これで茶番はおしまいだ
一気に頭に血が上る。理性が動く前に体が動いた。背後から鎮と慎司の声が聞こえたが足が止まらない。目の前の快斗に思いっきり殴りかかるが、快斗はあっさりと晃生の拳をよけて腹を膝で蹴り上げた。痛みに倒れる晃生の背中を容赦なく踏みつける。口に土の味が広がった。快斗をにらみつけるとおかしそうに晃生を見下ろしている。
「アイツは最後まで泣き言一ついわなくてつまんねー奴だったけど、お前はずいぶん激情家だな。お前くらい騒いでくれたら面白かったのに」
「てめぇ! この人殺しが!」
「なにいってんだ。死んでないだろお前の兄貴は。ただ動かないだけ、しゃべらないだけ。体の機能が停止するまで病院のベッドに眠ってるだけ。生きてはいる。生きてる間の生命維持費用はすべて羽澤で持つんだ。感謝しろよ」
奥歯を噛みしめる。快斗に再び殴りかかろうとするが快斗はさらに足に力を込めた。ケンカしなれている。そう感じる容赦のない動きだ。
「そもそも、俺に怒るのはお門違いだ。アイツが勝手に生贄になるって決めたんだよ。あの年は別の奴に決まってた。お前の兄貴は優秀だったからな、残しておいた方が羽澤のためになるだろうって生贄候補から外された。のにだ、わざわざ自分がなるっていったんだよ。他人を見殺しにして生き残るなんて出来ないって。だからその意志を俺が尊重してやった」
上からふってくる言葉に胸が貫かれる。兄だったらそうするだろうと思った。人を見殺しになんて出来ない優しい人だ。でもなんでとも思う。生き残る可能性があったのならば、なぜ。
「お前だって思うだろう。なんでわざわざ死ににいったのか。お前も家族も悲しむと分かっていて赤の他人を助けた。それってただの自己満足だろ。結果的にお前はここに来た。両親も羽澤にたてついて死んだらしいじゃねえか。バカな兄貴の偽善でお前ら家族は不幸になった。それを俺らのせいっていうのはお門違いじゃねえか?」
快斗のせせら笑う声が聞こえる。そんなことはない。お前らが悪い。そういいたい。言えるはずだったのに、晃生は言葉が出てこない。
兄には助かる道があった。そのうえでその道を選ばなかった。家族が悲しむと分かっていて、それでも自分の意志を貫いた。それは立派なことだ。そうだと晃生は分かっている。分かっていてもなぜ。そう思う。なんで自分が生き残る道を選んでくれなかったのか。そうしてくれたら、自分はこんなところに来なかった。こんな苦しい思いしなくてすんだのにと。
なにに対しての怒りなのか悲しみなのか分からない。涙がこぼれた。
兄のことが好きだ。兄のことが嫌いだ。相反する感情が晃生のなかでぶつかりあって、どうしたらいいのか分からない。
「惑わされるな!」
その声と同時に体ののしかかっていた重みが消えた。いつのまに現れたのか響が快斗を羽交い締めにしている。
「おい、こら愚弟! まだ邪魔するか!」
「晃生! お前は兄上の敵を討ちにきたんだろう! だったら成し遂げろ! 他人の意見なんかに耳を傾けるな! 逃げて、羽澤の愚行を世間に知らしめろ!」
「はあ、お前なにいってんだ! そんなことしたら羽澤だってただじゃすまねえ」
「それでいいです! こんな家、なくなってしまえばいいんだ」
叫ぶ響に快斗の動きが止まった。それは本気かと信じられないものを見る目で響を見下ろしている。
晃生はそのやりとりをただ見ていることしか出来なかった。晃生以外の鎮や慎司、咲月ですら目を見開いて事の成り行きを見守っている。
「この家はおかしい。そんなの皆、とっくに気づいている。気づいていながら自分が責められたくないから、責任をとりたくないから見て見ぬふりをしているだけだ。もう終わりにしましょう兄上! 終わらせる時です」
響の力強い声に快斗は唇を噛みしめる。今までになくつり上がった目で響の髪の毛をつかむと思いっきり蹴り飛ばした。
響の名を呼ぶ悲鳴が複数聞こえる。蹴り飛ばされ、木にたたきつけられた響は空気を吐き出すと鬼の形相で近づいてくる快斗を見上げた。響の目に一瞬おびえが見える。けれどすぐさまそれは覚悟に変わった。
これが兄弟のやりとりであると晃生は信じたくなかった。兄弟とはもっと優しくて温かいもので、守りたくなるものだ。こんな冷たくて恐ろしいものじゃない。
「リン様に気に入られてるからってお前は調子に乗りすぎなんだよ。お前はただの愛玩動物だ。それ以外の価値なんかねえんだから、大人しくお兄様のいうこと聞いとけばいいんだよ」
快斗がそういって響の襟首をつかんで持ち上がる。首がしまって苦しいのか響がうめき声をあげて快斗の手をどかそうともがいた。
「快斗様! 落ち着いてください!」
「岡倉の分家風情が、俺に口きくんじゃねえ」
鎮の言葉に怒声をあげて快斗は響を木の幹に押しつけた。
「前々からお前のことは気に食わなかったんだ。ただリン様に気に入られただけでチヤホヤされる。なにも出来ねえガキのくせして。今回の事だってな、お前が勝手したからこんなに揉めたんだ。そのせいでコイツらは無駄に苦しんでる」
快斗はそういうと鎮や慎司を指さした。
「謝れよ糞ガキ。本当なら清水晃生が生贄に捧げられて終わりだった。岡倉とそこの御膳候補、予備の守家の人間だって関わることもなかった。こんな夜更けにこそこそと逃げ出す必要なんてなかったんだよ。全部お前の中途半端な正義感でこうなったんだ。社会の仕組みも知らねえガキが出来もしねえこと出来るって信じ込ませて、無駄に期待させたからこうなったんだよ。コイツらは全員お前のせいでこれから不幸になる。羽澤家じゃ生きていけねえし、社会でも生きていけねえ。その責任をてめぇはとれねえだろ。まだ大人にもなってねえ糞ガキじゃ」
快斗はそういうと乱暴に響の襟首をはなす。呼吸が出来るようになった響はゼェゼェと荒い息をしながら首を押えた。涙目で晃生たちを見る。その目に浮かぶ感情が謝罪なのかは分からなかった。
「ここまで聞いてもお前らはまだ逃げられると思ってんのか。めでたい奴らだな」
警戒してにらみつける鎮を見て快斗は鼻で笑う。慎司はおびえながらも逃げ道がないかと周囲を探っている。そんな二人を見て、兄に責められると分かっていて飛び込んできてくれた響を見て、諦めるわけにはいかない。
快斗はあきれきった顔をした。深く息を吐き出すと頭をかく。
「お前らほんっとバカだな。逃がすって分かってて、なんでわざわざ響と由香里を森に向かわせたと思ってんだ」
快斗の言葉に息を整えていた響の表情が固まった。それが次第に青ざめる。
困惑した顔で快斗を見ていた鎮の顔も徐々にこわばり、焦った顔で周囲を見渡した。そこでやっと晃生は気づいた。周囲に人の気配がする。
「足止めに決まってんだろうが」
「そんなことにも気づかないなんて、ほんとお間抜けさん」
少女の高い声が響いた。振り返るといつのまにか咲月の隣に星良の姿がある。その後ろには両手を握りしめ、うつむいた由香里。そのさらに後ろから知らない大人たちが現れる。それを皮切りに、晃生たちを取り囲むようにたくさんの人影が闇の中から姿を現した。
「これで茶番はおしまいだ」
そういったのは星良と咲月の横を通り過ぎ前にでた男。鎮が「航様……」とつぶやく。
ここに響と跡取り問題で揉めているという兄たちのうち二人、航と快斗がそろった。そのことに晃生は唾を飲み込む。羽澤家にとって重要な人物がそろっているということは、彼らはここで決着をつけるつもりなのだ。
最後の一人、深里はどこにいるのだろう。そう晃生が考えた時、星良の背後にいる男たちよりもさらに奥から人が近づいてくる物音がした。
「ったく、こんなところまで逃げられてんのかよ」
いかにも面倒くさそうなその声には聞き覚えがあった。一度聞いたら忘れられない、恐怖と共に遺伝子に組み込まれているような、そんな声。奴だと認識したとたん、ぞわぞわと肌の上を怖気が這い回る。鎮と慎司も青い顔で未だ見えない闇を見つめた。
航、咲月、星良が無言で脇にそれる。その中央を当然のように進んできたのは闇の中から出てもなお暗い、真っ黒な着物を着た男。乏しい光の下でも爛々と光る赤色は獲物を品定めするように晃生たちを見回した。
「リン様、お待たせいたしました。御膳でございます」
リンのすぐ後ろに控えた長い髪の男。響と似た容姿を持ちながら、不気味なほどに整った笑みを貼り付けた男が恭しく礼をする。おそらくこの男が響の兄、最後の一人、羽澤深里。
「誰にするか決まったのか?」
晃生から慎司へと視線を移動させながらリンが問う。青ざめた慎司に舌なめずりをする姿は同じ人とは到底思えない。そんなリンを見て、なぜか深里は嬉しそうに微笑んだ。
「一人に絞るのは難航しました故、今年は趣向をかえ、リン様に選んで頂くことになりました」
その言葉を聞いた瞬間、リンの赤い瞳が一層怪しく光った。
「それはおもしれぇな」
歯を見せて笑うリンを見て、逃げられない。そう晃生は悟った。
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