第10話 施設
「がはっ……ごほっ、ごほっ……」
咳込む度に飛び散る唾は、鮮血で染まっていた。
ガードを固めていた両腕も両足も、打撲でジンジンと痺れ熱を持っている。
「おら、ウスノロ……さっさと立て、よっ!」
「ぐあぁぁ……」
四つん這いになって咳き込んでいると、腹を蹴られて転がされる。
肋骨が、ミシリと嫌な音を立てた。
視線の先では、こげ茶色の髪を短く刈り込んだ巨漢の少年が僕を見下ろしている。
身長は180センチぐらいありそうだし、体重も100キロを軽く超えているだろう。
これで僕と同い年だというのだから、不公平にも程がある。
「ちょっとガガト、いい加減にしてよ、治す身にもなってくれない?」
少し離れた場所で、僕とガガトの戦い……いや、ほぼ一方的ななリンチを見守っていた三人の中の一人が、抗議の声を上げた。
薄桃色のフワフワとした髪の少女で、僕同様に小柄で痩せっぽちだ。
「けっ、魔力が減ったところで、チューチューすりゃ済むだろう」
「ばっ、ばっかじゃないの、好き好んでやってるんじゃないんだからね……」
「はっ、どうだかなぁ……何なら別の所を吸ってやりゃいいんじゃねぇのか?」
ガガトは、肘を股間にあてがい、腕をクイクイっと卑猥に上下させてみせた。
「きゃははは……ガガト、昼間っから何言ってんのよ」
下品な笑い声を立てたのは、真っ青な髪のキツネ目の女。
エラの張った四角い顔立ちだが、凹凸の激しい丸みのある身体付きで露出度の高い服を着ている。
この女と痩せっぽちの桃髪女も同じ年だそうで、色々と不公平に見えてしまう。
「へっ、俺はいつでもいいぜ、サメメ」
「ちょ……やん、もう……駄目だよぉ……」
ガガトは、僕をいたぶる事に飽きたのか、サメメに歩みよると身体を密着させて唇を重ねた。
こいつらが夜昼構わず、盛りのついた犬みたいな生活をしているのは、ここでは有名な話だ。
「お前ら、ほどほどにしとけよ……チルル、悪いが治しておいてくれ」
「分かってるわよ、いつ出動か分からないものね」
「その通りだ……頼んだよ」
イエローブロンドと言うのだろうか、黄金色の髪に均整の取れた体格、背丈もガガトと同じぐらいあるイケメン野郎はレレゾと言って、僕らのリーダー的な役割を担っている。
他の三人が歩み去り、古城の中庭には僕とチルルだけが残された。
ここは、僕が連れ込まれたゲゲルの研究施設で、レーストリンダという国の軍隊に属しているそうだ。
僕が連れて来られてから、もう一年以上経っている。
「まったく、ボロボロじゃないの……弱いのに粋がるからよ」
「うる、さい……お世話、余計だ……」
「余計なお世話だろうと、役目なんだからやらなきゃいけないの、仕方なくだからね、仕方なく……」
そう言うと、チルルは唇を重ねてきた。
「んっ……」
チルルの犬歯が刺さり、チクリと唇に痛みが走った。
傍から見ればキスしているように見えるが、チルルは僕の唇から溢れた血を吸っている。
たっぷり三十秒ぐらい唇を重ねていただろうか、恍惚とした表情を浮かべたチルルは、僕に向かって両方の手の平を突き出した。
「はぁ、はぁ……ハイ・ヒーリング」
僕の身体が柔らかな光に包まれ、身体中の痛みが潮が引くように消えていく。
治癒魔法……僕の迷い込んだ世界は、魔法が普通に存在する世界だった。
魔法は普通に存在しているが、治癒魔法の適性を持つ者は少なく、効果の高い治癒魔法を使える者は更に希少な存在のようだ。
この歳で高度な治癒魔法を使えるチルルは希少な才能の持ち主なのだが、魔力量の不足という致命的な欠陥を抱えていた。
どんなに効果の高い治癒魔法でも、掛けている時間が短くては得られる効果は少ない。
それならば、効果の低い魔法でも長時間掛け続けられる方が、結果として得られる効果は大きいのだ。
チルルは才能ある欠陥品というレッテルを貼られていたが、その欠陥を補う手立てが現れた。
それが、有り余る魔力を持ちながら魔力の存在を感じられず、魔法が使えない僕だ。
魔力は血に混じって身体を巡っているそうで、僕の血を飲むことでチルルは魔力不足を補えるそうだ。
ただし、こちらの世界では血を飲むという行為は重大な禁忌にあたるらしい。
そして、身体の外に出た血からは、どんどん魔力が失われてしまうそうだ。
結果として、他人に忌まわしい行為を行っていると気付かれずに血を飲む方法として考えられたのがキスという訳だ。
薬物投与を繰り返された僕の血液には、膨大な魔力が含まれているらしく、チルルは吸血のためのキスをする度に、魔力に酔うのか恍惚とした表情を浮かべる。
痩せっぽちでツルペタ体型をしているくせに、妙に色っぽい表情をするので、毎回ドギマギさせられているのは、チルルには絶対に内緒だ。
「ち、治療は終わったから……い、一緒に食事に行くわよ」
「あとで、いい……行く、一人……」
「駄目に決まってるでしょ、部隊の体調管理は私の仕事なんだからね。ちゃんとしないと私がレレゾに怒られちゃうんだから」
「はぁ……分かった……」
僕は、レレゾがリーダーを務める特殊部隊に組み込まれている。
チルルの魔力補給と、偵察が僕の役目で、あの日、僕の左目に移植されたのは魔眼だった。
『深望の魔眼』と名付けられていた魔眼は、物を透過させて見る能力をもっていた。
壁の向こう側だろうと、山の向こう側だろうと、視力の及ぶ範囲ならば、障害物を排除して見通せる。
ただし、魔力量の少ない者に植え付けると、魔力を食い尽くされて命を奪われてしまうそうだ。
得体の知れない薬のおかげで、膨大な魔力を宿すようになった僕だから死なずに済んでいるらしい。
逆に言うなら、僕の魔力が減ってきたら、魔眼に食い殺されるのだろう。
この魔眼を使って、敵のアジトの中の様子を見て、配置や人数を知らせるのが、もう一つの僕の役割だ。
木が茂っていようが、壁があろうが、魔眼の前では無意味だ。
内部の状況が分かっていれば、攻める側は大きなアドバンテージを得られる。
レレゾは雷系の魔法の使い手、ガガトは身体強化の魔法に特化した使い手、サメメは氷雪系の魔法の使い手、そしてチルルが治癒魔法。
僕以外の四人は、この研究施設で生まれ、育ってきたそうだ。
魔法の素質が高い者、魔力の量が多い者同士を掛け合わせ、より有能な子供を作るプロジェクトの成果らしい。
チルル以外の三人は、高い魔力量を持って生まれ、幼児期から魔法の英才教育を受けていた、いわゆる魔法使いのエリートだ。
魔法の腕前はエリートだが、普段の素行はとてもエリートとは言い難いほど酷い。
魔力の少ない大人の職員に対して、暴言や暴力など日常茶飯事だ。
ちなみに僕がボコられていたのは、奴らよりも更に膨大な魔力を持っているからだ。
エリートの自分達が魔力量で劣っているのが気に入らないのだろう。
だが、いくら膨大な魔力を持っていても、それを感じ取る事が出来ないので、僕は魔眼以外の魔法は使えない。
僕らの部隊の任務は、国に反旗を翻そうとする反逆者の鎮圧だ。
鎮圧なんて言葉を使うと、まともな軍隊のように聞えるかもしれないが、実際に行われているのは虐殺行為だ。
敵のアジトを襲撃し、一人残らず問答無用で皆殺しにする。
部隊は、『死の猟犬』と呼ばれているそうだ。
軍の中で役割を得た事で、生活のレベルは飛躍的に良くなった。
監視はされているが、狭いながも個室が与えられ、着る物も食べる物も支給されている。
こちらの世界に来て、ようやく人間らしい生活ができるようになったのに、思い出すのは岩場の家でのフィヤとの毎日だ。
あの時、フィヤはどうなってしまったのか、上手く逃げていてくれれば良いが……もう一度会って抱きしめたいと思い続けている。
「ちょっと、ケケン、ちゃんと話聞いてる……?」
「えっ……うん、聞いて、る……それと、ケケン違う、ケン」
「どっちでも良いでしょ、ぼーっとして、何考えてんのよ」
「して、いない……」
「嘘ばっかり……」
喋るのは上手くいかないが、話している内容は理解できるようになった。
食事をしながらフィヤの事を思い出していたら、チルルに文句を言われたが、毎回、レレゾがいかに格好良いか、いかにガガトとサメメがいやらしいか愚痴られるのには飽き飽きしている。
施設の警備は厳重で、任務以外では外に出る事も出来ない。
それでも何とかしてフィヤの安否を確かめたいし、出来れば一緒に暮らしたい。
ぼーっとした覇気の無い少年を演じながら、僕は脱走の機会をうかがい続けている。
「チルル、任務だ、準備してくれ」
「分かったわレレゾ、すぐ行く」
食堂でチルルの話を聞き流していると、レレゾが呼びに来た……と言っても、レレゾが声を掛けるのはチルルにだけだ。
僕の事は、チルルの付属品としか見ていないらしい。
「ほら急いで、ケケン」
「うん……だから、ケンなんだけど……」
チルルに促されて、仕方なく車庫へと向かった。
どうせ急いで行ったところで、猥褻コンビが遅れてくるに決まっている。
車庫には部隊専用の地竜車が準備されている。
僕が連れて来られたものは二頭立てだったが、こちらは一頭立てで、地竜の種類も違うようだ。
地竜は外見とは裏腹に大人しい性格で、力も強いし、そこそこの速度も出るので、乗り物を引かせるのには持ってこいらしい。
地竜に繋がれている台車には、四人程が並んで座れる座席が向かい合わせに設置され、その後部には装備品などを載せておけるスペースがある。
八つも座席があるのに、僕が乗るのは後ろのスペース。
あくまでもチルルの装備品だと言う事なのだろう。
「レレゾ、今日の目標は?」
「レジスタンスの拠点を制圧する」
「危険度は高くないの?」
「チルル、僕らの任務に危険でないものなんか無いさ」
「いくら私が居るからといって、無茶な戦いはしないでよね」
「勿論さ、圧倒的な力で反逆者を制圧し、国の威厳を示すのが僕らの仕事だからね」
イエローブロンドの髪を右手で掻き上げながら、レレゾは自信たっぷりに言い切ってみせる。
実際、レレゾの魔法はかなり強力で、自信たっぷりなのも無理はない。
普通なら、どこに飛ぶのか分からない雷を意のままに操り、高電圧の矢として相手を貫くのだから、対峙した者は絶望するしかないだろう。
巨漢のガガトが得意としているのは、身体強化の魔法だ。
筋力アップ、反応速度アップ、そして硬化。
鋼鉄の如く固めた拳を、豪速で叩きつけられれば、殆どの者は甚大なダメージ受けるだろう。
実際、壁とか盾とかは、ガガトの前では殆ど役に立たないし、普通の兵士が振るった剣では、硬化させた身体には傷一つ付けられない。
淫乱女のサメメは、氷結魔法の使い手だ。
氷の剣、氷の矢などは当然として、霧を操り、相手の身体を十分に湿らせた上で凍らせ、体力を奪いながら嬲り殺しにする。
相手の目の表面を凍らせて視力を奪い、いたぶりながら殺すなど、ネチネチとして残忍な戦いをする。
僕らの他に、隊には二人の護衛騎士が帯同する。
騎士の役目はチルルの安全の確保だ。
レレゾ達三人が負傷するような事態は殆ど無いが、それでも皆無ではない。
相手に腕の立つ魔道士が居て、深手を負わされた事もある。
そうした時に、すぐ治療に向かえるように、チルルと僕は騎士に守られながら待機している。
ガガトからは役立たずと馬鹿にされるが、魔眼を使って見る以外は、ただの子供である僕に、戦いなど出来るはずもない。
それに、レジスタンスと見れば、女性だろうと子供だろうと、容赦なく殺す三人の姿を『深望の魔眼』で見ている。
戦いに参加したいなどと、思うはずがない。
『深望の魔眼』のおかげで視力自体も強化されているので、数キロ先まで見る事が出来る。
おまけに、真っ暗闇でもハッキリと見えるので、安全な後方に居ても任務中の三人の行動を見られるのだ。
『深望の魔眼』は金色の瞳で、虹彩が縦に割れている。
右目と比べると悪目立ちするので、黒い革の眼帯を付けているが、この状態でも外の様子は見えている。
いつも任務に向かう途中で通る道、他の四人は見る事もないだろうが、丘の向こうには貧しい集落がある。
軍の施設では、食事も服も恵まれているが、今見えている集落の子供は痩せこけて、襤褸切れをまとっている。
叛乱を鎮圧する任務が本当に正しいのか、四人は疑った事も無さそうだが、僕には正しい行動とは思えない。
でも、いつか脱走するために、知識と力を蓄える事に専念することしか今は出来そうもない。
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