神が統合せし『世界』へ -2-
「で。どうなさいますか?」
急に聞こえてきた声に、思わず肩が跳ねた。
心臓がきゅっと縮み上がる。
……心臓?
…………え?
あれ?
「シオヤさん。もしもし、シオヤ・トラキチさん」
名を呼ばれ、ハッと顔を上げる。
それまでぼやけていて見えていなかった世界が一瞬でクリアになる。
見たことのない石造りの室内。
大きな窓から光が差し込み室内を明るく照らしている。
密室ではないがパーテーションのような簡単な仕切りが目隠しとなり、広い空間の中にいながらプライバシーを守るような適度な閉塞感を感じさせる空間。
そんな空間の中に、僕はいた。少し座面の硬い木の椅子に座って。
古木を削り出したような重厚なテーブルを挟んで、目の前にはとても綺麗な女性が座っている。
深い紺色の長髪を束ねた理知的な印象の女性で、透き通るような白い肌は陶器で出来ているのかと思うほどで、そんな落ち着いた雰囲気の中で瞳だけが燃えるように真っ赤で印象的だった。
アニメやゲームに出てきそうな、作り物めいた完璧な造形の美形がこちらを見ていた。
けれど、それはどう見ても本物の顔で、普通にそこに存在している人間のもので、すごく安っぽい表現になってしまうけれど、絶世の美女――そうとしか言いようがない、そんな女性だった。
「ご登録、なさいますか?」
「……とう、ろく?」
彼女がテーブルに置かれた書類を指さす。
海賊ものの映画で見たような、黄ばんだ分厚い紙にびっしりと文字が書き込まれた書類。
契約書、かな?
で……なんの?
そもそも、ここはどこなんだ?
僕はどうなった?
佐藤さんは?
っていうか、この美人だれ?
まるで分からない。
何も理解が出来ない。
ただ一つ分かることは、目の前の女性が佐藤さんではないということと……
「それじゃ、素敵なダ~リンを紹介してね」
「はい。お任せください、ゲォマードゥルさん」
…………ここが日本じゃないってこと。
パーテーションで区切られた隣の席から立ち上がったのは、ドレスを着たイグアナだった。
身長が2メートル以上あって、パーテーション越しでもその顔がよく見えた。
「ぎゃあー!」って叫ぶのをよく我慢できたものだ。
立ち上がったイグアナは、僕がそちらを見ていることに気が付くと、ぺこりと、小さく会釈を寄越してきた。
つられて、こちらも会釈を返す。ぎこちない笑顔で。
「くす……緊張しているのかしら。可愛いわぁ。……あの子でもいいかも」
ぺろりと、イグアナの口から細く長い舌が覗いて消える。
ぞわぞわぞわっ、と全身にサブイボが立つ。
「食われるっ!」と、僕の直感が警鐘を鳴らし、バッと顔を背けてテーブルに突っ伏す。
背後からクスクス笑う声と「もぅ、ほんと可愛い~」という声が聞こえてくる。
「申し訳ございません、ゲォマードゥルさん。こちらの方は、まだ本相談所にご登録されていない方でして」
「あら、そうなの? んもぅ、残念ね。まぁいいわ。素敵な出会いをよろしくね」
そんな言葉を残して、ぺたぺたという足音が遠ざかっていく。
……ドレスなのに素足なの?
割とどうでもいいことを考えていると、突っ伏した僕の頭上から落ち着いた声が聞こえてくる。
「それで、どうなさいますか? 本相談所にご登録されますか?」
「……そうだん、じょ?」
未知との遭遇が強烈過ぎて、あれこれ考える気力がなくなっている。
なので、気になる単語は素直に尋ねることにした。状況把握の一助になればと思って。
「少し、混乱されているようですね。では、改めてご説明させていただきます」
すっと背筋を伸ばして、向かいに座る絶世の美女が清流のような声で話し始める。
「ここは、神が統合せし『世界』です」
神が統合せし『世界』?
……え、神様が?
「おそらく、この『世界』はあなたが思い描く世界とは異なる場所であると思います。もしかしたら、これまでの常識が覆されることが多々あるかもしれません」
常識が覆される……異なる、『世界』?
「そうですね。では、試しに窓の外をご覧ください」
指し示された方へと顔を向けると、大きな窓から外の様子が窺えた。
「……え?」
思わず立ち上がり、窓のそばへと歩み寄る。
窓は開かないようになっていたが、透明度が高く外の様子がよく見えた。
そこに広がっていたのは、歴史を感じさせる石造りの建物。その前を、映画のキャストが着ていそうなローブや鎧といった見慣れない衣服を纏った人々が行き交う。
彼らの足元はレンガ敷きの道で、これもまたチープな表現になってしまうが、ゲームの中の世界のようだった。
どこかのテーマパークかと、一瞬そんな考えがよぎったのだが、窓のすぐ前を大きなカメレオンのような哺乳類が荷車を曳いて横切っていったので、僕はここが日本ではないことを悟り、そしてパニックに陥った。
……なにここ? なにこれ? なんなの一体?
「お分かりいただけましたか?」
落ち着いた声が僕に問いかけてくる。
振り返ると、彼女は微笑んで僕を見つめていた。
その顔を見て、ほんの少しだけ、落ち着いた。なんだか安心する笑顔だった。
「えっと……ここは、つまり、人間以外の生き物がたくさんいる世界、なんですね?」
椅子へ座り直し、恐る恐る尋ねる。
街の外に出たらモンスターに襲われるような世界だったら……僕は生きていく自信がない。
「人間以外というと……ネコやイヌのことでしょうか?」
「あ、いえ……さっきの……」
「ゲォマードゥルさんは、リザード族という種族の人間ですよ」
あ……
なんだか心臓がちくっとした。
僕はどうやら失言をしてしまったらしい。
「すみません、訂正します。様々な人種の方が一緒に暮らす街、なんですね?」
「はい。その認識で間違っていないと思います」
自分と異なるからと、僕は彼女たちを人間ではないと言ってしまったのだ。
本人を目の前にしていなくとも、それは謝罪すべきことだろう。
『これまでの常識が覆されることが多々あるかもしれません』と、彼女は言ったが、まさにその通りなのかもしれない。
「優しい方なのですね。あなたは」
「へ?」
突然そんなことを言われて呆気に取られていると、赤い瞳が緩く弧を描いた。
あぁ……素直に謝っておいてよかった。
正直、分からないことだらけではあるが、少しだけ落ち着いた。
背筋を伸ばし、再度座り直し、僕は彼女と向かい合った。
さらに詳しい話を聞くために。
「それで、ここはどこなんでしょうか?」
ここが異世界なのは、なんとなく理解できたが……僕はなぜこの場所にいて、この女性と向かい合って座っているのか。それがまだ分からなかった。
その説明を求める。
「ここは、異種族間の結婚に戸惑いや不安を抱える方々のご相談に乗り、ご成婚までをサポートする結婚相談所『キュ-ピッツ』です」
なぜ複数形?
いやいや。そんなことよりも……
異種族間の結婚?
「統合の波に飲み込まれた方は、時折記憶が混乱して途切れたり混在したりすることがあると聞きます。おそらく、あなたが今戸惑っておいでなのもそのせいでしょう」
記憶が、途切れ……確かに。セスナに潰されたと思った次の瞬間、訳の分からない異世界にいて、そしてなぜか結婚相談所に来て登録するための書類の前に座っていた。
その間の記憶がまったくない。
「記憶の混乱は早ければ数時間で落ち着きますが、中には一生落ち着かない方もいらっしゃいます」
一生……そんな言葉に、微かに背筋が冷える。
「ですので、本相談所への登録は少し時間をあけて、落ち着いてからもう一度お考えになってください」
言いながら、美人さんが目の前の書類を手に取りしまう素振りを見せる。
「……あ」
思わず漏れた僕の声に、美人さんは三秒ほど真顔で僕を見つめ、そして――
「大丈夫です」
――心を鷲掴みにするような、極上の微笑みを向けてくれた。
「本相談所はいつでもここにあります。あなたが本心から結婚がしたいと思われた時、もう一度ここを訪れてください。私が責任を持って、あなたの出会いをサポートいたします」
出会い…………結婚……
死んだと……、思ったんだ。
もうこれで何もかも終わりなんだって。
幸せにもなれずに、温かい家庭も築けずに、もう終わったんだって……
でも、違った。
僕には、まだ時間がある……のか?
まだチャンスが残っている……のか?
『世界一の幸せ者になります!』
不意に、あの日の姉さんの言葉が脳裏に蘇る――
『恋の狩人』を自称する一途な姉が長年の恋を成就させ結婚することになり、我が家は七福神が全員揃って引っ越してきたかのような幸福感に包まれていた。
そして、家族を前にきっぱりとそう言い切った姉を、その宣言を、僕はまったく疑っていなかった。
姉にはその資格があるし、きっと姉ならそれを実現させるであろうという確信も持っていた。
結婚式の前日、「お父さんとお母さんみたいな夫婦になるのが目標です」と言った姉の言葉に両親は涙を流し、姉は気恥ずかしそうに俯いていて、そして照れ隠しで「でも、もしダメだったら、虎吉、あんたが世界一の幸せな結婚をするように! これは命令だからね!」と、そんな冗談を口にした。
僕が頷くと「なまいきー!」と、ヘッドロックをされて、明日お嫁に行く女子のすることじゃないよと、家族みんなで笑った。
姉さんのウェディングドレス姿は本当に綺麗で、嬉しそうな笑顔の姉さんは本当に幸せそうで。父さんも母さんも、本当に嬉しそうに笑っていて――
だから僕は何がなんでも幸せな結婚がしたくて……
それが、一人残された僕の唯一にして最大の願いであり、絶対に成し遂げるべき使命であり…………
なら……だったら…………僕は…………
「それでは、結婚がしたくなりましたら……」
「結婚……っ!」
気付くと、僕は立ち上がっていた。
「結婚、したいです!」
脳よりも早く心が叫んでいた。
「僕、どうしても幸せな家庭が築きたいんです! 僕を結婚させてください! お願いします!」
腰を九十度に曲げ、力任せに頭を下げる。
それから十数秒、室内は静寂に包まれていた。誰も、何も言葉を発さない。衣擦れの音すらしない。
僕の叫びが、いつまでも残響しているような気恥ずかしさが徐々に募っていく。
恐る恐る下げた頭を持ち上げると……先ほどと同じ、綺麗な微笑みがそこにあって――
「承りました。頑張りましょうね、シオヤ・トラキチさん」
僕の婚活第二章の幕を、力強く、華やかに、開いてくれたのだった。
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