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 夕食後。

 キリは部活でまだ帰らず、ナミはメイとお風呂。

 瑛比古テルヒコさんはハルと食器洗いに勤しんでいた、そんな時。

「そういえば、佐原サワラ主任、母さんの友達だったんだって? 何で教えてくれなかったんだよ」

「へ? 知らなかった?」

「知らないよ!」

「そうか、てっきり知っていると思ってたよ」


 出産の度、美晴ミハルさんが世話になっていたし、メイを身籠った時は、無事出産を迎えることが出来るよう、内科と産科の調整に奔走してくれていたから、ハルは病院スタッフとしての佐原ミチしか知らないのも無理はない。

 オマケに佐原ミチ……ミチねえは美晴さん以外の患者さんに対しても、熱心に対応していたから。

 美晴さんを特別扱いしなかった、勤務時間内は。

 勤務時間外は、時間があれば美晴さんに付き添ってくれていた。

 それは大抵、ハル達の世話で瑛比古さんがいない時であり、ハルが知らなかったのも仕方ないだろう。


 とても患者思いで友達思いの、優しくて、しっかり者……と、美晴さんは紹介してくれたっけ、入院して初めて会った時に。

 助産師になったばかりで、まだまだ初々しい頃。

 資格自体は春には取得していたが、病院の方針で最初は看護師として働き、晴れて助産師としての研修に入り、今ようやく独り立ちするのだと、自分のことのように話してくれた。自分が子供を産む時は、ミチに赤ちゃんを取り上げてもらうんだ、ちょっと予定が早まっちゃったけど、間に合いそうでよかった、と。

 新人助産師のミチは、まだ高校生の瑛比古さんから見ても、可愛らしい笑顔で、病棟を明るくしていた。

 出産後、一人立ちして初めて取り上げた赤ちゃんが、美晴さんの子で嬉しいと、涙ぐんでいた。

 一見、新人らしい感情の起伏があるものの、その実、手際よく、時にしたたかに仕事をこなしていた。

 そして。

 四年後(三月の早生まれのハルと四月生まれのキリは、学年では五学年差でも年齢は四歳差である、念のため)、キリの出産の時は腰の低い、けれど優秀な助産師と評判だった……実はすでに産科病棟を掌握しょうあくしていたことを、瑛比古さんは気付いていたけど。

 閑話休題かんわきゅうだい

「で、実習上手く行ってんの?」

「まあ、ボチボチ」

「ふーん」

「何?」

 何か言いたそうな瑛比古さんの様子に、ハルの方がしびれを切らす。

「……今日の昼頃さ、何してた?」

「飯食ってたけど?」

「そっか」

「親父はどうせ、唐揚げ定食だろ?」

「む? 何故わかる?」

「……朝から『今日は木曜日~』って鼻歌歌ってたじゃん。いいな、明知屋あけちやの唐揚げ」

「ほいほい、また今度テイクアウト頼んでくるから。で、飯以外に! 何かあったろ?」

「……佐原主任から聞いたのか?」

「ミチ姐さん? いや。何、あの人関わってんの? あ、もしかして大失敗してめちゃくちゃ叱られたとか? あ、それか」

「違う! 別に叱られてない! ただ……」

「ただ?」

「……なんか、ちょっと、見えちゃっただけ」

 わずかに顔をこわばらせるハルの様子に、それが『ちょっと』というレベルではないことを、瑛比古さんは感じ取る。

「……まあ、病院って、色々あるしな」

 深追いせず、話を打ち切る。


 ……とりあえず、ミチ姐に連絡を取ろう。

 誰に似たのか頑固なところがあるハルは、なかなか口を割らないだろうし。あっさりミチの名前を漏らすあたりは迂闊うかつというか、まだまだ甘いところがあるので、つつけばポロリとしゃべりそうだが、実習中で心身ともに疲労している今の時期に、余計なストレスもかけたくない。

 

 夜も更け。

 ナミとメイは就寝し、ハルは自室で勉強中、キリが帰宅し入浴中、という時間。

 テーブルにキリの夕食を準備し、瑛比古さんはお茶をすすって一休みしている、と。

 連絡を入れておいたミチ姐から着信が入った。


『遅くなってゴメンね。ちょっと仕事が長引いちゃって』

「いえいえ、こちらこそ、忙しいところスミマセン」

『で、ハルくんのこと、よね? 聞きたいことって』

「ご明察。本人話してくれないからさ」

『相変わらず過保護ねえ。いったいどこで見張っているのよ?』

「俺たち家族は、心と心がつながっているんですよ」

『いや、二十歳はたち過ぎの男の子に、それはあんまり言わない方がいいわよ? デリケートなお年頃なんだから、いくら良くできた息子でも、さすがにウザがられるわよ』

「まあ、冗談はさておき。その良くできた、なるべく自分で何とかしようと頑張っている息子が、無意識に救援信号送ってくるような事態、何かあったでしょう?」

『……まあね。でも、これは、よその人に話すのはねえ。一応、病院の内部のことだし。ボランティアさんとはいえなあ……』

「ボランティアさん? もしかして、毎週木曜日に来る人? 若い女性?」

『……どこまで知ってんのよ?』

「いや、丁度、別の案件でさ……って、もしかして、つながってる?」

『もしかして……って、結構ヤバめの案件? それだと……まずいなあ、ちょっときつけちゃったかも、お宅の息子さん』

「……あわよくば俺に解決させようとしてたでしょう? ちゃんと事務所通してくださいよ。で、そのボランティアさんがどうしたんです?」

『これ以上は守秘しゅひ義務』

「人にただ働きさせようとしておいて……分かりましたよ。同じ案件っぽいし、一緒に対応しますから、依頼料代わりに情報提供してください」

『そう来なくっちゃ』

 

 ミチ姐にうまく乗せられた形にはなったが、重大な情報も得られ。

 

「ところで、もう一つ確認したいんですが……あとはメールで」

 入浴を終えたキリが自分でご飯をよそって猛然と食事にいそしみ始めたのを確認し、声をひそめて、メールに切り替える。

 

 やや間を置いてミチ姐から返信が届き。


 その文面を見て、瑛比古さんは妙に納得する。


 ……あとは、本人に会ってみればはっきりする。


 土曜日、朝七時に平和公園か。

 ……土曜日に早起き……ヤだな。

 …………イヤだけど、仕方ないか……はあ。


 事の重大さはさておき、できれば週末は寝坊したい瑛比古さんは、未来の早起きのことを考えて、大きなため息をついた。

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