第6話 金持ちの度量は持っている財産に比例する

「あのう」


申し訳なそうな顔で朝会った時に来ていた青いジャージとは違う世ヶ谷高校の黒い制服を着た少年君が私に話しかけてきた。それを私は、


……プイ


首を振って思いっきり無視した。


「えぇ」


あのおさわり事件で私が少年君にビンタした後、マイル先生が仲介に入ってその場はなんとか丸く納まった、感じになった。私的には何も丸く収まっていなかったけど。


その後、あらかじめ聞いていた通り八時から授業が始まったわけなんだけど、全然集中できなかった。原因は私のちょうど前の席に座った少年君がちらちら私の様子を伺って来るからだ。授業に集中できなくても頭脳明晰な私は試験ぐらい楽々満点を取れるんだけど、すごくウザイ、視線がうっとうしい。


授業の合間にある休み時間に何度も話しかけようとしてきてたんだけどその度に私は女性トイレに行って相手にしなかった。


「…………」


うふふふふ、こんな美人に愛想なくされるのは男としてかなりの精神的ダメージでしょ。この私の体に気安く触れた罪、せいぜい噛みしめるがいいわ。


正直彼が私に触れたのは、私を庇うためだったのは分かっている。分かっているが許せないものは許せない。


よりにもよってこの高貴で女神のように神聖な私の体にこんなパッとしない少年君が触れるなんて。


金持家末代までの恥だわ。


それでもいつまでも根に持つのも金持財閥のお嬢様としてあまりにも器が小さいわ。


それに、少年君には聞きたいことがあるしね。


しばらく目を瞑って最後の罰を少年君の身に染みこませた後、私は自分の席を立ち、


「ちょっと付き合いなさい」


少年君と共に廊下へと出た。


「あ、あのどこに向かっているのかな」


「どこでもいいでしょ。あなたは黙ってついてくればいいのよ」


教室の中だと目立ちすぎる。まあ、私が目立たないなんてことないし、少年君を誘って外に出た時点でもう教室はざわついていたけれど、でもできれば静かな場所で話したい。私にはこの少年君に聞かなければならないことがある。


「ここでいいでしょ」


「ここって」


私が話をするために選んだのは屋上。に続く扉の前。


別に屋上でもよかったけど、鍵がかかってるしね。私のマネーアクションならこんな鍵簡単に開けられるけど、後始末がめんどくさい。ここにあるのは下の階に続く一本道の階段のみ、これだけ見晴らしが良ければ誰かに盗み聞きされることもないでしょう。


私は単刀直入に少年君に聞きたいこと、朝起こった出来事について聞いた。


「朝のアレはいったいどういうつもりだったの」


「朝のアレ…………」


私の問いに少年君はしばらく、考えこむように視線を落とすと、ものすごい速さで両手を床につけて額を地面にこすり付けた。


「申し訳ありませんでした」


紛うことなき土下座。とても哀れでみっともない姿のはずなの少年君の土下座は絵画を思せるほど美しかった。


お手本のような土下座を前に私は


「へ」


困惑した。少年君の反応が私の予想と違いすぎて。


この子、なにやってんの。


「朝のアレは違うんです。金持さんの頭が地面にぶつかりそうだったから、つい後頭部に腕を回して――」


「頭、地面、後頭部……」


私の優秀な脳細胞が断片的なキーワードから彼の言わんとしていることを理解させようとしてくる。


「決していかがわしい気持ちで抱きとめたわけでは」


「っ、わかってるわよ。ばかああああああああああああああああああああ」


校舎中に今日二度目となる私の叫び声が響き渡った。


「私が聞きたいのはそっちじゃないわよ、今日の朝あなたが自転車で人をひき逃げしていったことよ」


「ひき逃げ……そんなこと僕しませんよ」


「したじゃない、私がとどめを刺そうとしていたチンピラ君を横からあなたが自転車で轢き倒していったでしょ」


「あれはブレーキが故障してただけですよ。それに、僕は金持さんに後のことはお任せしますって言ったじゃないですか。牛乳配達の途中だったのに籠に乗せてた牛乳瓶が割れちゃったから」


「それをひき逃げって言うのよ」


今日三度目の叫び声が校舎中に響きわたった。


私が最後のチンピラ君にとどめを刺そうとしたその時、目の前の中学生に間違われそうな幼い顔の少年君が自転車に乗って突然乱入。チンピラ君を吹き飛ばしてしまったのだ。


そこまでならよくある少女マンガ的な展開、とも言えなくもないのだけど、私の無事を確認した少年君はあろうことかチンピラ君たちを残してそのまま逃走。割れた牛乳瓶を取り換えに行ってしまったの。


「だからちゃんと後のことはよろしくお願いしますって言ったじゃないですか」


「普通、後始末は事故の当事者がするのよ。そんなことも知らないの」


「知ってますよ、そんなこと。でも配達のバイト中だったからしょうがないじゃないですか」


「しょうがないわけないでしょ。ひき逃げは立派な犯罪よ、は・ん・ざ・い」


まさか、本題に行く前にこんな問答をすることになるなんて。


まだ何も話が進んでいないのなんか背中から汗が出てきたわ。


「あのう」


「うん、何」


この短時間で全身にのしかかってきた疲労で息切れする私に少年君が話しかけてきた。


「それで、僕がひいちゃった人達大丈夫でした」


……………………こいつもか。


「それ、置いて行ったあなたが言う事かしら」


「だから、 僕はひき逃げなんてしてませんって」


担任があれなら、それに習う生徒もまた、ってことね。


「で、どうだったんですか」


「知らないわ」


「え」


「私、何もしていない者。なんであのチンピラ君たちのために私がわざわざ救急車とか読んであげなくちゃいけないのよ」


私の言葉を聞いた少年君はまるでこの世のものとも思えないものを見る目で私のことを見ていた。


私の美しさは確かにこの世のものと思えないほどだけどこういう感じの目で見られたことはいままで一度もないわね。


「よく、僕のことひき逃げなんて言えましたね」


「何よ、ちゃんと近くにいた女の子に後始末は任せてきたわよ」


少年君がひき逃げ(本人は否定)をして行った後、私はチンピラ君たちに絡まれていた女の子に後始末を頼んだ。ついでにその子にこの高校までの行先も聞いて、何回か迷っちゃったけど何とか時間ぎりぎりにこの高校までたどり着くことが出来た。


「それ僕とほとんど一緒じゃないですか」


「一緒じゃないわよ、あなたは事故の張本人でしょ」


今度は二人分の声が校舎中に響いた。


やっぱり屋上にすればよかったわね。


「まあ、いいわ。それより私にはあなたに聞きたいことがあるの、それは……」


これ以上話していても埒が明かないと思った私は無理やり本題へ移行した。


「どうしてあなたが私を助けたってことよ」


「どうしてって……」


「何がお望みなの」


「え、あ、いや、ぼくは別に何も……」


困った顔の少年を見て、私はため息を一つ吐いた。


そんな度胸もないなら初めからしなきゃいいのに。


「はあ、余計なお世話とはいえ、助けてもらったのは事実。お礼としてあなたの言い値であなたのマイバンクに振り込んであげるわよ。いくらがいい」


「い、いらないですよ。そんなつもりで助けたわけじゃないですし」


「じゃあ、なんであの時私を助けるようなまねしたのよ」


私の言葉を聞いて少年君の雰囲気が変わった。


あの時、少年君は私の安否を確認した。私の安否だけを。普通、ぶつかった相手の安否を確認するはずなのに。もし本当にひき逃げするつもりだったら私の安否は確認しない。それに少年君に轢かれてきぜつさせられたチンピラ君三号、身長の高さからして一号かしら、まあいいわ、少年君に轢かれたチンピラ君三号、あれだけ大きい事故だったのに傷一つ付いていなかった。


そんなことある、ブレーキが効かなくなっている自転車で突っ込まれたのに擦り傷一つしていないなんて。


少年君の表情がさっきまでのお人好しそうな表情から真剣な表情に変わる。しばらく、考え込むように顎に手を置いたまま一分くらいが過ぎ、彼が口を開いた。


「困っている人がいたら、助けなさいって先生に教わったので」


「…………へ」


小学生。あまりにも幼稚というかかみ合わない答えに私の繊細な思考回路がショートを引き起こした。


へ、先生、って、え、マイル先生。いや、そうじゃなくて自転車でノンブレーキでぶつかったのに相手がけが一つしていないのは何かマネーアクションを使ったからで、お金が必要なマネーアクションを使ったのに助けた私に何も金銭を要求してこないのはおかしいっていう話だったんだけど。


普通、自分が損をするのに人を助ける。当然見返りを要求するでしょ。ましてや私は世界随一の財閥金持グループのお嬢様よ。私を財閥のお嬢様と知っていたのかは知らないけど、それでも要求するでしょ。命より大切なお金を使ったのよ。他人を助けるために。もらうでしょ。普通、倍付で。


最初聞いたときの反応から、てっきりそういうお金の要求が自分からできない軟弱なチキンかと思ったけど、少年君の様子からそういうわけでもないみたい。


ならどうして、どうして私を助けたの。わざわざ貴重なお金まで使って。


分からない。この子はいったい何を考えているの。


この子は一体……


「君って何者なの」


私の言葉を聞いた少年君は慌てて、


「あ、自己紹介が遅れてました」


ポケットから青い手帳を取り出すと表紙を一枚めくり自分の顔写真が載ったページを私に向けて開いた。


「僕の名前は一文 無也(いちもん なしや)、金持さんと同じクラスの二年一組。よろしく」


よろしくも何もあなたとは衝撃的な出会いをすでに二回もしているんだけど。しかも、同じクラスなのは知ってるし、さっきまで一緒に授業受けてたでしょ。私あなたの真後ろの席よ。


少年君、改め一文君がすごいキラキラした目で握手を求めてきているけど、


「う…………」


見た目悪い人じゃなさそうだけど。


お金を要求しない。そんな人間この世にいるの。お金はこの世界で一番大切なものよ。それを人のために使うなんて。


一文君が伸ばす手を握るべきかどうか迷っていると、突然、校舎全体が揺れた。


「うわ」


「な、何」


校舎内に設置された緊急アラームが校舎中に響き渡る。


「校舎近くのコンビニでグリードが出現した報告が入りました。校舎内にいる学生と教師は速やかに体育館へと非難してください。繰り返します――」


その避難アナウンスを聞いた瞬間、私は階段を駆け下りた。


さっきまで地図とにらめっこしていたからわかる。この近くにあるコンビニはただ一つ。


チンピラ君たちを撃退したあのコンビニに向かうために。

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