第9話 浸食

 手足を縛られたまま何日か乗り物に揺られて、知らない場所へ連れて行かれた。

 目隠しのままで連れ込まれたので、建物の外観は全く分からないが、目隠しを外されたのは石造りの牢の中だった。


 広さは四畳半ぐらいで、床も壁も天井も石組み、廊下との境には鉄格子が嵌っている。


『ここで大人しくしてろ、騒いだら……分かるな?』


 僕をここへ連れて来た大男が、拳を握って見せた。

 言葉は分からなくても拳の意味は、ここまで来る間に何度も思い知らされた。


 この世界に来てから初めて人間に会ったのに、その人間は僕にとっては最悪な奴らだった。

 これからどうなってしまうのか、フィヤはどうしたのかと考えると、涙が溢れて止まらない。


 三十分ほどして戻って来た大男は、二人の男と一緒だった。

 一人は白髪で頭のてっぺんが禿げ上がっていて、もう老人と呼んでも良い年齢に見える男。


 もう一人は三十歳ぐらいの神経質そうな男で、身長は160センチぐらいに見えるが顔つきは西洋人だ。


『ママダ、こんな汚らしい子供が土産だとぬかすのか?』


 白髪は、僕をジロジロと眺めると不機嫌そうに口元を歪めた。


『ゲゲル様、魔力計を御覧下さい、このガキ全く魔力を持っておりません』

『なんじゃと……うむ、確かに……何なんだこれは……』


 男達は、品定めをするように、ジロジロと僕を眺めながら何やら言葉を交わしているが、当然意味は全く分からない。

 助けを求めようかと一瞬思ったけど言葉が通じないし、どう考えても仲間にしか見えないから下手に口を開けば殴られるだけだろう。


『ゲゲル様、このガキは聞いた事も無い言葉を話していたので、もしかすると魔王と勇者の戦いで生じた時空の歪みに落ちて来た者ではないかと……』

『ぬぅ……確かに、全く魔力を持たない生き物など、この世には存在しないはずだ……』


 白髪は、不精髭が伸びた顎を右手でさすりながら、僕を睨みつけてくる。

 そんな白髪の表情を横から眺めていた神経質そうな男が、何かを思いついたように口を開いた。


『ゲゲル様、こやつに例の薬を与えてみてはいかがでしょう?』

『例の薬だと? キキリ、あの薬の効用が何だか分かって言っておるのか?』

『はい、本来生まれ持ったまま増える事が無いと言われている魔力量を増大させる薬でございます』

『元々の魔力を持たない者に与えて何の意味がある?』

『例の薬を飲んだ者は、軒並み命を落としています。この者が別の世界から来たのであれば、生き残る可能性があるのでは』

『ぬぅ……なるほど、試す価値はありそうだな……ママダ、連れて来い』


 言葉を切った白髪は廊下の先へと顎をしゃくると、神経質そうな男と共に去って行った。

 残された大男は、舌打ちしながら牢の戸を開けた。


『ちっ、おら出ろ! せっかく運んで来たってのに、もう使い潰しかよ……おら、さっさと来い!』


 不機嫌そうな大男に手招きされて、仕方なく僕は牢を出た。

 小突かれながら向かった先は、何やら刺激臭のする部屋だった。


 部屋の奥には黒ずんだシミが付いた頑丈そうな木の椅子が置かれていて、手摺りと脚には革のベルトが付けられている。

  これから何をされるのか分からないが、それは絶対に良くない事なのだと直感的に理解出来た。


『さっさと座れ!』


 大男に突き飛ばされて半ば無理やり椅子に座らされ、手足をベルトで固定された。

 神経質そうな男が薬瓶から小さなカップに紫色の液体を注ぐと、周囲に漂っている刺激臭が濃くなった。


 神経質そうな男が、カップを大男に手渡す。

 大男の手では、小さなカップは指先で抓まれているようだ。

 恐ろしくて、歯が勝手にガチガチと鳴るのを止められない。


『大人しく飲めよ、吐き出したりしたら……分かるな?』


 大男は刺激臭のするカップと、岩のような拳を順番に僕の目の前に突き付けた。

 椅子の背もたれは石造りの壁に接していて、僕の顔と同じぐらいある拳で殴られたら頭蓋骨がグッシャリと潰れてしまうだろう。


 僕に残された道は、カップの中身を飲み干す事だけだった。

 大男の万力のような指で鼻を抓まれ、無理やり開けられた口にカップの中身を流し込まれた。


 すぐに大男に口を塞がれ、正体不明の液体は喉を焼きながら胃袋へと落ちて行った。


「ぐぅぅ……ぐぅぅぅ……」

『馬鹿野郎、吐き出させる訳ねぇだろう……』


 命を守るために、僕の身体は全力で液体を吐き出そうとしたが、口も鼻も塞がれ逆流した液体は肺にも落ちて行く。

 胃袋が、肺が、燃えるように痛み、そこから吸収された何かが、血管を通って全身で暴れ回り始めた。


 身体は僕の意思から離れ、ガクンガクンと痙攣を繰り返し、全身の毛穴から汗が噴出して来る。

 視界が真っ赤に染まり、頭が中から弾け飛んでしまうかと思った。


『キキリ、駄目そうではないか……』

『申し訳ございません、魔力を持たない者ゆえに耐え切るかと思いましたが、更に悪い反応を示すとは……』

『身体中の毛穴から血が吹き出すとは……ママダ、片付けておけ』


 白髪と神経質な男が去っていくのを感じながら、僕は意識を失った。


 どれほど時間が経ったのか、ヌルヌルとした物に塗れながら、僅かに身体を動かすと悲鳴が聞こえた気がした。


 次に意識が戻った時には、ぬるま湯に漬け込まれているような気がした。


 ようやく、しっかりと意識が戻った時、僕は硬いベッドに横たわっていた。

 身体が上手く動かせず、目だけで周囲を見回すと、最初の石牢のようだ。


 何とか手足を動かそうと寝台の上でもがいていると、鉄格子の向こう側に大男がやって来た。


『けっ、本当に生き残るとは馬鹿な奴だな……そのまま死んでりゃ苦しまずに済んだのに……』


 言葉の意味は分からなかったが、それが不吉な言葉なんだと自然と理解が出来た。

 三日ほどすると動けるようになり、五日後には、また白髪と神経質そうな男が現れた。


『見ろキキリ、僅かだが魔力を持っているぞ』

『はい、ゲゲル様、これは思わぬ拾い物かもしれません』

『よし、どこまで魔力が増えるか、実験しろ!』

『心得ました、ゲゲル様』


 大男が来て、またあの部屋へと連れて行かれ、またあの液体を飲まされた。

 二度目だから、一度目よりは楽だろうなんて考えたのは間違いで、身体に悪い物は、どこまで行っても体に悪いもののままだ。


 視界が赤く染まるのは血の涙を流しているから、全身がヌルヌルするのは毛穴から血が噴出しているのだと気付いたのはこの時だった。

 そして、また意識を失い、硬いベッドで目を覚ます。


 この地獄のような苦しみを、何度も、何度も繰り返し味わわされた。

 いつしか僕の髪からは色が失われて、今では真っ白に変わっている。


 投薬が十回を超えた頃、陰気そうな青い髪の中年の女性がやって来て、僕に言葉を教え始めた。

 こちらの世界の言葉は独特な発音があって、普通の速度で話されると言葉を聞き取る事すら困難だ。


 陰気な女性はジセセという名前で、見た目に反して根気良く教えてくれたが、最初は短い言葉を覚える事しか出来なかった。


『はい……いいえ……水……欲しい……トイレ……したい』

『はい、いいわ、発音はどうしようも無いけど、何とか通じるレベルね』


 何を言っているのか分からず首を傾げると、ジセセはほんの少し笑みを浮かべた。


『まあまあよ……まあまあ』

『まあまあ……』


 この先、まともな生活が出来るとは思えないが、言葉が分からなければ、ここから逃げ出したとしても生きていくのは難しい。

 とにかく、ほんの少しでも希望が感じられるように、言葉の練習に没頭した。


 投薬が二十回を超えた頃、大男ママダに、白髪の男ゲゲルの研究室へと連れて行かれました。

 

『ふむ……魔力を微塵も持たなかった者が、これほどの魔力を持つようになったか……良し、魔法を使ってみろ』


 ゲゲルの研究室にはジセセも通訳として同席していて、僕にゲゲルの言葉を噛み砕いて伝えてきた。


『ケン、魔法を使ってみなさい』

『魔法……知らない』

『魔力を使って、やりたい事を想像して、発動させる』

『魔力……操作?』


 ジセセが必死に話を噛み砕いて、僕に魔法を使うように伝えてきた。


『魔力……流す……操作……うーん、何て言えば良いのかしら……』

『魔力? 流す?』


 ジセセの奮闘によって、僕に魔法を使えと言ってるのだと理解出来たが、魔力の使い方が全く分からない。

 魔法は、体内の魔力を操って発動させるもののようだ。


 ママダやジセセが実際に火や風を出したりしたが、そもそも自分の魔力なるものを全く感じ取れないので操作のしようもない。

 僕の身体には、普通の人の倍ぐらいの魔力が蓄えられているそうなだが、いくら魔力があっても感じ取れなければ無いのと同じだ。


 ゲゲルは狂ったように髪を掻き毟り、杖で僕を殴り付けたが、いくら殴られても魔力が感じられないし結果は変わらなかった。

 その後も、魔力が高まれば認識出来るかもしれない、どこまで魔力が増えるものなのか実験すると言い、ゲゲルは僕への投薬を続けた。


 魔力はその後も増え続けたが、膨大な魔力を身に宿すようになっても、一向に魔力を感じ取れない状況が続いた。

 ある日、そろそろ投薬の日だと気分を重たくしていると、ママダが僕を牢から連れ出しに来た。


 投薬する部屋へと連れて行かれるのかと思っていたら、この日は別の部屋へと連れて行かれた。

 その部屋の中央に置かれているものは、どう見ても手術台にしか見えなかった。


『台に上れ、早くしろ!』


 石造りの台は滑らかに加工されているが、不自然な黒い模様があり、それが何の染みなのかは聞くまでもなく、また歯がカタカタと鳴るのを止められなくなった。

 それでもママダに脅されれば、台に上がるしかない。


 台上に寝ると、体をベルトで拘束された。

 ゲゲルは先端がスプーン状のトングのような物を取り出して、なにやらブツブツと呟き始めた。


 ゲゲルの助手と思われる神経質そうなキキリは、薄いブルーの液体で満たされたガラスの容器を運んで来た。

 容器の中には、神経の束が繋がった、金色の瞳を持つ目玉のようなものが浮かんでいて、ギョロギョロと周囲を見回しているように見える。


『魔力が感じられず、操作する事も出来ない? ならば出来るようにしてやろう』

『いやだ……い、やだ……あぁぁぁぁぁ……』


 ゲゲルは、ママダに頭を押さえ付けられ、身動き出来ない僕の左目にトングのような物を挿し入れ、ズルリと目玉を引き摺り出した。

 左目の視界は、迫ってきた銀色に包まれ、目の奥で聞えたブチブチという音と激しい痛みとともに閉ざされた。


 右目の視界には、トングのような物の先から垂れ下がった神経の束が映っている。


「うぁぁぁぁ……」


 ゲゲルは、掴み出した僕の目玉を床に投げ捨てると、ガラス容器の中の目玉を捕まえようとしたが、神経の束を使ってウネウネと泳ぎ回って捕まらない。

 キキリが柄杓の様な物を持って来て、泳ぎ回る目玉を掬い上げた。


「い、いやだ……い、いやぁぁぁぁぁ!」


 キキリが柄杓のような物を僕の顔の横に近付けると、金色の目玉が左の目玉が無くなった眼窩へ飛び込んで来た。


「うぎゃぁぁぁぁぁぁ!」


 僕の意思とは無関係に、頭の中でグリグリと目玉が動き回る気持ち悪さに、喉が裂けるほどに叫び続けた。

 ウネウネとした物が、目の奥から更に深い場所へと侵入して来る。


 頭の中を侵食される恐ろしさに、僕は失禁した。

 その後も目玉はグリグリと動き続け、やがて突然左目の視界が回復した。


 視界は回復したものの、目玉は僕の意思とは全く無関係な方向を向き、とんでもない場所にピントを合わせようとする。

 当然、視界がめちゃくちゃに揺れて、処理の追いつかなくなった脳が悲鳴を上げ始めた。


 すると、今度は脳の中にまで侵食が始まり。

 コンセントを抜かれたテレビのように、ブツっと視界が閉ざされ、意識も途絶えた。


 その後も意識が戻っては、左の目玉が暴走し、脳に侵食を受けて意識を失う日が、二十日以上も続いた。

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