結婚相談所の登録者調書 -3-
シュガーポットを投擲用の武器のごとく握りしめ、私はカウンターへと駆け戻りました。相談者様の身に何かがあれば、それはカウンターでお待たせした私の責任。
命を賭して守り抜くほどの気概で駆け戻った私の目の前で、トラキチさんが大きな魚に頭を齧られていました。
えぇ、魚に。
なんだ。
「大丈夫です、トラキチさん。お気になさらずに」
「いや、気になりますし、全然大丈夫じゃないですよ!?」
「人に危害を加えることはありませんから」
「いや、あのっ、今まさに頭を齧られているんですが!?」
「牙はありません」
「確かに、痛みはまったくないですけど、なんかすごく生臭いですよ!?」
「仕方ありませんね。『彼女』はもともと水に生息している生き物なのですから」
ふわふわと宙に浮き、今現在トラキチさんの後頭部をあむあむ甘噛みしている大きな魚は『浮遊魚』という種族であり、当相談所所長の愛魚、看板娘のモナムーちゃんです。
「モナムーちゃんは、人間の後頭部が大好きで、たまに噛みつくんですよ」
特に、転移者がお好みなようで、この『世界』に馴染んでいない人はよく噛まれています。
ぱっちりぎょろりとした目が何もない空間を眺めていて、とても楽しそうです。モナムーちゃん、可愛い。
「あの……なんだか楽しげですけど、相当な危険生物ですからね? 人間の頭が好物で噛みつく巨大生物って」
「モナムーちゃんはまだ子供ですよ?」
「子供ですでに2メートル弱あるんですけど!? 僕よりデカいんですけど!?」
トラキチさんの頭はモナムーちゃんよりも二回りほど小さく、ちょうど食べやすいサイズなのかもしれません。噛み応えもありそうですし。
「なんで空中に浮かんでるんですか? 魚なのに」
「浮遊魚だからですよ」
「いや、『ですよ』と言われても…………まぁ、いいです、別に」
空中を浮遊する魚だから浮遊魚なのですが……何かおかしいでしょうか?
「お待たせしました、お砂糖です。お好きなだけお使いください」
天井付近まで漂い上っていくモナムーちゃんを見送り、シュガーポットをトラキチさんの前へと置きました。
トラキチさんが蓋を開けると、色とりどりの角砂糖が顔を覗かせます。
味は同じなんですが、見た目にカラフルで楽しげです。
何色もある角砂糖の中から、トラキチさんはピンクの角砂糖を摘まみ出しました。
なぜピンクを選んだのでしょう?
好きなのでしょうか、ピンク。
私なら迷いなく白を選びますが……まぁ、何色でも構わないのですが。
「味は、変わりませんよ?」
「へ? あぁ、はい。でしょうね」
イチゴ味を期待したというわけではないようで、トラキチさんは純粋にピンク色だからという理由でそれを選んだようでした。
可愛い趣味をしている方なのでしょうか。
「なんとなくなんですけど、カサネさんを見ていると、この色にしてみようって思ってしまって。あはは、深い意味はないですよ」
照れ笑いを浮かべて、トラキチさんは角砂糖をハーブティーへと沈めました。
角が丸くなり、あっという間に砂糖が溶け出します。
私を見てピンクを?
髪は紺ですし、瞳は赤。肌は白い方だとは思いますがピンクではないと思います。服は……今日はグレーのスーツです。
私を見てピンクを思い浮かべる理由はない…………はっ!?
思わず、スカートの裾を押さえました。
……今日は、ピンクです。
まさか…………いや、でもトラキチさんとはカウンターを挟んで座っていましたし、立ち上がる時だって別に……そもそも、そこまで短いスカートではありませんし………………やめましょう。気にするだけ無駄なことです。
きっと、そんな理由ではないはずですから。
……けれど、万が一ということもありますので……一言だけ。
「おイタはダメですよ」
「それは、あの空飛ぶ魚に言ってやってください」
天井付近を浮遊するモナムーちゃんを指さして不服顔のトラキチさん。
ですが、私はあなたにこそ言いたいのです。
『世界』の統合に巻き込まれた人には、自覚の有無を問わず、不思議な能力が芽生えることがあると言いますし……無自覚であるなら、まだ許せますが……それでも…………
「ダメですよ」
「いや、ですから、それはあの魚に……」
ピンクの角砂糖はすっかり溶けてなくなり、今この場にピンクを示唆するものは存在しなくなりました。
さっさと話を変えましょう。よろしくない空気です。
私は職務中なのですから。……こほん。
「この後、私がトラキチさんの住居までお送りします。幸い、住所は記憶の混在前に書いていただいておりますし」
「え、でも、いいんですか?」
「それも仕事のうちです」
「そうですか。……なんか、すみませんね。何から何まで」
また謝罪。
この方は、ご自分が生きていることが申し訳ないとでも感じておられるのでしょうか?
「あまり謝罪をなさっていては、頼りない印象を与えてしまいますよ」
「へ? あぁ、すみません。これはクセのようなもので」
またです。
「すみません」と言ったことに気付いて、また「すみません」と口走り、それに気付いて「あはは……」と照れ笑いを浮かべるトラキチさん。トラキチさんには、少し強引でぐいぐいとリードしてくれるような女性が似合うかもしれませんね。
頼りになる強い女性が。
好みがどうなのかは分かりませんが。
「それで、結婚相手に求める条件など、何かありますか?」
「絶対に死なない人……とか、いませんか?」
……想像以上に強い女性をお望みでした。
不死者ですか……いないこともない、かもしれませんが……
「あ、いえ、絶対は言い過ぎでしたが……」
と、ご自分の発言を一部訂正し、それでも真剣に、トラキチさんは望む条件を口にされました。
「ちょっとやそっとじゃ死なないような、強い女性が、もしいれば」
「そういうことでしたら」
強靱な肉体と
その条件に合致するお相手のプロフィール用紙を、ファインダーから引っ張り出します。
こちらの方は、『いいお相手がいればすぐにでも結婚したい』とのご要望でしたので、トラキチさんとは条件の擦り合わせが容易そうです。
それに、おそらくお二人はよくお似合いになられると思います。
共におおらかで、エキセントリックで、そして結婚への意志が強い。
何より、今回ご紹介する女性は――
「最強種族の一翼を担う龍族の女性、エリアナ・バートリーさんです」
本気で怒らせると、一国の騎士団を一人で壊滅させられるほどに『強い』女性なのですから。
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