慎司、お前はどうする

 すべてを聞き終えた由香里が帰っても慎司は晃生が語った話を信じられなかった。

 晃生が森の中で出会ったという咲月。それを追い払った人ならざるもの。由香里の双子の姉の存在に魔女。

 ここ数日、信じられないことばかりが起こっている。自分か晃生のどちらかが生贄にされる。それだけでも実感が沸かなかったというのに。


 真剣に話し合う晃生と鎮をみて慎司は人知れず息を吐きだした。両手を握りしめて落ち着け。と念じてみる。けれども混乱した頭はどうにも静まってくれない。


 暮らし初めて数ヵ月の下宿。やっと自分だけの部屋にも共同生活にも慣れてきたというのに明日にはここを出なければいけない。荷物はもともと少ない方だったけれど、夜中に森をぬけるとなれば鞄一つが限界だろう。

 弟と妹が渡してくれた手作りのお守りは持っていく。服も多少は持った方がいいのだろうか。お気に入りの文庫本はどうしよう。重たいから置いていった方が……。


「慎司、大丈夫か?」


 ぐるぐる考えていると鎮の顔が間近にあった。心配そうに眉を下げた鎮の顔をみて慎司は少しだけ息がしやすくなった気がした。自分一人じゃない。それだけのことが心強い。

 けれど不思議でもあった。


「……鎮君も一緒に行くの?」


 慎司の問いに鎮は目をパチパチと瞬かせた。そんなこと聞かれると思っていなかった。そんな反応に慎司の方が戸惑ってしまう。


「当たり前だろ?」

「いや、なにが当たり前だよ。お前、岡倉だろ」


 慎司の疑問を変わりに晃生がきいてくれた。同意するように頷くと鎮は眉を寄せ首をかしげる。


「こんな家出たいっていっただろ。なんで俺が着いていかないと思うんだよ」

「でも、鎮君は逃げなくても許してもらえると思うし」


 こんな家でも鎮の生まれた家だ。家族だって友達だっている。羽澤には劣るけれど岡倉だって慎司の家とは比べ物にならないほど裕福だ。それらを全て捨てて、羽澤家に見つからないように生きていく。そんな選択肢を鎮がとる必要はない。


「僕らのことで責任を感じてるなら気にしなくていいよ。十分鎮君にはお世話になったし。僕らのことは気にしないで」


 必死で言葉を紡ぐ。晃生はじっとことの成り行きを見守っていた。

 本音をいえば鎮がいてくれた方が心強い。空気を明るく変えてくれる鎮には何度も助けられた。鎮が同じクラスにいて話しかけてくれたから慎司はなんとかやってこれた。鎮がいなかったらとっくに心が折れて退学していたか、抵抗するまもなく生贄になっていた。


 だからこそ、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。そう思って鎮を見つめる。慎司は必死だった。しかし鎮の反応は良いものではなかった。


「……そっか……、お前らには分かんないよな」

 鎮はポツリとそういうと頭をかいた。


「俺にはもう居場所なんてないんだよ。お前らを羽澤の敷地内にいれた。それだけでも不味いのに魔女の森に入れてリン様、魔女様にまで会わせた。羽澤にとっては重大な裏切りだ」


 慎司の目をみて鎮は告げた。ふざけた空気など一切ない。それに慎司の体は震えた。


「裏切りって……謝ったら許して貰えるはずじゃ。だって、鎮君は僕らと違って岡倉の人間でしょ」

「岡倉の人間だからこそ羽澤家への裏切りは重罪なんだ。親父と兄貴はまず許してくれない。咲月様にバレた以上、俺の家族に話がいくのは時間の問題。っていうか、もう話いってるかもな……」


 鎮はそこで考えるように目を伏せた。


「で、でも家族だよ。許してくれるはずだよ」

「慎司……散々この家がおかしいっていうのは見てきただろ」


 尚もいい募る慎司に鎮の方が諭すように優しくいう。家族には見放されたとあまりにもあっさりと。

 そんなのおかしい。その言葉が出てない。家族はもっと優しくて力になるもののはずだ。慎司はそう思って生きてきた。

 それなのに、この家はおかしい。その一言に言い返すことが出来なかった。


「響は大丈夫なのか?」

「響様はリン様に気に入られてるし、当主の息子だからな。なんとかなるはずだ」


 鎮の言葉に晃生はどこか納得のいかない顔をした。慎司よりもよほど羽澤家の内情について分かっているようだった。自分だけがまだ現実に追い付けていないことに気づいて慎司は両手を握りしめた。


「慎司、お前はどうする」


 晃生の声が聞こえた。出会ったときと変わらない。感情の読めない落ち着いた声。同世代よりも体が小さく気も小さい慎司は初めて会ったときから晃生の大人びた様子が憧れだった。

 晃生はじっと慎司を見つめている。あまり表情が動かない晃生だが今は慎司を気遣っているのがわかった。


「逃げたら普通の生活には戻れない。おそらく世間的には死んだ扱いになる。俺はもう家族がいないからいいけど、お前は違うだろ」


 家族がいない。それをあまりにも簡単に口にする晃生にゾッとした。悪魔のお屋敷で響と鎮に向かって怒鳴った晃生とは別人のようだ。

 きっと家族の死を受け入れてしまったのだ。それはとても悲しく恐ろしいことのように慎司には思えた。


「逃げなかったら生贄になって死ぬんでしょ?」


 自分でも意地の悪いことをいっている自覚はあった。晃生と鎮の顔が曇る。それをみていわなきゃよかった。そう思ったが、紛れもない本心だ。

 逃げなきゃいけないことも、家族のもとにもう帰れないことも、生贄にされることも怖い。なにもしたくない。耳をふさいで目をつぶり、夢であって欲しいと震えていたい。

 けれど、現実から逃げたら本当に家族のもとには帰れなくなる。


「いくよ……僕だって死にたくない。それに家族に会えなくたって、生きてれば影から助けることはできるでしょ」


 そうであってほしい。そんな願いをこめて慎司は畳を睨み付けた。力を入れすぎて手は白くなっている。それでも力を緩めることが出来ない。


「うちはさ、お父さんが事故でなくなってて、お母さんが一人で僕と妹と弟を育ててくれたんだ」


 生活は苦しかった。母は朝から晩まで働いて、慎司が下の妹と弟の面倒を見た。慎司が特待生を目指したのは家族のためだ。特待生は羽澤家が学費を払ってくれる。卒業すればどんな一流企業にだって就職できる。それだけ羽澤という肩書きは大きい。

 だから慎司は勉強した。少しでも家族に楽をさせるために。早く大人になって母を支えるために。


「僕が死んだらお母さんも妹と弟も悲しむと思う。それでも、少しでも家族の力になれるなら僕は生きなきゃ」


 死んだらなにも出来ない。自分が生贄になれば羽澤家は多額のお金を家族に渡すかもしれない。でもそれを不審に思った母や妹と弟たちが晃生のようになったら……。そう思ったら、慎司には自分が犠牲になる選択肢を選ぶ気にはなれなかった。

 晃生のことはすごいと思っている。だからこそ晃生の激情が慎司の頭から離れなかった。深い怒りと悲しみ。それを家族に与えたうえに、晃生と同じようにこんなおかしな家まで来てしまったら……それを考えたらこれ先の不安なんて小さなことのように思えた。


「逃げよう。四人で」

 二人は力強く頷いてくれる。それだけで今ならなんでもできる気がした。



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