マーゴちゃん、ご機嫌ななめねえ
双月と手をつなぎ意気揚々とたシェアハウスを出発したマーゴは現在、頬を膨らませていた。
場所はマーゴのお散歩コースのゴール地点である商店街。その一角にある駄菓子屋に駆け込んだマーゴは「ラムネ!」と中にいた店主らしい老婆に叫んだ。こういったやりとりは初めてではなかったらしく老婆は怒るでも戸惑うでもなく、「はいはい」と朗らかな笑みを浮かべてマーゴにラムネを差し出す。それを受け取ったマーゴは不貞腐れたままにお礼をいい、店先に置かれたベンチにどっかり腰を下ろした。
その一連のやり取りを見守った雄介と双月は駄菓子屋の前で顔を見合わせていた。全く口をはさむ余裕がなく、不機嫌ですと顔にかいてあるマーゴにどう声をかけていいかもわからない。
初めて訪れた町の商店街。全く土地勘のない場所で唯一の知り合いに放置された二人は居心地の悪さに意味もなく周囲を見まわたしていた。
「マーゴちゃん、ご機嫌ななめねえ」
カウンターに座っていた老婆が気づけば雄介と双月の背後に立っていた。その手にはラムネが二本握られている。
「ここまで歩いて疲れたでしょう」
そういって老婆は雄介と双月にラムネを差し出した。ビンに入ったビー玉が老婆が動くたびに涼し気な音を立てる。ずっと歩き通しだった雄介にしゅわしゅわと泡を立てるラムネは魅力的で、思わずのどが鳴る。
双月はラムネを見るのは初めてだったらしく視線が釘付けだ。その目が欲しいと訴えていて雄介は慌ててポケットを探った。が、お目当ての財布は見つからない。考えてみれば大鷲にお金は必要ないと言われたので、財布ごと特視に置いてきた。それに気づいて雄介の気分は沈む。隣でソワソワしている双月を見ると買えないと伝えることは大罪のような気がした。
「お代はいいよ。若い子に駄菓子を渡すのが生きがいのババアなんだ。もらってくれないと今日の夜、枕元に立つからね」
雄介がお金を持っていないことに気づいたのか、笑顔で老婆はそんなことをいう。脅しにしては可愛らしいし、ここまで言われて断るのも失礼かと雄介は感謝を述べてラムネを二本受け取った。ラムネから目をそらさなかった双月も珍しく素直にお礼をいう。警戒心が薄れるほどに飲みたかったらしい。
ラムネの飲み方を教えてやろうと双月を見れば、中身よりもビンが気になっていたらしく太陽に透かして眺めている。幼い子供の用に輝く双月の瞳をみて雄介は目を細めた。
「そちらの坊っちゃんはラムネはじめてかい?」
「……コイツの家、ちょっと特殊で」
どこまで答えていいかわからず言葉を濁す。双月の方は引き続きラムネに心を奪われているようで瓶を回してみたり逆さにしてみたり、じっと眺めてみたりと忙しい。雄介の苦悩には全く気づいていない。
「あらあら、それは大変だったのね」
雄介の反応からなにかを察したのか老婆はのんびりした口調でそういった。深掘りしない様子にほっとする。
「マーゴちゃんが不機嫌なのは幽霊が見つからなかったから?」
だから、続いての言葉にドキリとした。双月ものん気にラムネを眺めいる場合ではないと気づいたのか老婆を見つめる。
雄介と双月の反応に老婆は不思議そうに首を傾げたが、少しして納得いった様子で頷いた。
「クティさんたらいつも言葉が足りないねえ……。能力的にあまり話せないのも分かるけど」
「……クティさんを知ってるんですか?」
「ここの商店街でクティさんを知らない人なんて生まれたばかりの赤子くらいだよ」
老婆はそういうと笑顔を見せる。嘘をついているようには見えない。
大鷲が言っていた商店街の人間は外レ者に慣れているという言葉を思い出す。話には聞いていたものの、こうして目の当たりにすると不思議な気持ちだ。
「ここではクティさんたちみたいな存在を当たり前に受け入れているんですか?」
「そうだね。私は小さい頃からクティさんにはお世話になっているし、マーゴちゃんが初めて商店街に来た日のことも覚えてるよ。あの頃は私も若かったねえ」
遠い昔を思い出すように老婆は目を細めた。
「恐ろしくはないのか? 自分と違う生き物が」
固い双月の声に雄介は驚いた。見ればラムネを握りしめた双月がじっと老婆を見つめている。その表情は険しく、否定してほしそうにも肯定してほしそうでもあった。すがるような双月の視線に老婆は笑う。それは孫を見る優しいまなざしだった。
「同じ人間だって恐ろしいんだから、人とは違う存在は恐ろしいに決まっているだろう」
当たり前のことだと老婆は語る。それに雄介と双月は目を見開いた。
「人ではない存在は恐ろしいよ。でもね、一番恐ろしいのは話が通じない存在さ。それでいったら人間だって話が通じないものはいる。となれば人だって恐ろしい。人でない者たちだけを恐れる理由にはならないよ」
雄介はあの夜、自分たちを取り囲んだ羽澤の大人たちを思い出す。あの人たちは話の通じる人間ではなかった。自分と同じ人間である雄介たちを自分たちが助かるためだけに生贄にささげようとした頭のおかしい人たちだ。
それを思えば老婆のいうことは納得ができた。しかし双月はそうではなかったらしく眉を吊り上げて老婆を見つめ続ける。
「人でないものはその気になれば一瞬でお前を殺せるんだぞ」
「でも、坊ちゃんは殺さないんだろう?」
老婆は笑みを浮かべたまま双月を見返した。双月が人ではないものだと分かっているような口ぶりに双月の瞳は揺れる。
「この商店街でずっと暮らしているとなんとなく分かるようになるんだよ。坊ちゃんは人ではない。けれどクティさんやマーゴちゃんみたいに完全に向こう側ってわけでもないみたいだね。新米ってところかい?」
「……よくわかりますね」
目の前にいるのは本当に人間なのかと雄介は不安になってきた。そんな雄介の不安を感じ取ったように老婆は楽し気に笑う。
「人間だからこそわかるんだよ。恐ろしいからこそ、恐ろしいものに知らずに粗相をしないように敏感になるのさ。人間の坊ちゃんもそのうちわかるようになるよ。マーゴちゃんやその子と一緒にいるということは、源十郎ちゃんのとこの子だろう」
源十郎と聞いてとっさに誰のことだか分らなかったが、すぐに大鷲のことだと気づく。そしてあきれた。ここの商店街は思った以上に外レ者や特視に近しい場所だ。というのに大鷲はそれを雄介たちには伝えなかった。そのうちわかると思っていたのか、今は教えなくてもいいと思っていたのかは分からないが、説明不足という点ではクティと同じだ。
「恐ろしいと思いながら、どうして俺たちみたいなのと付き合えるんだ……」
双月はすねた子供みたいな顔をしている。その姿をみて老婆があらあらと声をあげる。その表情は変わらず楽し気だ。
「もちろん純粋な好意じゃないよ」
老婆は秘密を打ち明けるようにそういった。
「私ねえ、三年前に長年連れ添った旦那に先立たれたの。とってもいい人でね、私は生まれ変わってもあの人ともう一回一緒になりたいって思ったのよ。だからね、マーゴちゃんやクティちゃんにお願いしてるの。生まれ変わったとき、あの人と私を見つけたらそれとなく引き合わせてくれって」
老婆の話に驚いて雄介は言葉が出なかった。双月も気持ちは同じだったようで食い入るように老婆を見つめている。
「あら、あなたたち生まれ変わりは信じない?」
老婆の言葉に雄介は答えられなかった。最初に呪われた羽澤家の双子は何度も生まれ変わっていると魔女に聞いた。その話を信じるのであれば、生まれ変わりは空想ではなく現実に起こる現象だ。それを目の前の老婆に伝えていいものか迷った。
答えに困った雄介は双月を見つめる。双月は驚いた顔で老婆を見つめている。
雄介の沈黙と双月の反応を見て老婆は二人が信じていないと思ったのか話をつづけた。
「クティさんから昔聞いた話なんだけどね、この世界には輪廻転生をつかさどるカミサマがいらっしゃるそうよ。私たちは死んだらその方の元に生き、魂を浄化してもらって、新しく生まれ変わるんだとか。私も初めて聞いたときは半信半疑だったんだけど、この年になるとね、思ってしまうの。生まれ変わってもう一度あの人に会えたらどんなに幸せかって」
そういって微笑む老婆は孫を見守る優しいお祖母ちゃんではなく、愛する人と再び出会うことを夢見る少女の顔をしていた。
「私はもう長くない。だから、生まれ変わってもう一度。そう願ってしまうのよ」
「……それをクティさんやマーゴ君はかなえられると?」
「可能性は低いってクティさんには言われているけどね、希望があるっていうのはうれしいことよ。ゼロではない。それだけで幸せな気持ちで死ぬことができる。死が恐ろしいものではなく次への希望に変わる」
老婆はそこで言葉を区切るとじっと双月を見つめた。
「そんな希望をくれる存在を私は恐ろしいとは思わない。あなただって私にとっては希望だよ。私と私の旦那を見つけたら引き合わせてね」
「……あなたの旦那にあったこともないし、生まれ変わったあなたが分かる自信もないが……」
「あらまあ、それは残念ね。でもまあ、少しだけでも覚えておいて。死んでも誰かに覚えてもらえるというのは嬉しいことよ」
老婆はそういって笑った。少女のように軽やかな笑い声は先が長くないと自覚している人間には思えなかった。双月はそんな老婆を苦い顔で見つめている。内には雄介には分からない葛藤があるように見えた。
「……本当に人は生まれ変わるのか……」
双月がポツリとつぶやいた。その小さな声で双月が誰のことを考えているのか分かってしまった。双月を残して死んでしまった弟、咲月。生まれ変わりが本当ならば咲月に再び会えるのではないか。そう双月は考えている。
その姿を見て、雄介は羽澤の成り立ちを思い出した。自分のせいで魔女に呪いをかけられた兄を救うため、何度も何度も生まれ変わった双子の弟。彼が羽澤家を、あの呪われた一族を作り上げた。そんなまだ見ぬ呪いの元凶と双月の姿が重なり雄介はゾッとした。
とっさに雄介は双月の腕をつかむ。いきなりつかまれたことに驚いた双月の手からラムネが滑り落ち地面に落ちた。幸い割れはしなかったが、地面に転がるラムネの瓶が打ち捨てられた双月に見えた。
「……どうした?」
怪訝そうな声。雄介は浮かんだ感情をどう表現していいかわからず、双月の手をつかんだまま視線をさまよわせた。横顔に双月の視線が突き刺さる。なにかを言うべきだと分かっているのだが言葉が出てこない。双月に羽澤家の成り立ちを話すべきかどうかも雄介は迷っている。特視に所属している以上、いずれは知る日がくる。それが分かっていても、できれば知らずにいてほしいと願う臆病な自分がいることを雄介は自覚していた。
二人の間に沈黙が横たわる。老婆はじっと二人の様子を見つめていた。口を挟むべきではないと思っているらしく、なんの言葉も発しない。その気遣いすら今の雄介には重たく感じた。
誰でもいいからこの空気を変えてくれないか。そう雄介が思ったとき、
「わかった!!」
マーゴが大声をあげて立ち上がった。
突然の行動に雄介も双月も驚いて、先ほどとは違う意味で固まる。老婆はあらあらと朗らかな笑みを浮かべてマーゴを見つめていた。
マーゴは三者の視線が集まっていることなど気にもせず飲み終えたラムネを店先にあった回収用のケースに入れる。それから雄介と双月に向き直ると目を輝かせて叫ぶ。
「クティにーちゃんが言ってた! 縄張りを荒らされたら黙ってちゃダメだって! 力の差を見せつけなきゃいけないんだって!」
「そ……そっか」
雄介には全く意味が分からない。双月も分からなかったらしく眉を寄せてマーゴを見つめている。この状況でにこにこ笑っている老婆はさすが年の功と言っていいのだろうか。
「二人ともいくよ! 犯人を捕まえなきゃ! ラムネは後で!」
マーゴはそういうと地面に落ちていた双月のラムネを拾い、持ったままの雄介のラムネを奪うと雄介が背負っていたリュックに押し込んだ。なにかが片付くまで開けるなと言われていたリュックだが、開けたのがマーゴなら問題ないよな。そう雄介が考えている間に準備を終えたマーゴは腰に両手をつけ、満足げにフンスと鼻を鳴らす。
「出発進行ー!」
マーゴは雄介と双月の手をつかむと、そのまま走りだす。有無を言わさぬ様子に雄介は戸惑いつつ、後ろを振り返った。老婆は遠ざかる雄介に手を振っている。その笑顔が雄介の今後を応援しているように見えたのは、さすがに都合がよすぎるだろうか。
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