第8話 遭遇
「わぅ……わぅ、わぅ……」
フィヤが吠え立てながら鹿の群れを追って行く。
時折岩の上に立つ僕の方へと視線を向け、ハンドサインに忠実に従いながら方向を変えた。
すっかり雪が消えた地面からは青々とした草が芽吹き、季節は春から初夏へと向かっている。
フィヤは更に成長して、今や普通のハスキー犬ほどの大きさがあり、飛び掛かられると支えきれずに倒れてしまうほどだ。
「わふ、わふ……わぅ……」
フィヤが鹿の群れを追い込んでいるのは、川原近くの林の一角、ちょうど僕の立っている岩の下の辺りだ。
遠めには普通の林にしか見えないが、近付くと木の間には蔓が張り巡らせてあり、鹿などの大きな動物の行く手を阻んでいる。
フィヤに追い込まれた鹿の群れは、もう罠に掛かったも同然だ。
フィヤには、そのまま追い込むようにハンドサインを出し、僕は岩を下りて狩場へと向かった。
蔓を張り巡らせた場所は、徐々に幅を狭めながら、僕が身を隠した岩の窪みの前へと向かっている。
フィヤに追い詰められて、逃げ場を無くした獲物に僕が銛で止めを刺すという作戦だ。
鹿の群れは全部で五頭、残酷なようだが狙うのは二頭の子鹿のいずれかだ。
親鹿よりも皮が薄く、肉も柔らかいので、銛が深く刺さるから仕留め易いのだ。
岩の窪みに身を潜めて待っていると、足音が迫って来た。
窪みの中には、手製の銛を用意してある。
銛には返しが付けてあり、編んだ蔓が結んであり深く刺されば逃げられない。
「わぅ、わぅ……わぅ、わぅ……」
鹿達は行き止まりへと追い詰められて、行き場を探して右往左往している。
そして、動きを止めた子鹿の首筋に、思い切り銛を付き入れた。
「ぎゃぅ……がはっ……ごふぅごはっ……」
喉を銛が貫通し、子鹿が暴れ回る。
十分な手応えを感じたので、すぐに岩の窪みへと身を隠した。
もたもたしていると親鹿の攻撃を受けて、今度は僕が危なくなるからだ。
「フィヤ、バック! バック!」
鹿達を追い詰めていたフィヤを戻して、退路を開けさせる。
その間に、岩の割れ目を伝って、罠の外へと脱出した。
親鹿の一頭が追ってこようとしたが、張り巡らせた蔓に阻まれて出て来られない。
子鹿は喉に銛が刺さったままもがいているが、銛に結んだ蔓のせいで逃げられない。
罠を回りこんだフィヤが僕の傍まで戻って来て、今度は囲いの外から鹿達を威嚇する。
「わぅ、わぅわぅ……わぅ、わぅ、わぅ!」
フィヤが咆え立てても、親鹿は手負い子鹿のそばから離れようとはしない。
やがて力尽きた子鹿が倒れても、親鹿達はなかなか立ち去ろうとはしなかった。
この親鹿達が立ち去るまでの時間が、一番罪悪感を感じるのだが、僕らも食べなければ生きていけない。
フィヤが子犬の頃ならば、魚を取って何とか食いつないでいけたが、成長した今は食料も沢山必要になっている。
そして、食料を沢山必要とする理由がもう一つある。
それは、人が住む街が無いか、探索に出掛けるためだ。
親鹿が立ち去った後、仕留めた子鹿を、川に運んで解体する。
腹を割いて内臓を取り出し、肝臓や心臓は良く洗って、焚き火で焼いてその日の食事にする。
「きゃぅぅぅ……きゃぅぅぅ……」
「まだ、まだ焼けてないから、待て、フィヤ、お預け!」
「きゅぅぅぅ……くぅぅぅぅぅ……」
身体は大きくなっても、フィヤは相変わらず串焼きの匂いには弱く、ペッタリと地面に伏せて情けない声を出している。
冬から春に掛けて、もう何頭も仕留めてきたので、解体にも慣れてきた。
木べらや石包丁などを使って、皮を剥ぎ、骨を外して肉の塊にした。
「よーし……そろそろ焼けたかな……」
「きゃぅぅぅ……わん、わん、わん!」
「待て、僕が食べてから……むぐぅ、むぐ、むぐ……うんまぁぁぁ! レバー旨っ!」
半生という感じの肝臓は、濃厚な味わいで、一口ごとに身体に活力が流れ込んでくるようだ。
「わん、わん、わん、わん!」
「分かった、分かったから、ほれ、よし!」
「はぅ、はぐはぐはぐ……くぅぅぅん……はぐはぐはぐはぐ……」
「まったく、最近良く食べるよなぁ……」
僕よりも、フィヤが食べる量の方が多いぐらいだ。
何となく、まだまだ大きくなりそうで、この先食料の確保が間に合うか不安になってくる。
それでも、幸せそうな顔で肝臓に齧り付いているフィヤを見ていると、何とかしてやろう……って思っちゃうんだよなぁ。
心臓と肝臓、肉少々で食事を終えた僕らは、解体した肉を家へと運び、干し肉作りへ取り掛かる。
こちらも何度も繰り返してきて、慣れた作業になっているのだが、時折燻製されている肉を見詰めて、フィヤが切なそうに鳴くのは困ったものだ。
狩猟と解体に一日、翌日は干し肉作り、その翌日からが探索作業だ。
やり方は至って簡単、目印を付けながら半日歩き、行ける所まで行ったら印を残して戻って来る。
言うなれば、自分達の縄張りを広げていく感じだ。
最終的な目標は、人が住んでいる街に辿り着いて暮らす事だが、そもそも人が居るのかも分からないし、街があるのかどうかも分からない。
なので、生活の基盤となる家を中心にして行動範囲を広げながら、人との接触を図ることにした。
最初に手を付けたのは、川の下流の方向だ。
川に沿っての移動ならば、水に困る心配はない。
その日の食料となる燻製だけを鞄に入れて、銛を片手にフィヤと一緒に下流を目指した。
川に沿って移動をしながら、洞窟のような物が無いか周囲に目を光らせる。
歩いて半日の距離では、人の痕跡を見つけられないかもしれない。
その場合には更に行動範囲を広げる必要がある。
その時の為に、ベースキャンプのような場所見つけておきたい。
安全に夜を明かせる場所があれば、更に行動距離を伸ばす事が出来る。
少しでも行動範囲を広げられれば、人と出会う可能性も高くなるはずだ。
探索には、もちろんフィヤも一緒に出掛ける。
と言うよりも、フィヤは居てくれないと困る相棒だ。
探索に出掛ける時に、一番不安に思ったのは肉食獣の存在だ。
冬に襲ってきた虎のような大きな肉食獣に襲われたら、隠れる場所が無ければ殺される危険がある。
襲われない為には、相手よりも早く発見して身を隠すしかない。
匂いや物音などを察知する能力は、僕よりもフィヤの方が圧倒的に優れている。
言うなれば、危険察知のためのレーダーの役割をしてもらっているのだ。
思い返してみると、今の家がある場所に辿り着くまでに、良く肉食獣に襲われないで済んだものだ。
警戒なんか全くしていなかったから、本当に運が良かったとしか言いようがない。
初めて探索に出掛けた日、フィヤはいつもと違う場所まで行くので楽しげな様子だったが、僕が周囲を警戒する様子を見て、フィヤも周囲に気を配るようになった。
見通しの良い場所に来たら、周囲を十分に警戒。
進んで行く方向だけでなく、今来た方向も振り向いて、後を付けられていないか気を配った。
もう十回以上探索を行っているが、幸にして肉食獣と鉢合わせするような事態にはなっていない。
ただ、鹿の群れは頻繁に見かけているので、油断は禁物だろう。
食料となる草食動物が居れば、それを食べる肉食獣がいても不思議ではない。
探索を始めてすぐに、木が倒れるなどの不自然な場所が目立つ事に気付いた。
一帯の木が炭になってしまっている場所や、根こそぎ薙ぎ倒されている場所、枯れてしまっている場所、そしてクレーターのような穴。
周囲が手付かずの森なので、そうした場所は余計に目立つ。
今の家がある場所に辿り着くまでにも、何度も見た現象だが、本当に超人同士の戦闘の跡のように感じてしまう。
「うーん……これって、一体何なんだろうね……?」
「わぅ……くぅーん……」
フィヤに尋ねてみても、首を傾げるばかりだ。
狩猟と干し肉作り、そして探索を数日というパターンを繰り返して、探索も二十回を超えた頃のある日の事だった。
森を西の方向へと進んでいると、また不自然な場所に突き当たった。
そこは、森が一直線に抉り取られているような場所だった。
両側の木は焼け焦げ、地面は一度熔けて固まったかのように平らになっている。
まるで、海底トンネルの掘削マシーンで、森を抉り取ったような感じで舗装された道路のようだ。
不可解な道は、西南西から東北東へと向かって一直線に伸びていた。
障害物が無くなって、遥か遠くまで見渡せる状況だが、目を細めても街のようなものは見えない。
いずれは、この道の先を探索しようと思ったが、その日は道を横切って更に森を進んだ。
昼ぐらいの時間まで森を西に進み、目印を辿って、また不可解な道まで戻って来た時だった。
道の先から近付いて来る物が見えた。
「フィヤ、おいで……」
「わふっ……」
フィヤと一緒に木の影に隠れ、近付いて来るものに視線を向けると、それは乗り物のように見えた。
馬とは明らかに違う見た目の違う、爬虫類系の四足の動物が車を引いている。
車の上には、手綱を握る人影も見えた。
「フィヤ、おいで! おーい! おーい!」
「わん、わん、わん、わん!」
フィヤと一緒に道の真ん中へと出て、思いっきり両手を振った。
ガラガラという車輪の音を立てながら、乗り物はどんどんと近付いて来て、やがて僕らの手前で速度を緩めて止まった。
乗り物には、二人の男が乗っていて、見た目は地球の人と同じように見える。
「すみません! 僕ら森で迷子になってしまって、街まで乗せてもらえませんか!」
言葉が通じるかなんて頭には無くて、とにかく大きな声で呼び掛けると、乗り物から男達が降りて来た。
二人とも凄く身長が高くて、パッと見で2メートルぐらいありそうだ。
彫りの深い顔立ちは、西洋人のように見えるが、一人の髪の毛は茶色っぽい緑色をしている。
二人ともガッシリとした体型で、腰には短剣を差していた。
『何だ、このガキ、何でこんな所に居るんだ?』
『小汚ぇな……臭いぞ、こいつ……』
何事か二人は言葉を交わしたが、全く意味が分からない。
日本語ではないし、英語とも違うように感じる。
「あっ……あの、僕は日本から来た柴田健です。ケン、分かるかな?」
自分を指差しながら話掛けても、二人は首を捻るばかりだ。
フィヤとの生活に慣れてしまって、他の人と出会った時にどうしようかなど、すっかり頭から抜け落ちていた。
『こいつ、何言ってやがんだ?』
『さぁ、ノルラッド訛りって訳じゃねよな?』
『おい見ろ、こいつ魔力を全然持ってねぇぞ……』
『はぁ? 魔力計がぶっ壊れてんじゃねぇのか?』
二人は、何かの機械を覗き込みながら話しを続けている。
『ほら、壊れなんかいねぇよ。こいつ、マジで魔力がねぇぞ』
『よぉ……こいつ、丁度良いんじゃないか?』
『ん? おう、そうだな、確かにそうだ……』
男達は、僕にジロジロとした視線を向けていたが、ニヤリとした笑みを浮かべた。
それは背中の毛が逆立つほど、ヤバい感じのする顔つきだった。
「フィヤ! ハウス!」
身の危険を感じてフィヤに家まで戻るように怒鳴り、男達に背中を向けて森に向かって走った。
『逃がすかよ、ガキ……バースト』
「がっ……」
背中に衝撃を受けて、地面に叩き付けられた。
森の中でフィヤが立ち止まって、振り向くのが見えた。
「フィヤ……ハウス……ハウス……」
僕の声が届いているか分からないけど、今出せる精一杯の声でフィヤに逃げろと指示を出した。
『けっ、手間かけさせんなよ……』
「いだぁ……」
歩み寄って来た男に、髪の毛を掴まれて引き摺り起こされた。
指示を守って逃げるか、それとも助けに戻るか、フィヤは泣きそうな顔で迷っているように見えた。
「わぅ!」
意を決したように一声咆えると、フィヤはこちらに戻って来ようとしました。
「ハウス! ぐはっ……」
『うるせぇ、黙ってろ……』
急ブレーキを掛けて止まったフィヤは、僕が殴られたのを見て、また駆け寄って来ようとする。
「ハウ……ハウス……」
「きゃぅぅぅ……」
森の入口で泣きそうなフィヤを見て、涙が溢れて来た。
せめてフィヤだけは……。
「フィヤ、ハウス……逃げて……」
『ちっ、寝てろ……』
「がっ……」
「きゃぅぅぅ……」
後頭部を殴られて混濁する意識の中、もう一人の男の手から放たれた火の玉が、地面に炸裂してフィヤを吹き飛ばしたが、僕は何も出来ずに意識を失ってしまった。
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