大なる自信を持って挑めるが、その……数十万年続く一族の歴史の中で、攻め込まれた経験がほとんどないことから……あまり、守りは……得意では、ないのだ」


 めっちゃ照れてる!

 なにこの人! 可愛い!


「へ、変な汗をかいてしまったな」


 あははと、強引に笑ってフォークを指先で弄ぶ。


「き、緊張で、食欲もなくなってしまったようだ。この後はトラキチ殿に食べさせることに専念しよう」


 わぁ、僕の胃がやられちゃう。


「あ、あのっ! 僕も照れますし、やっぱり、今日はお互い、自分で食べませんか?」

「そう、そうか? ワタシとしては、尽くしたいのだが……」

「そういうのは、ちゃんと結婚してから……ということで」


 自分の発言によって、もし結婚したら僕は消し炭を食べ続けなければいけなくなったわけだけど……


 それ以上に気になることが起こった。



「…………結婚」



 大いに照れて真っ赤に染まっていたエリアナさんの表情が、寂しげに揺らいだ。

 あぁ、やっぱりこの人……


「失礼します」


 そんなタイミングで、再び渋い声がふすまの向こうから聞こえてくる。

 静かにふすまが開き、バジリスク族の板前さんが部屋へ入ってくる。


 そして、隣に並んで座る僕とエリアナさんを見て――一瞬、固まった。



 あぁ、そうか。

 そういうことか。



「なんだ、板前よ。早よぅ料理を運ぶのじゃ」

「……はっ!? かしこまりました」


 俯き、僕たちを避けるように部屋の壁伝いにテーブルへ近付き、僕の目の前と、向かいの席へ美味しそうな魚料理を配膳した。


「……失礼します」


 言葉少なく言って、足早に退室する板前さん。

 並んで座る僕たちを見て、でも料理は向かい合わせで配膳する。

 そういう決まりなのか……「離れて座れ」というメッセージなのか。


「…………カリッ」


 隣にいたからはっきりと聞こえた。

 エリアナさんの歯ぎしり。

 奥歯を噛みしめた音が。


「ふん……融通の利かぬ男じゃ」


 小さな声で吐き捨て、エリアナさんが立ち上がる。


「くふふ。照れ屋なトラキチ殿の顔を立てて、この席では各自で食べることにしようかの」


 そう言って自席へと戻る。

 くつくつと笑ういたずらっ子のような笑顔が、少しだけ、つらそうに見えた。



 ……ホント。理想に近い女性だったんだけどなぁ。


 僕はこの後の展開を思い浮かべ、まぶたを閉じて口の中にいまだ残る苦みを味わった。



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