第十六話 御膳祭
なんのために響を?
三日月のかすかな光の中、森の中で羽澤家の人間に囲まれ、晃生たちは逃げられずにいた。ゆっくりと鎮と慎司の近くによるが慎司の顔は蒼白でガタガタと震えている。前方にはリン。その後ろにはナイフをもった咲月とにこやかな笑みを浮かべた深里と星良、眉一つ動かさずに事態を見守る航。晃生たちの後にはニヤニヤと事の成り行きを見守っている快斗。状況は絶望的だ。
「リン、やめろ! これ以上必要ないだろ!」
緊迫した空気の中、声を張り上げたのは響だった。悲痛な声に笑みを浮かべていたリンの表情が変わる。快斗の背後に隠れて響が見えていなかったらしく、響の姿に気づくとかすかに目を見開いた。
「……やはり、かばったのか」
「分かってはいましたが、事実をこうして突きつけられると嘆かわしいですね。務めをこうも果たせないとは」
響の姿に航は眉を寄せ深里はあきれたとばかりに頭を振った。快斗はニヤニヤ笑いながら跪く響を見下ろしている。
「説得も足止めも満足に果たせず、リン様に無駄な時間をとらせて、申し訳ないとは思わないのですか」
深里の言葉に響は顔をしかめた。晃生、慎司、鎮を順番に見ると顔をゆがめる。それは三人を説得出来なかったことではなく、三人を無事に逃がせなかったことへの後悔に思えた。走り寄ってかばいたい。響はなにも悪くない。そういいたかったが、今の状況で動けば誰を刺激するか分からない。
咲月は未だナイフを持ったままだし、黙り込んでいる大人たちだってなんの武器も持っていないとは限らない。逃げ道はないのか。そう晃生が諦めかけた時、冷え切った声が周囲の温度を下げた。
「なんで、響がボロボロになってんだ」
その声だけで晃生の体がすくむ。眼球が晃生の意志に反して動く。恐ろしい。見たくないと思っても本能が見ろという。見なければもっと怖いというように、体が不自然に動いて声の主を視界に収める。
赤い瞳は氷のように冷たい。笑みが消え失せると死んでいるようだ。
悲鳴があがったのは自分の口か、それとも周囲か。逃げ出したいのに足が地面に縫い付けられたように動かず、口から声にならない空気がもれた。
「やったのは快斗か」
「えっ……いや……」
快斗の顔は青ざめている。先ほどまでの態度がウソのように震える体を見て笑う気にはなれなかった。
「なんのために響を?」
リンが一歩踏み出す。それだけで快斗は後ずさる。誰も助けに入らない。いや、入れない。三日月が雲にかくれて周囲が暗くなる。それでもリンの赤い瞳だけはハッキリと見えた。
「答えろ。なんで響が痛めつけらてるんだ?」
「リン! 兄上は悪くない!」
リンと快斗の間に割ってはいったのは響だった。表情は他の者と同じく青ざめている。足も震えている。それでも両手を広げリンに向かい合っていた。ピリピリと肌を焼くような威圧感の中動き、リンに対して意見をいう。そんな響の姿を見て晃生は理解した。だからリンは響を気に入っている。ただの愛玩動物ではない。リンにとって響だけが対等なのだ。
「……お前がそういうなら、そうなんだよな」
響はそういいながら快斗をみた。快斗は頷くことも首を振ることもできず、ただその場に崩れ落ちた。恐怖に震えたままリンを見上げ、リンに立ち向かう響を信じられないという顔で見つめる。
「でもなあ……これは失態だよな」
リンはそういうとぐるりと周囲を見渡した。視線が動くたびに悲鳴があがり、何人かはその場に尻餅をついた。情けない男たちを一瞥し最後に航へと視線を向ける。航の額には大粒の汗が浮かんでいた。それでも気丈にもリンと目を合わせる。
その隣に居る深里はなぜか恍惚の表情でリンを見つめていた。それに気づいて晃生はゾッとする。この男は正気じゃない。
「御膳祭はお前らの中から一人俺に食べ物を捧げる儀式だってのは分かってんだよな」
「も……もちろんです」
「それがいつのまにかお前らじゃなくなった。これに関してはまあいい。お前らは散々食ったし、たまには別の者を食べるのも悪くねえ。でもなあ、今回はダメだろ」
リンはそういうと航に一気に詰め寄った。いつのまに移動したのか晃生には見えず、一瞬のうちに目の前に現れたように見えただろう航の顔はもはや真っ白だった。
「一人選べっていってんだ。それを含めての儀式なんだよ。か弱くて愚かで生まれた意味もしらないお前らが、自分が助かるために誰かを犠牲にする。その選択も含めて供物であり俺の娯楽なんだよ。なのになあ、今年はなんだ」
リンはそういうと晃生、慎司、由香里を順番に見つめた。
「俺に選べっていうのはな、それは契約違反。思考の放棄じゃねえのか?」
「先程は面白いと……」
「俺に意見するつもりか?」
「そんなつもりは……」
「つもりはなくたって事実そうだろ。なあ、深里」
リンに呼びかけられた深里は嬉しそうに微笑んだ。貴方の意見はすべて尊重しますと語る笑みに航は青ざめる。
「深里、やめろ!」
「はい、リン様がおっしゃる通り」
航の制止も無視して深里はハッキリとそういった。両手を広げて、どうぞお食べくださいというように笑みを浮かべてみせる。その姿を見てリンが口角を上げ、赤い瞳がギラリと光った。
「じゃあ、俺が選んでいいわけだよなあ。お前らが選んだ候補以外から!」
歯を見せて笑うリンに周囲が固まる。それから一斉に青ざめた。男たちが震えながら、おやめください。お静まりください。と口にする。それを愉快そうに眺めながらリンは舌なめずりした。もはや隅で震えている晃生たちなどに眼中になく、少しも視線を向けられない。
響がやめてくれ。と叫んだがそれを深里がとめた。笑みを浮かべてはいるが目が笑っていない。狂喜に歪んだ笑みに響は固まる。
「さぁて、誰にしようか。誰から食われたい?」
そうしている間にもリンが楽しげに笑った。ぐるりと周囲を見渡すたびに晃生たちを取り囲んでいた人垣が崩れる。逃げるもの。恐怖でその場を動けないもの。しゃがみこんでお助けくださいと念じ続けるもの。反応は様々だ。
晃生と鎮は慎司を背に隠すようにしてリンからそっと距離をとった。慎司も今の状況で悲鳴をあげるのはまずいと思ったようでガタガタと震えながら両手で口を塞いでいる。
星良の後ろで震える由香里が見えた。一瞬目があったがそらされる。覚悟を決めるように両手を組んで額に当てる姿は処刑を前にする囚人のようだった。
「それでは、私が!」
この状況に似つかわしくない明るい声が響く。声に周囲が静まりかえった。みな信じられないという顔で声の主を見る。
名乗りを上げたのは星良だった。
「な、なにをいっている星良!」
晃生たちを取り囲んでいた人垣の一人が叫んだ。どことなく星良と似ている男。その男と目をあわせ、星良は微笑んだ。
「お父様もずっと昔からリン様を信仰していたではありませんか」
わざとらしく間延びした口調とは違う、ハキハキした言葉。これが本来の星良なのだと分かった。
頬を染め、恋する乙女のようにうっとりと星良はリンを見上げる。
「私、ずっと思っておりました。初めてリン様をみたあの日から、リン様が人の感情を食べると知ったあの日から、ずぅっと!」
星良はリンに向かって両手を伸ばした。純粋無垢な可憐な少女のような顔で。
「食べられたい! 星良はずっと思っておりました!」
リンが口角をあげた。その表情の意味が晃生には分からない。けれど星良が狂っているのは分かった。星良の顔に恐怖はない。ただ純粋に食べられることへの期待で昂揚している。
「なにを言ってる! 星良! お前が死ぬ必要はないんだ! 今年はちゃんと他に御膳が!」
「落ち着け、本人がそれでいいといってるんだ」
「そうだ! これは光栄なことだぞ!」
慌てて娘を止めようとした父親を周囲の男たちが羽交い締めにする。全員の顔が不自然に引きつっており、異様な空気に満ちている。
誰もが思っている。自分は食べられたくない。誰かが食べられてほしい。自分以外であれば誰でもいい。
「まて! まってくくださいリン様!! 我が家は代々リン様を信仰してきました!! 星良は、星良だけはどうか!!」
取り押さえられながら星良の父親は哀れに叫ぶ。そんな父親の懇願など聞こえていないかのように星良はずっとリンを見つめていた。リンしか見えていない。その姿は異常で、先ほどのリンの威圧とは違った意味で背筋が冷たくなる。
「まて! お前が死んだら俺の願いはどうなる! 双子の地位向上は! 約束しただろ! 協力したら俺の願いを叶えてくれるって!」
咲月が星良の肩をつかんだ。リンから無理矢理視線を剥がされた星良が不快さを隠しもせずに星良を睨む。そこには貼り付けた不自然な笑みが消え失せ、ただ怒りだけが浮かんでいた。能面の下に隠された本来の顔に咲月がひるむ。
「双子の地位向上? そんなの羽澤家で出来るわけないでしょう」
「は……?」
さらりと告げられた言葉に咲月が言葉を失ったのが分かった。
「羽澤家にとって双子の下はね、必要な犠牲なのよ。双子の下がいるからああはなるまいと皆努力し、異形の双子の下を隠すために団結する。一族を結びつけるために重要なシステム」
星良はそういうと咲月の手を払いのける。パンという乾いた音に咲月は殴られたような顔をした。
「誰も双子の下なんかに興味ないわ。だって見たことないもの。閉じ込められて一生飼い殺し。見たことがないものはいないのと一緒。あんた以外の双子はみんなそう。双子の兄や姉が居るって知っていてもあったことがないから気にしない。存在しないものとしてみーんな生きてる。それが出来てないのはあなたぐらいのものよ」
唖然と星良を見つめる咲月を見て、咲月は鼻で笑う。そんなことに今更気づいたのかというような顔で。咲月の顔が怒りで赤く染まっても星良はまるで気にした様子がない。
「お前、可愛い顔してとんだ女狐だなあ」
リンがあきれたような顔で星良を見た。その視線に星良は初めて怯えた顔をした。嫌われるかもしれない。そんな反応に晃生は嫌悪を覚える。
「リン様は私のような人間は嫌いでしょうか?」
「お前みたいな奴の方はなかなか面白い味がして好きだぞ」
食べ物としての評価しか語られていないのに星良は嬉しそうに微笑んだ。さあどうぞ。と両手を広げる星良。その姿に一層父親が叫ぶ。やめてくれ。考え直してくれ。どうか、娘だけは。そう叫ぶ父親の声に誰も耳を傾けない。
実の娘すら。
狂ってる。そう思った。嫌悪感で吐き気がする。それでも目を離せない。
星良を観察するように眺めていたリンは視線を動かした。一人取り残されたような顔をする咲月をみて、動けずにいる航と快斗。やめてくれ。とか細い声をだす響をみて、最後に星良を睨み付ける深里をみる。
なにを思ったのか楽しげに笑うとリンは無造作に星良の腹に手を突っ込んだ。リンの腕が星良の中に埋め込まれている。本来あり得ない光景に晃生は声もでなかった。
衝撃に細い体が浮く。しかし声は漏れない。見開いた星良の目が歓喜に染まる。リンを見上げ、神でも仰ぐように目を細めた星良にリンもまた笑みを浮かべる。
ずるりと星良の腹から引き抜かれたのは青白い炎のようなものだった。崩れ落ちた星良の体からは一滴の血も流れていない。服の乱れもなく、外傷も見当たらない。それでもその体から生き物にとって重要ななにかが抜け落ちているのが分かった。
父親の絶叫が響く。周囲のざわめき。それらを全て無視してリンは星良から抜き取った炎のようなものを眺める。
その異様さに晃生と慎司は息をのみ、鎮は青い顔でガタガタと震えていた。
「さすが信家。旨そうだな」
リンは嬉しそうにそういうと大きく口を開け、青白い炎を口の中に放り込んだ。もぐもぐと口を動かし喉が動き、ごくりと飲み込む。それをみて星良の父親はその場にくずれおち激しく泣き出した。
星良は動かない。表情は笑みの形を作ったまま、人形のように力なくその場に倒れている。人が死んだ。それにしては綺麗すぎて、生きているにしては生気がなさ過ぎる。先程まで生きていたとは思えない姿に何度も病室で見た兄が重なり晃生は吐き気が増すのを感じた。
「やっぱり羽澤家の人間はいいな。そこら辺のとは質が違う」
先程に比べて機嫌の良いリンに周囲から安堵が伝わってきた。呆然と星良を見つめる響、星良の言葉に未だショックを受けた様子で下をむく咲月以外はすべてが終わったかのように弛緩した空気が流れた。緊張した面持ちだった航や快斗も息を吐き出し、深里はどこか不満げに動かない星良を見下ろしている。
泣き続ける星良の父親の声が場違いに聞こえる。そんな空気に怖気を覚えた。
いま人が死んだ。体は生きていたとしても心は死んだ。もう動きもしなければ笑いもしない。そんな事実を前にして悲しむ人間があまりにも少ない。
改めて思う。この一族はおかしい。
それでも一年に一度、一人を捧げる御膳祭は終わった。今年の御膳は星良が立候補し務めを果たした。
となれば生贄として連れてこられた自分たちはどうなるのだろうと晃生は周囲の様子を探る。鎮や慎司もいまだ固い表情で周囲の様子をうかがっていた。
羽澤の人間は晃生たちの存在を忘れてしまったようで、自分が生き延びたことに安堵している。
航たちは目の前で起こったことに思考が追い付いていない。晃生たちを捕らえようとした包囲網も崩れた。逃げるなら今だと晃生はゆっくり後退する。それに気づいた鎮がうなずき、慎司は戸惑った顔で由香里の方をみた。
由香里との距離は遠い。声をかけるにもバレないように近づくのも難しい。慎司は最後まで気にする素振りを見せたがやがて無理だと諦めたのか晃生たちと同じくゆっくり後ずさる。
このまま闇に紛れて逃げよう。そう思ったところで上機嫌だったリンが動き出した。それだけで場に緊張が走る。
「そういえば、さっきから気になってたんだけど」
リンはそういうと咲月に近づき、頬をつかんで顔をあげさせると上からのぞきこんだ。なにをするのかと周囲が固唾を飲んで見守るなか、リンは赤い目を細め楽しげに口の端をあげた。
「なぁーんで、こんなところにいるんだ双子の上」
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