意味
初めは意味が分からなかった。
神の審判か、はたまた悪魔の悪戯か。来る日も来る日も同じ世界が続く毎日に、戸惑うばかりだった。陰鬱な悪夢かとも思ったけれども、最終的には現実であるに違いないという結論を出さざるを得なかった。
もちろんどうにか脱出できまいかと模索した。けれども探して、探して、探し続けた先に分かったことは『そんなものはない』という絶望だけだった。
出会う人すべてが昨日と同じ話をして同じ行動をする恐怖が、救いを求めて誰かに告白しても日付が変われば無かったことになる残酷さが、ゆっくりと僕の心を壊していく。
どうにもならない狂った世界。足掻いたところで無意味な世界。500回目になった辺りで漸くそれを悟った時、僕に襲ってきたのは途方もなく大きな虚無感だった。
人は意味を持たずに生きることはできない。精神はゆっくりと腐り朽ちていく。
だから僕はこの非現実から現実逃避したのだ。
普通では到底できないことでもここでは好きなだけできる。公道で裸になるのはもちろん、銀行強盗も、大量殺人さえも『明日の今日』は許容してくれる。
そうやって僕は『2月27日の神様』になって、無意味な世界で僕自身に生きる意味を与えるのだ。
551回目に、近くのデパートからゲームを万引きして遊んでみた。でも長くても十数時間しか遊べないのが残念だった。
777回目は記念にと高級焼肉店で無銭飲食をしてみた。いつも食べるような肉との違いが分からなかったが、なんとなくいつもよりも美味しかった。
920回目ではクラスで人気の女子を犯した。好きな人でもないし湧かなくなった性欲で無理矢理襲ったからあまり楽しめなかった。
1340回目を迎えた時、初めて人を殺した。斃れたその身体を見て思わず嘔吐してしまったが、回数をこなす内に徐々に慣れていった。
1791回目には両親を殺した。何故だか他人よりも殺すのに手間がかかった。
2001回目は学校やスーパーなど、あちこちに火を放った。逃げ惑う人々を見るのは面白かった。
3665回目の現代文の授業の時にクラスメートを皆殺しにした。その前に20回くらい試してそのすべてが失敗に終わったから、達成感はひとしおだった。
3994回目はどれだけたくさんの人を殺せるかという人殺しチャレンジで、過去最高の333人という大記録を叩き出した。
4212回目に初めて麻薬に手を出してみたが、思っていたほどには面白くなかったので、腹いせに売人の手足を折って身体を拘束した後に線路に投げ捨ててやった。
そんなこんなで2月27日は5000回、6000回、7000回と繰り返されていく。けれどもやってみたいことがぽんぽんと思いついて、どれだけ繰り返されても気にならない。
誰かの悲鳴も、感情も、何もかも。
——助けて。
嫌だね。どうせ明日になれば何もかも元通りなんだから。
——なんでこんなことをするんだよ。
そうだな。僕が僕である為に、かな。
——嘘吐くなよ。
嘘だって?何も知らない癖によくそんなことが言えるよ。
——中島はそんなことしないだろ。化け物め。
それには言葉ではなくその心臓にナイフを突き刺して応えた。
柔らかな日差しを浴びて俺は目を覚ました。
時計は6時10分を指していて、あと30分も眠れば目覚ましが五月蠅く鳴るはずだ。
「えぇーと……3時間くらいしか寝てないのか」
昨日はゲームをやり過ぎてしまった。不思議と目は冴えているものの、頭に靄がかかったようで寝不足感が否めない。二度寝したいところだが、生憎今日も学校がある。寝坊して定期試験に関わる内容を聞き逃したくはない。
「めんどくせーなぁ」
リビングで朝食を食べ終えた俺は憂鬱な気分の中で支度を整え、学校へと向かった。
教室に入ると、課題やら試験勉強やらを取り組むクラスメートが結構いた。普段なら授業開始のチャイムと同時にドタバタと走ってくる奴でさえ、必死に教科書をペラペラとめくっている。
そんな彼らと距離を置いた教室の隅の席に中島はいた。
「おはよう、中島」
「おはよう、山本。昨日は楽しかったな」
中島は俺に笑いかけた。
……笑いかけた、と思う。だけどその表情は強張っていて、心なしか口元は歪んでいるように見えた。
きっとまだ疲れが残っているからだろう。昨日あれだけ遊んだんだ。俺と一緒で眠くて眠くて仕方ないに違いない。
「まさかあんな時間までゲームするとは思わなかったよなぁ。お陰で寝不足だよ」
「思いの外難易度高かったよな。結局負けたし」
「そうそう。マルチ推奨とは言われてたけど、あんなのひとりで勝てっこないっての」
いや、本当に寝不足が原因だろうか?彼の表情や仕草、会話の節々からどことなく違和感を覚える。
何というか、機械的に返しているというか。感情が見えないというか。
「中島——」
直後、キンコンカンコンと授業の始まりを告げるチャイムが教室中に鳴り響く。
その音を聞いた中島は立ち上がり、廊下の方へと歩き出した。
「え、おい。どこ行くん——」
「トイレ」
その3文字だけ言うと、中島は教室から出ていった。
入れ替わるように入ってきた教師はそれに気付かなかったらしく、普通に授業を始めてしまった。
その後中島が教室に戻ってくることはなかった。
放課後になり、クラスのみんなが帰っていく。友人の少ない俺はその群れの中に紛れてひっそりと校門を出た。
「大丈夫かなぁ、中島の奴」
小さな商店街を独り歩く最中、俺は今朝の中島のことが気になっていた。
あれから休み時間中あちこちを探しまくり、いろんな人に聞き回ったのだが、特に有力な情報も得られず、あいつの姿を一度として捉えることが叶わなかった。
幼少からの付き合いだが、こんな中島は初めてだ。昨日までは、厳密にいえば今日の午前3時頃までは間違いなくいつも通りだったはずなのに。寝不足で頭がおかしくなって突然非行だとかヤンキーだとかに惹かれてしまったのだろうか。
とはいえそれでも今朝のあの違和感の説明がつかない。たった一夜であいつの身に一体何が——。
「やあ、山本君」
商店街を抜けた先の丁字路を左に曲がった瞬間、俺の前に男が立ちはだかった。
虚を突かれ一瞬思考が停止するも、西日を浴びるその男には見覚えがあった。
「中島!」
「今朝振りだね。授業は楽しくなかっただろう?」
中島は俺に笑みを見せた。今朝のように、あるいは今朝よりも酷い顔で。
「急にいなくなって心配してたんだぞ。大丈夫か?」
「あー大丈夫、大丈夫。普通に帰っただけだから」
「は?なんで……?」
「普通につまんないから」
「つまんないって……明後日も試験があるんだぞ」
「そうだな。あったらいいな」
「あるに決まってるだろ。さては現実逃避か―—」
「本当に、君は同じことしか言わないよな。だから飽きたんだよ」
「なっ——」
言葉が詰まり、脳内に浮かぶ単語が直後に消失していく。
明らかにおかしい。中島はこんな奴じゃなかったし、俺としても中島からこんな悪態じみた事を言われたこともなかった。
そもそもこいつの言っている意味が分からない。飽きたって言われても、こんな会話自体したことなかっただろ!?
「お前、本当にどうしちまったんだよ!?」
「さあね。というか、そんなことはどうでもいいからさ」
「どうでもいいことなんて——」
「どうでもいいからさ」
中島は俺の声に被せて、言った。
「ちょっと散歩に行かないか」
30分後、俺と中島は河川敷を歩いていた。
夕日に照らされ美しく輝く川。それとは対照的に東の空の果ては黒々としており、冬の日の短さを感じさせる。
きっと心にゆとりがある中で来たなら、そこに風情を見出して楽しむこともできたのだろうが——。
「あーあ、やっぱりつまんないや」
そんな風情をぶち壊して中島はやけに大きな独り言を呟いた。
「つまんない、つまんない。もう見飽きたんだよな」
「……じゃあ来なければ良かったじゃないか」
流石に中島の言動に苛立ちを覚え、つい文句を垂らしてしまった。
自分から提案しておいて何なんだ、こいつは。
まだ心配の方が勝っているが、この調子だと怒りの方に天秤が傾いてしまいそうだ。
「違うなー。違うんだよなー、山本君よ。はははははは」
「何がおかしいんだよ」
「何も? 何もおかしくないからおかしいんだよ」
しかし中島は俺の感情を気にも留めていないらしい。やはりどこか頭のネジが外れてしまったのか?
「何もかもがいつも通り! 今日の天気も、今日の学校も、今日の君も! 本当につまらないよなぁ!?」
「お前……本当にどうし——」
「たとえば!」
もう何度目になるだろうか。俺の言葉を中島が遮ると、
「たとえば、今から30秒後に車が3台来るとしよう。車は先頭から赤、白、グレーとしよう」
その時、遠くの方から車が何台か走ってくるのが見えた。
色は先頭から、赤、白、グレー……。
中島は続けた。
「さらに付け加えて、先頭車両のナンバープレートの数字は”1240”としよう」
車が近づき、赤い車のナンバープレートに目を凝らしてみる。
大きく記されているのは、”さ・12-40”……。
「中島——」
「おまけに、その車の運転手はスマホを見ながら運転しているとしよう」
3台の車が10メートルとない距離にまで来ている。
赤い車に乗る男は、いかにもチャラチャラしているという風貌をしていて、頭の悪そうなその男の片手にはハンドルではなくスマートフォンが握られていた。
「おい、中島」
何がどうなってんだ、そう言おうとして首を向けた先に、中島はいなかった。
延々と続く河川敷の道。それ以外に何もないのだ。
「さて、ここで問題です」
不意に背後から声が聞こえた。
瞬間、背中側からふっと身体が軽くなる感覚が走る。
「え?」
踵が浮き、重心が前に傾いて、俺は誰かから背中を押されたことに気付いた。
そしてすぐにこの場にいた人物が俺以外にひとりしかいなかったことにも。
背後の人物——中島は言った。
「今は何時何分でしょうか?」
「う、うぉああぁぁぁっ!」
倒れる身体。目の前にはあと数秒もせずに衝突する車。運転手の男はスマホに夢中で気付いていない。いや、今気付いた。顔を真っ青にして俺と目が合っている。でもブレーキをかけても間に合わないか。たとえ間に合ったとしても後ろとの追突事故に巻き込まれるか。あぁ怖い怖い怖い怖い怖い死にたくない死にたくない嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ——。
「……なーんてね」
突然、ぐいと腕を捕まれて身体が停止する。
刹那の後にキィと音を立てながら車が通り過ぎ、俺の髪を掠めた。
そうして3台とも過ぎ去り、乾いた風が遠くに吹き去ると、中島はよいしょと腕を引っ張って俺を立たせる。
「正解は、午後5時42分でしたー」
「……中、島」
「ちなみに、誤差10分以内なら正解で良いよ。どうだったかな?」
「中島」
「もしピッタリ的中したなら、なんと朝に自販機で買って冷めきった缶コーヒーをプレゼント——」
「中島!」
俺は震える手で中島の胸ぐらを掴んだ。
「さ、さっきのは何だ?」
「さっきのって?」
「惚けんなよ。流石に遊びの範疇じゃなかっただろ」
「——」
「危うく……危うく死にかけるところだった! なんでそんなことをしたんだよ」
「——」
「なんとか言えよ、おい」
「——」
「おい、中島! なんでだよ!」
「——」
「なんで、お前は……お前はそんなクソみたいなことしなかっただろ……」
「——遊びの範疇、だからさ」
胸ぐらを掴んだまま、膝から崩れ落ちるようにして倒れ込む俺に中島は言った。
今朝とか帰り道の時のような歪な笑みではない真顔で、俺を馬鹿にしているだとか、からかっているだとか、そんなものが一切感じられない。真剣さが読み取れる表情だった。
「山本、君は知らないだろう? 君が嫌だと思う定期試験が、僕には絶対に手の届かない幸福だということを。無意味がどれだけ苦痛であるかを、さ」
「……何が言いたいんだよ」
「さあね。僕も分かんないや。分からないんだよね。僕が僕であるために今日を生きているのに、そもそも僕は誰なのか分からなくなっちゃったんだ」
「何言ってるのか分かんねーよ。だってお前は……」
その先の言葉は出なかった。
今日の中島は様子が昨日とは丸っきり違っていて、見知らぬ誰かが中島の身体を乗っ取ったみたいだ。
本当にお前は中島なのか? そんな疑心を直接ぶつけたいくらいに、俺は今のこいつが分からないのだ。
「ほらね、君も僕のことを知らないんだ」
俺の返答が来ないの見て溜息を吐いた中島は俺の腕を振りほどくと、
「壊れ壊され、君の知る中島は残滓すらなく消え散った。僕は唯の化け物なんだって、君が教えてくれたんだ」
「俺が……?」
「そうだよ。もう9240回も前のことだけど」
要領を得ない回答ばかりが返ってくる。
疑問や疑念が溢れ、納得したいのにそこからどんどんと離れていく。
狂ってしまったこいつをどうすれば良いのか、考えあぐねる俺を見て中島は背を向け歩き始めた。
「あ、おい。どこ行くんだよ」
「みんなが行かなくちゃならない所だよ。『神様ごっこ』は飽きちゃったからさ。そろそろ僕の使命を果たそうかなって……無意味を無意味として捉えられない、真に救いようのない化け物になる前にね」
「……いや、意味分かんねーよ。なんだよ使命って」
「何の理解も共感もできない君に教える意味はないかな。さてと、伝えることは伝えたしもういいか」
そう言うと中島はじゃあね、と手を振って来た道を帰っていく。
その哀愁すらも漂わせる姿に、なんだかものすごく嫌な予感がした。
もう2度と中島には会えない。そんな気がしてしまうくらいに。
「ま、待てよ!なんだよ、勝手に話して勝手に消えようとしてさ。もっと分かるように話せよ!
ていうか、あれだろ。昨日の夜更かしが原因だろ?きっと疲れてるんだ……そうだ、俺の家に来いよ。晩飯までで良いからさ。俺の家で寝て、またゲームして、元気出そうぜ。そしたら今日のことが全部馬鹿馬鹿しかったなって。明日きっとそう思――」
「悪いけど」
中島は振り向き、
「それはもう聞き飽きたんだ」
と、俺に向けて悲しそうに笑った。
そこで今日初めて、俺は中島が中島らしい表情をしたと思った。
「今までありがとう。本当にごめんな」
「中島!待っ——」
「そこ、鳥のフン警報ね」
それを聞き終える前に、俺は頭上からべちゃりと不快な感覚に襲われた。
「うわっ、なんだこれ!」
ハンカチやティッシュを取り出そうと急いでポケットに手を突っ込む。しかし朝に寝ぼけてリュックの中に入れていたことを思い出して、俺はしゃがみ込んだ。
そうして上のブツを拭って、再び立ち上がった時には、既に中島の姿は無かった。
翌日、中島は遺体として発見された。
自室での首吊り自殺。2時間目と3時間目の休み時間の間に先生が重々しくその事実を告げて教室中がざわつく中、俺は震えが止まらなかった。
あいつは、朝から自殺する気でいたのか、と。
最後に散歩しようなんて言ったのは、本当は引き留めてほしかったからなのだろうか。
ならばもしあの時、鳥のフンごときに構わずにあいつの手を掴んでいたら、今日も教室に来てくれたのだろうか。昨日の異変はなくなって、一昨日みたいないつもの中島に戻ってくれたのだろうか。
……あいつが死んだのは、俺が何もできなかった所為だ。
後悔の過去ばかりが頭を過ぎり、俺は数か月程自室に引き籠る日々が続いた。
『己の罪を忘れる前に償う為に、みんなに明日を迎えて欲しい為に、倦厭とした今生と別れを告げます』
それは中島の訃報を聞いたその日に、彼の両親から送られてきた手紙という名の遺書。
そこにはこの文言の他に、まったく身に覚えのない事への謝罪が記されていた。
暗い部屋の隅で、俺は何度もその手紙を思考停止で読み返した。
やがて多少は心が戻り、学校に復帰した日のこと。俺は奇妙な話を聞いた。
「山本君ってさ、その、中島君と仲良かったよね」
「あぁ……そうだな……」
「じゃあさ、山本君も手紙、来たよね?」
「あぁ……えっ、俺”も”?」
どうやら話によると、俺や中島の両親以外にも、全校生徒・教師全員に手紙が送られてきたそうだ。
さらにはコンビニの店員や他県のサラリーマンなど、中島に全く関係のなさそうな人達にまで送られており、その文面もひとりひとり違っていたらしい。
共通していることは、その内容のほとんどが謝罪文で、しかも当人に思い当たる節が全くない、意味不明な謝罪であるということで、その理由をどれだけ考えても答えは出なかった。
季節は廻り、時間は過ぎる。
春が終わり、夏が来て、秋になり、冬を迎え、中島が死んでから1年が経った。
中島や中島の手紙の話題はめっきり聞かなくなり、ほとんどの人はもういつもと変わらぬ日常を過ごしている。
対して俺は未だ心にぽっかりと大きな穴が空いたようで、喪失感で何をしても全く身に入らないという有様だった。
そんな抜け殻のような日々の中、ある日テレビをぼーっと見ていると、あの日の前日に中島と遊んだゲームのCMが流れた。
よくある『有料の追加ダウンロードコンテンツが配信されます!』的な宣伝だ。
それを見て、あの楽しかった夜更けの時間が脳内に去来する。
最高に楽しくて、最高に幸せで、これからも毎日のように遊ぶのだと無意識に信じ切っていたあの時間。
そして次に思い出されるのは何から何まで理解不能だった、変わってしまったあいつと最後に話した河川敷だ。
化け物だとか、使命だとか、話に付いていけず最終的にはあいつを独りぼっちにしてしまった罪がいつまでも俺を苦しめ続けている。
だからこそ、やっぱりこう思わずにはいられない。
「お前とあの続きをやりたかったよ」
そんな嘆きは母の野菜を炒める音に搔き消され、誰にも届かず無意味と化した。
2月27日 狛咲らき @Komasaki_Laki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます