意地っ張りな彼女 エリアナ・バートリー -1-
僕がこの『世界』に来て、一週間が経っていた。
「おう、トラ! 見合いは今日だったろ? 掃除はいいからそろそろ準備しとけよ」
「はい。師匠」
一週間前、結婚相談所『キューピッツ』の相談員カサネさんに道案内してもらってやって来たオリバー銀細工工房。僕は現在、ここで住み込みの銀細工見習いをしている。
記憶の混在によって、師匠たち家族と出会った時の記憶をなくしてしまったが、そんな僕を師匠たち家族は温かく迎え入れてくれた。
「記憶がなくなっちまったんなら、もう一回出会えばいい。俺は銀細工職人のドーガ・オリバーだ。で、こっちが家内のセリスと愛娘のチロルだ」
「改めてよろしくね、トラ君」
「よろしくねー、とらー!」
そんな感じで、三十代のご夫婦に五歳の娘さんの三人家族、そんな温かい家庭に僕は迎え入れられた。……家族で囲む食卓、いいな。
今も、お見合いの支度のために室内を走り回っている僕を、セリスさんとチロルちゃんが眺めている。にこにこと、楽しそうに。
「とらー。おみあい、だめだったらチロルがけっこんしてあげるねー」
「こ、こら。チロル! あ、あの、気にしないでね、トラ君」
世界中の元気を詰め込んだような健康優良児たるチロルちゃんと、いつも笑顔のおっとりとしたセリスさん。
クマみたいな巨体で息をのむような精巧な銀細工を生み出す師匠。
きっと、記憶を失う前の僕は、そんな温かい家族に惹かれて師匠に弟子入りを志願したんだろうな。
聞けば、店の前で土下座して頼み込んだらしい。
手持ちも行く当てもなく必死だったんだろうと、師匠は言っていた。そして、その必死さを買って僕を迎え入れてくれたとも。
師匠の工房は小さく、これまで弟子は取っていなかったそうだ。
なのに、僕を雇ってくれて、その上とても優しく接してくれる。
あぁ。
この人たちに出会えて、本当によかった。
「御免ください」
そろそろ出発しようかというところで、師匠の工房へカサネさんがやって来た。
「わー、びじんさーん! とらのこいびとさん?」
「チ、チロルちゃん!? 違うよ、カサネさんは相談所の相談員さんだよ」
「けっこんしないの?」
「失礼します。チロルさん、でしたか」
無邪気な顔でとんでもないことを言うチロルちゃんの前で、カサネさんが膝を折って目線の高さを合わせ丁寧に話しかける。
「私たち相談員と相談者様との間に、恋愛感情が生まれることはあり得ません。なぜなら、私たち相談員は相談者様と同じ立場で良いご縁をご紹介する者だからです。言うなれば、一心同体とも言えます」
「んー、よくわかんなーい!」
「いえ、ですから。私たち相談員は……」
「あの、カサネさん!」
五歳の少女に分かるように説明を試みようとするカサネさんを止める。
この人、真面目だなぁ。「違うよ~」で済む話なのに。
「ところで、どうしてここへ? 大広場に集合ではなかったんですか?」
「はい。そうだったのですが、もしかしたらトラキチさんが道に迷われるかもしれないと思いまして」
……確かに。
この一週間は師匠の仕事をそばで見て覚えようと必死で、外を出歩くことはほとんどなかった。
迎えに来てもらえて助かった。
「すみません。実は、道知らなくて……助かりました」
照れくさくて頭をかきながらそう言うと、カサネさんは小さなノートを取り出して何かを書き留めた。……なんだろう?
『少し抜けているところがある』とか書かれたのだろうか?
あんまり適当なことをしていると評価を下げてしまうかもしれない。もっとしゃんとしよう。
「僕、今日頑張りますから!」
拳を握って意気込みを語ると、カサネさんは僕の顔をじっと見つめた後、もう一度ノートに何かを書き足した。
……何を書かれているんだろうか。とても気になる。
「では、参りましょう」
「あの、その前に!」
こちらに来てまだ間もなく、まとまったお金も持ち合わせていない僕は、師匠に前借りした給料で一応の正装を手に入れていた。半額セールになっていたヤツだけれど。
「こんな感じなんですが、どう……でしょうか?」
この『世界』で、初めてのお見合い。
先方に失礼のないよう万全を期したい。
そんな思いをこめてカサネさんに質問したのだが……
「私の部屋は狭いので、飼育は無理です」
……と、謎の返答をもらった。
なんのことだろうか?
小さなため息を吐きながら、先ほど書いたのであろう文字を消している。
「お見合いに着ていく服として、変ではないですか?」
「着る服にルールなどありません。ご自分に似合うものをお召しになればいいと思いますよ」
この『世界』では、お見合いだからと着飾ったりはしないようだ。
以前見かけたゲオなんとかさんっていうリザード族の女性はドレスを着ていたので、オシャレをしようという概念はあると思うのだけれど。
逆に気合いが入りまくると滑る感じなのかな?
「はっはっはっ! 初デートに緊張する若者らしいな」
家の奥から顔を出した師匠は、僕の様を見て豪快に笑い、そして二つの銀細工を手渡してきた。
一つは、僕が一週間かけて作ったヒヨコのブローチ。
いつか銀細工職人として大きく羽ばたけるようにと、鳥をモチーフにしてみた意欲作で、自分ではそこそこの出来だと思っている。
そしてもう一つは、少々歪な形の繋がった輪っか。一応、知恵の輪だったりする。
銀細工の基礎を教えてもらう過程で、ちょっと遊び心を出して作ってみたものだ。
師匠は「ほぅ、面白い物を作るな」と感心してくれた。けど、厚さも細さもバラバラの、不細工な出来映えなのは否めない。
こんな物を持たせて、一体どういうつもりなのだろうか。
「結婚ともなりゃ、将来のことをいろいろ聞かれるだろうからな。嘘偽りなく自分の仕事について語ってこい。『今はまだ見習いだが、いつかこの街一番の銀細工職人になる』ってな」
豪快に笑い、豪快に僕の肩を叩いて、豪快に立てた親指を突きつけてくる。
なんとも分かりやすい激励。
すごく、勇気をもらえた。
受け取った銀細工をポケットにしまい、僕はカサネさんと一緒に出発した。
工房の前まで見送りに来てくれた師匠たち三人にもう一度頭を下げて、大広場へ向けて歩いていく。
「素敵な師匠に巡り会えたようですね」
「はい」
道すがら、カサネさんがそんなことを言ってきて、僕はすごく誇らしい気持ちになった。
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