あなたは答えをすでに知ってますわ

 外レ者にとって名付けとは重要な意味を持つ。特に純粋な外レ者は名を持つことで強くなる。

 有名な例が羽澤家に巣食う、悪魔と名高い外レ者である。もともと食欲旺盛だった彼は悪魔という通り名を得たことで更に力をました。名を持たぬことで不安定だった存在が安定したためである。

 名を持たぬ外レ者に名前をつけてはいけない。それだけで彼らは強くなる。曖昧なものから名を持つ確かな存在へと変貌してしまう。

 名前とは自己の確立である。他人に認識されたという証明である。不安定であることが外レ者の唯一の弱点。それが消えた外レ者はもはや手がつけられない。




「あらあら、勉強熱心ですわね」


 突然聞こえた声に雄介は驚き読んでいた本から顔をあげた。見れば真っ白な女――センジュカが真意の読めない笑みを浮かべて雄介を見下ろしている。


 気まぐれか暇つぶしか、センジュカは由香里たちが座っていた席に腰をおろした。


 由香里たちがいなくなって一時間はたっている。二人は名前が決まったことを緒方に伝えるといって休憩スペースを後にした。

 雄介はとくにすることもないので休憩スペースに残ったのだが、目の前のセンジュカを見ると与えられた自室に戻ればよかったと後悔した。


 センジュカは笑みを浮かべたまま雄介をじっと見つめている。貼り付けたような笑顔はなにを考えているのかまるでわからない。一見優しげにも見えるが大鷲と違って温度がない。真っ白な外見がそうさせるのか、本人の気質なのか、雄介には判断がつかなかった。


 羽澤家脱出にあたりセンジュカにはいろいろと世話になったが、どうにも苦手である。

 緒方や大鷲といった話しやすい大人を見つけてしまったことあり、リンや魔女を連想させるセンジュカと向かい合うのは緊張する。


「あなたは私が苦手なようですね。悲しいですわ。残念ですわ。せっかく逃げる手助けをしたというのに、なんて薄情」


 センジュカはそういうとわざとらしく泣きマネをしてみせた。えーん、えーん。といっているが完全に棒読みだし、涙を拭うような仕草をしてはいるものの形だけだ。

 あまりに雑な演技をみていたら緊張しているのが馬鹿らしくなり雄介は息を吐き出した。


「俺に話しかけてくるなんて珍しいですね」

「暇だったもので」


 すぐさま嘘泣きをやめセンジュカは笑みを浮かべた。清々しすぎる態度に雄介は半眼になる。しかしセンジュカはそんなことは一切気にせず、雄介が読んでいた本に視線を向けた。


「外レ者ってひどい名前だとは思いませんか。みんな好きでそうなったわけじゃないのに、私達が自ら道からそれたみたいに、危険だとか危ないだとか。名前をつけてはいけないなんて、人権侵害も甚だしいですわ」


 センジュカはそういうと頬に手を当ててふぅと息を吐き出した。その所作だけみれば良いところのお嬢様のようで、白い見た目もあわせて絵画のように美しい。

 人ではない。そう証明するような外見をみるたびに雄介は目覚めない咲月を思う。


「……咲月はなんで外レたんでしょう」


 ポツリと疑問が口をでた。センジュカは興味深げに雄介を見つめる。


「好きで外レたわけじゃないとセンジュカさんは言いました。咲月だって外レたかったわけではないと思うんです」

「そうでしょうね。そもそも外レるまで、多くの人は外レ者の存在も、人間ではないものに変化してしまう現象が実在するなんて考えもしません」


 センジュカはそういうとテーブルの上で白い手を組んだ。


「複数の条件が重ならないと人間は化物になったりしません」

「条件……」

「まずは素質が必要です。人ではないものに体が変化しても対応できる素質が。それがないと変化に耐えきれずに死にます」


 センジュカは美しい笑みを浮かべて恐ろしいことを口にした。


「私は体が完全に変化するまで千日かかりました。大鷲は正確な日数は覚えていないといっていましたが、いっそ殺せと思うような生き地獄だったと言っていました」


 センジュカは淡々と語る。それだけに恐ろしい。感情の乗らない声は他人事だからではなく、実際に経験したからこそのものだと分かってしまった。

 痛みに人は麻痺する。痛みに耐える時間がながければ長いほど、それは痛みではなく普通のことであると錯覚する。そうしなければ人の精神は痛みに耐えられない。


 雄介の前で笑顔を見せる大鷲。怖いものなどないという顔で笑うセンジュカ。どちらも雄介には想像を絶する痛みを体験し、ここにいる。

 では咲月は、咲月も眠っているからわからないだけで、ずっと痛みに耐えているのだろうか。


「あの子、咲月に関してはイレギュラーといってもいい。というか、あの子は素質が高すぎるので変化に伴う激痛はほとんどないでしょう」


 雄介の不安を感じ取ったかのようにセンジュカがいう。思わず雄介はセンジュカをじっと見つめた。


「双子の上はもともと人ではないものに変わる呪いを受けています。生まれたときから少しずつ外レていたといってもいいでしょう。ですから咲月はすでに体が変化している」

「じゃあ、起きないのは……」

「それは私にはわかりかねます。本人が起きたくないのか、外見ではわからない部分の変化が終わっていないのか。外レ者は変化する過程も結果もそれぞれですから、推測にも限界があります」


 つまり、咲月が今後目覚めるかどうかは誰にもわからないということだ。

 肩を落とす雄介をみてセンジュカは意外そうな顔をした。


「それにしても不思議ですね。あなたはあの子に殺されかけたのに、起きてほしいと願うんですか? あなたは直接みたのでしょう? 血を浴びて、人を殺し、鬼になったあの子の姿を」


 恐ろしくはないのですか? そうセンジュカの目が訴えかけてくる。

 雄介はそれに答えられなかった。


 由香里は咲月を怖がっている。双子の片割が自殺した。その話を聞いて共感と同情を覚えている。それでもあの夜にみた光景が頭から離れない。そう言っていた。

 絵里香は血に濡れた咲月を見ていない。それでも怖がる由香里を見れば近づくのはためらわれるようで、一度も眠る咲月のお見舞いには来ていない。


 仕方がないと雄介も思う。雄介自身、なぜここまで咲月に起きてほしいと思うのか、自分でもよくわからない。


「同情ですか? 人ではなくなってしまった者への」


 センジュカの声と視線は冷たい。そうだと答えたら今すぐ殺してしまおう。そんな考えが伝わってくる。


「わかりません」


 半端なごまかしは効かない。それはわかっていたので雄介は正直に答えた。


「同情なのかもしれません。俺だって兄さんに置いていかれた。今は生きてますけど、もう兄さんと呼ぶことは出来ない。置いていかれたって俺が思ったことは消えません」


 兄はいつだって自分と一緒にいてくれる。そう無邪気に思っていた頃には戻れない。兄は自分を置いていった。兄に違うと言われたとしても、もう雄介は信じられない。捨てられた。置いていかれた。そう感じた気持ちは消えてはくれない。


「だから咲月の気持ちが分かる。大事な人に置いていかれた気持ち。復讐する以外にどうしていいかわからなかった気持ち。分かるからこそ、もういいんだって言ってやりたいんです」


 清水晃生が緒方雄介になれたのはいろんな人に助けられたからだ。その中には咲月だって含まれる。あの夜、泣きながら叫んだ咲月を見て、雄介はやっと自分の本心と向き合えた。大好きな兄の大嫌いな部分と向き合えた。だから雄介は一歩を踏み出せたのだ。

 それなのに咲月は未だ過去に縛られている。一緒に逃げようといったのに、自分だけここにたどり着いてしまった。それが雄介は悲しい。同じくらい怒ってもいる。


「あの夜、通じあえたと思ったのは俺の一方的な勘違いだったのかと思ったら、だんだんイライラしてきたのもあって……」

「あら、フラれたんですか?」


 雄介の言葉にセンジュカは実に楽しそうに笑った。少しイラッとして睨みつけてもセンジュカの表情は変わらない。

 生きた年数も違えば経験も違う。その気になれば雄介など簡単に捻り上げられるセンジュカが怯えるはずもない。わかってはいるが、自分一人心が乱されている状況には不満がつもる。


「……たしかに、選択を放棄しているのを見るのは気分が悪いですわね」


 だまりこんだ雄介を見てなにかを思ったのかセンジュカはポツリといった。

 センジュカは雄介を見ておらずどこか遠くを見ている。窓のない地下では外の景色も見えず、すべてが白いセンジュカは目を離すと消えてしまいそうなほど儚く見える。

 それほど柔い存在ではないと知っているが、物思いに耽るセンジュカを見ていると妙にそわそわした。


「あれは思考放棄だと私思うのですよ」


 考え事が落ち着いたのか突然センジュカはそういうと身を乗り出してきた。いきなり近づいたセンジュカの顔に雄介は身を引く。


「思考放棄……ですか?」

「はい。思考放棄です。起きないなんて、殺すも生かすもご自由にって他人に丸投げじゃないですか」

「それはまあ……たしかに……」


 このまま起きなかったどうなるのか雄介は知らない。身寄りもなければ人でもない。羽澤家では死んだことになっている咲月をいつまでもここで面倒見続けてくれるとも思えない。となれば、遅かれ早かれ誰かが咲月の処遇を決める。兄のように病院に入れられるか……それとも……。


 暗い想像をしてしまい雄介は両手を握りしめる。

 そんな雄介をみてセンジュカは楽しげに口の端をあげた。


「向こうが他人に選択を求めているのなら、あなたが決めてしまいなさい」


 その言葉に雄介は驚いてセンジュカの顔を見つめる。思ったよりも近い場所にあったセンジュカの顔はご馳走を前にする子供のようだった。


「あなたは殺されかけたんです。そのくらいの意趣返ししたって文句をいわれる筋合いはないでしょう」

「いやでも……どうやって……」


 起こす方法がわかっているのなら大鷲がとっくにやっているはずだ。毎日、大鷲は咲月の様子をみにいってあれこれ世話を焼いている。「このまま起きないつもりなのかの」と悲しげに呟いている姿だってみたことがある。

 あれだけ親身に世話をして、雄介よりも長生きで外レ者にも詳しい大鷲が起こす方法がわからないのなら、雄介に分かるはずもない。


「あなたはすでに答えを知ってますわ」


 センジュカはそういうとニヤリと笑ってある物を指さした。                                                                                                

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