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 丸田マルタ氏が担当した事件で、未解決のまま担当を辞さなければならなかった、『平和公園へいわこうえん父子ふし行方不明事件』。ワイドショーや週刊誌では『夕暮れの公園・父子消失事件』や『平和公園の怪』の名で世間に広められた。文字通り、『消失』したかのように、行方が消えてしまったのである。


 現場は全くの無人ではなかったはずなのに、目撃者は無く、父子の足取りはようとして掴めなかった。

 似たような年格好の家族連れはいたが、不審な出来事を見た者は出てこなかった。


 行先が違っていたのでは、とも考えたが、公園に三輪車が残されている以上、そこに足を運んでいたことは間違いない、という結論になった。

 成人男性の失踪がここまでセンセーショナルに取り上げられたのは、やはり一緒に行方が知れなくなった幼い男の子の存在が大きかったのだろう。そのためか捜査も大々的に行っていた、が。


 結局、足取りもつかめず、本当に事件なのかも判明しないまま、迷宮入りした。


「……捜査規模を縮小した後も、退官した後も、残された若奥さんの様子を、ずっと見守っていたんだと。最初の内は、ほとんど外出もせず、家に引きこもっていた」


 アパートは引き払い、市内の実家に引っ越していた。

 時々、丸田氏が見舞うと、娘の悲嘆にどう対応すべきか思い悩んでいた両親は、最初、警察への不満をぶつけ、何とか捜査を続けて欲しいと訴えた。

 後任の担当者の対応が通り一遍なことも、不満であるようだった。

 縮小後、実状は情報提供を待つだけの受身の捜査となっていた。

 進展しない捜査状況を聞かされるのもストレスになっていたのだろう。


 担当を外れた後も、それでも娘の様子を気にかけて、時には愚痴も耳を傾けてくれる丸田氏に、両親は心を開いて、色々相談もしてくるようになった。


「娘さん、一年程前から、ボランティア活動に参加したり、外に出るようになって、少し安心していたんだが」

 最初はやっと気持ちが上向いたかと、ホッとしていた両親だが、そのうちある異変に気が付いたという。


「いなくなったその子に関わる場所を狙ったように、出かけるんだと。現場の平和公園や、子供を産んだ市民病院、とか、よく訪れていた図書館、とか」

「二人の痕跡を探している、とか? 旦那さんと子供さんとの思い出の場所を散策している、とか」

「それが逆なんだ。事件自体の記憶はあるが、その場所が思い出のある場所だってこと、すっかり忘れちまってるらしい。精神科に相談したら、かい……何とかって病気で、ようは記憶喪失ってやつだろうってことだ」


「まあ、ショックは大きいでしょうね。俺だって……イヤだ考えたくもない!」

 言葉にしたら言霊ことだまに影響が出そうなので口にはしないが、子供達が消えたことを想像して、瑛比古テルヒコさんは身震いする。


「まあ、確かにな。で、やっぱり、中途半端なこの状態がよくないんだろう、いっそ、そろそろ新しい人生に踏み出すことも考えるべきなんじゃ、と両親は考えたわけだ。行方不明になって三年、法律的には申請すれば離婚も可能なんだと」

「無理でしょう? 事件のことまですっかり忘れているんならともかく、その事実だけは覚えているって、逆にどれだけ思い入れが強いんだか……となると、この写真、変だな。精神を病むほど家族を思っていて、その行方を捜しているとしたら、何故この写真の女性は、なんだろう?」

「満足そう?」

「ええ。この写真の三人の中で、唯一。この写真から感じ取れる感情が本当だとしたら、その記憶喪失自体も、信じられなくなってきます。ただ」


 所長の言う、精神の病気、おそらく解離性健忘かいりせいけんぼう、とか言ったはず。記憶や感情など心の一部が分離されてしまう心の防衛反応で、その結果、分離された記憶などを認知しなくなると「解離性健忘」という症状が起きる、と聞いたことがある。家に帰ったら、ハルの机にある教科書を見せてもらえば、もう少し細かいこともわかるだろうが、ともかく。


「この奥さんの心の有りよう、確かにちょっと、不思議な感じがします。色ガラスが何枚も重なっているような。……色んな感情が絵具みたいに溶け合っているのが通常の人の心の姿だとしたら、この人のは混ざっているように見せて、本当は分離している……これが、その症状の心なのかな? ……ちょっと、俺にはここまでが精一杯です」

「そうか。もし、この旦那さんの生死が分かれば、……あきらめが付くような状況なら、ショックを与える可能性があっても、その事実を伝えたい、というのがご両親の意向なんだが……亡くなっているわけでもない。それは、丸さんに伝えていいかな?」


「まあ、そこはいいですけど。……でも、気になるな。この奥さん……娘さんに、実際に会うのは難しいですかね。とりあえず、遠目でもいいんですが」

「それは、まあ、できないことはないだろうな。週の半分は、定期のボランティアで外出しているってことだし。一般人が出入りできる場所なら、問題ないだろう。今日も、市民病院にボランティアに行っているそうだ。週末は、公園やら駅やらで清掃ボランティアをしているそうだし」

「ああ、そのあたりなら、通りすがっても違和感ないですね。詳しい日時と場所を聞いておいてもらえますか? あと、できたら他の写真もみせてほしいと伝えてください」


 所長が快諾し、丸さんに連絡を取り始める。奢ってもらった代わりに、瑛比古さんは食べ終えた食器をワゴンに載せて、階下のレストランに移動する。


 エレベーターに運ばれながら、不意に背筋がざわつく感覚が走る。

 ゾクゾクするような、悪寒。


 ……ハル?


 どこからかやってきた「虫の知らせ」に、愛する息子が関わっていると、瑛比古さんの勘は教えていた。

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