岡倉は勘が鋭い……

 ゆらゆらと体が揺れている。体が重い。お腹のあたりが痛い。そんなことをぼんやりと考えながら鎮はゆっくり目を開けた。

 揺れている。そう感じたのは気のせいではなく視界は自分の意志とは別に動いている。見えるのは気絶する前にみた木々と同じ。ただ地に伏し、低い位置から見たそれとは景色が変わっている。


 どういうことだとぼんやりした頭で考えた。寝起きのせいか視界も不明瞭で思考がまとまらない。そもそもなんで俺は森なんかに。そう鎮が考えたとき――


「おっ、やっとお目覚めじゃの」

 見たこともない男が至近距離で鎮の顔をのぞき込んで来た。


「うわあぁ!?」

「あまり大声をあげんでおくれ。びっくりするじゃろ」


 鎮がわけも分からず叫んでも男は顔をしかめるだけだった。意識がハッキリと覚醒する。自分が見知らぬ男に抱きかかえられている。その状況を正確に理解して鎮は言葉にならない声を上げた。


「鎮、騒ぐな。もうすぐ悪魔のお屋敷の近くまで来てるんだ。誰かに気づかれたらマズい」


 横から晃生の声が聞こえる。視線を向ければ男の隣に晃生が並んで立っていた。よく分からないままに鎮は自分の口を手で塞ぐ。こく、こくと頷いてみせると晃生はホッとした顔をした。


「それだけ寝起きで騒げるなら大丈夫か……」

「一応、医者には診せたほうがええと思うぞ。神子に蹴られたんじゃ。奴らは普通の人間より身体能力が高いことが多いからの」

「……そうなのか」


 晃生と知らない男が親しげに話している。身長が高い鎮を軽々と持ち上げて運んでいる男も異常だが、同級生が男に抱きかかえられているというのに動じていない晃生も変だ。

 そもそも自分を運んでいる男は誰なのか。一体晃生とどういう関係なのか。自分が寝ている間になにがあったのか。鎮の中にいくつもの疑問が浮かぶ。


「これどういう状況……?」

「気絶したお前を大鷲さんに運んでもらっているところだ」

「初めましてじゃの。わしの名前は大鷲源十郎じゃ。ぬしを下宿に送り届けるまでの付き合いじゃが、まあよろしくの」

「あっはい、ご丁寧に」


 自己紹介されたわけだが鎮の疑問は全く解消されない。なにをどうしたら見知らぬ大人に下宿まで運んでもらう流れになるのだろう。しかも今いるのは魔女の森。羽澤の敷地内だ。こんなに目立つ大人を鎮は見たことがない。となれば羽澤の人間ではないのだろう。


「えっと、もう歩けるので下ろしてもらっても?」


 見知らぬ大人に抱きかかえられている状況は高校生の鎮には気恥ずかしい。同級生の晃生に見られているのも恥ずかしいし、とにかくすぐにでも下ろしてもらいたかった。


「思いっきり蹴られておったし、無理せんでも。下宿までは責任もって送りとどけるぞ?」

「いや、いいです。ほんっと大丈夫なので!」


 少々顔が赤くなったかもしれない。それでなにかを察したのか大鷲は思いのほかあっさり鎮を下ろしてくれた。その仕草が思ったよりも丁寧で鎮は余計に気恥ずかしくなる。地面に足が着くなり大鷲から慌てて距離をとったせいで体の節々に痛みが走ったが、そんなの気にならないくらいには気恥ずかしい。


「おおー元気じゃのう。さすが岡倉の子じゃ」

「……岡倉の人間もなにかあるのか?」

「体が丈夫で運動が得意な子が多いの。あと直感がするどい」

「なんか野生動物みたいだな」

「忠犬って名前は伊達じゃないんじゃよ」


 普通に会話する二人に鎮は戸惑った。鎮は大鷲のことをまるで知らないのに、大鷲は岡倉という家のことを知っているようなそぶりも不気味さを加速させる。


「……どこでこの人と会ったんだよ」

「森の中。お前が気絶した後」

「魔女の森の中にいたのか?」


 部外者がという顔で大鷲をみると大鷲は苦笑を浮かべた。


「詳しい話をすると長くなるしの、ぬしがまとめて話すんじゃろ?」

「そうだな。俺からまとめて話した方がいいだろう。慎司と由香里にも話さないといけないし」

「慎司と由香里にもって……、お前、魔女に会えたのか?」


 晃生はハッキリと頷いた。


「そこら辺のこともまとめて話す。長くなるし、二回も三回も話したくない」


 晃生はそういうと歩き出す。「向こうだ」と晃生が大鷲に示したのは響に教えて貰った抜け道だった。大鷲は「ほお」と声をあげ晃生の後に続く。鎮も慌てて二人の後を追った。

 隠し通路の前に来ると晃生は響がやったように壁を開けてみせる。晃生が開けた穴と壁を見つめて大鷲はうなり声を上げた。


「こんな抜け道があるなんて初めて聞いたわ……。リン様と当主様しか知らん道じゃろうな。それを響の坊ちゃんが知っておったということは、リン様は想像以上に響の坊ちゃんに入れこんどるの」


 隠し通路をじっと見つめて大鷲はつぶやいた。険しい顔から大鷲が羽澤の内情を知っていることが分かった。一体目の前の男はなにものなのか。晃生に問いかけたかったが晃生はじっと大鷲のことを見つめており鎮の問いに答えてくれそうにない。

 慎司と由香里にもまとめて話すということは、逃げる手段が見つかったと考えていいのだろうか。聞きたいのに聞けない状況に鎮は歯がゆさを覚えた。


「リン様が時折妙な場所にいたのはここを使ってたんじゃの……。もしかしたら他にも抜け道はいっぱいあるのか……頭が痛くなる話じゃなあ」


 はあ。と大鷲は深いため息をついた。それからものは試しと抜け道に体を押し込める。大きな体が窮屈そうに穴を通り抜けるのを見守ると晃生が鎮を見た。お前も。と視線で感じて鎮はおずおずと抜け道を通り抜ける。

 通り抜けた先には見慣れた住宅街。森から出たという安堵感に鎮が息をはく。しかしすぐさま視界に入った大鷲の姿に再び鎮の体に緊張が走った。


 大鷲は周囲を見渡して、ふむふむと頷いている。何気ない仕草だというのに怪しい風体のせいかどうにも信用が出来ない。鎮からすると意味が分からない状況で出会ってしまったのもあるだろうが、どうにも違和感を感じる男だった。

 なんとなくだが、普通の人とは違う。そう思う。


 警戒しきった鎮を見て大鷲は苦笑を浮かべた。それでもなにも言わず、最後に抜け道から出た晃生に笑みを浮かべる。


「案内ありがとの。ぬしのおかげで今日は色々と情報を得られた」

「こちらの方こそ、色々と助けて貰って」

「助けるというならこれからじゃろ。本番は明日じゃ。今日はゆっくり休んで備えるんじゃよ」


 大鷲はそういうと鎮ににこりと笑いかけ、ひらりと手を振って歩いて行ってしまった。立ち去っても大鷲を睨み付け続ける鎮に晃生が顔をしかめる。


「お礼言わなくてよかったのか。気絶したお前をずっと抱えて運んでくれたんだぞ」

「それは……ありがたかったけど……」


 意識のない人間一人。しかも身長が高い鎮を運ぶとなれば大変だ。それくらいは鎮にだって分かるのだが、どうにも大鷲という男をすぐに受け入れることが出来なかった。


「……なんか変な感じがする……」

 そういって離れていく大鷲の後ろ姿をじっと見つめる鎮を見て晃生は眉を寄せる。


「岡倉は勘が鋭い……」

「あの男もそういってたけど、アイツ俺たちのこと知ってるのか?」


 たしかに岡倉家は忠犬と言われる家系だ。羽澤に仕える忠誠心。それに加えて運動能力も高く、勘が鋭い者が多いのも事実。戦乱の時代は羽澤家を守るために戦い、平和になった今でも秘書の役目からボディガードの役目まで幅広くこなす。

 少し調べれば分かることではあるが、大鷲の言い方が妙に引っかかった。調べた知識を語ったというよりは、実際に見てきたような。実感のこもった言葉だった。


「俺よりは詳しいな。もしかしたらお前よりも」

「……ほんとに何者なんだあの人」


 鎮の問いに晃生は眉間のしわを深くした。しばし何かを考えるそぶりを見せたかと思えば、くるりと体をひるがし下宿の方へと歩き出す。


「おい、晃生!?」

「いったろ。慎司と由香里もいるときにまとめて説明するって」


 晃生はそれだけいって黙々と歩き続ける。険しい表情はなにかを真剣に考えているようで、これ以上なにを聞いても答えてくれないのは分かった。

 いったい自分が気絶している間になにがあったのか。なんで自分は気絶なんかしてしまったのか。悔しさに鎮は舌打ちをする。それもこれも咲月が突然襲ってきたからだ。


「そういえば、咲月……様は? お前、なにもされなかったんだよな」


 自分が意識を失う直前の記憶を今更思い出し、鎮は青ざめた。なんで忘れていたのだろう。あのときの咲月はどう考えても晃生を殺す気だった。あれは脅しじゃない。本気だ。

 いま晃生が無事でいるということは殺される事はなかったのだろうが、あの状況から何事もなく解放されたとも思えない。

 青ざめた顔で晃生の肩をつかむ鎮を見て晃生は眉間のしわを深くした。どう説明しようか迷っているような顔だった。


「……大鷲さんの同僚が追っ払ってくれた」

「咲月様を?」


 こくりと頷く晃生を信じられない気持ちで見つめる。


「全部、説明してくれるんだよな?」

「……必要だと思うことはな」


 そういうと晃生は歩きだす。その背中はなにも聞くな。そう言っていた。だから鎮はなにも聞けない。晃生がいま必死に考えているのが分かったからだ。自分達が生き残るためにはなにが必要なのか。神経を研ぎ澄まし、無駄を省いて最善の結果を得るために、止まることなく考え続けている。


 鎮は待つことしかできない自分に舌打ちをする。


 学校が終わってすぐに森に向かったというのに、もうすぐ日が沈む。鎮が気絶していた数時間、その間に晃生は魔女に会い、大鷲とかいう男に会い、なんらかの情報を得た。

 俺も一緒だったら。一人で悩ませることなんてなかったのに。そう思い、鎮は拳を握りしめた。


 前を向くと晃生の背中は離れた場所にあった。早足で追いかけながら鎮は考える。慎司と由香里がそろったら晃生は話してくれるのだ。それならば自分が由香里を呼びに行った方が早い。慎司はいくら何でも帰っているだろうし、鎮たちが森に行ったことを知っていて出掛けられるほど図太くはない。部屋で落ち着かない気持ちで待っているに違いない。


「由香里呼びに行くか?」

 晃生の背中に声をかける。それに対して晃生は振り向きもせず答えた。


「必要ないみたいだ」


 そういって晃生が横にずれる。気づけば下宿が見える場所まで来ていた。下宿の前に人影が二つ。一人は慎司。その隣にいるのは見たこともない険しい顔をした由香里だった。


「姉さんは」


 由香里は晃生を見るなり前にでる。声は教室で聞く大人びて優しいものではなく固く鋭い、詰問するような厳しい声だった。

 隣でおろおろと晃生たちと由香里を見比べる慎司などいないかのように、由香里は晃生を睨み付ける。見ているだけの鎮が固まるような気迫があったが、晃生は動じた様子がなかった。


「ちょうどいい。由香里にも話したいことがあるんだ」

「それより姉さんは!? 本当に魔女の森にいったの!?」


 晃生の落ち着いた態度に由香里が激昂した。由香里が声を荒らげるところも怒りで目尻をつり上げるところも見たことがない。晃生の制服を掴んだ手は震えている。今にでも殴りかかりそうな空気だった。

 信じられない光景に鎮は動けなかった。由香里とはそれなりに長い付き合いだと思っていたが、自分は由香里のことをまったく知らなかったのだと突きつけられた気持ちだった。


「行った。魔女にもあった。お前の姉にもあった」


 姉という言葉に由香里の目が見開かれた。さきほどの怒りが嘘のように消え、怯えた子供のようにか細い声を出す。


「姉さんは……絵里香は無事なの?」

「元気だった。お前のこと心配してた」


 晃生の制服をつかんでいた手から力がぬけ、由香里は力なく佇んでいる。迷子の子供みたいだと鎮は思った。夕日のオレンジが由香里を照らして、消えてしまいそうに見えた。


 姉。その言葉で鎮は理解してしまった。

 由香里が養子にはいった家は羽澤の中で守家と呼ばれる。魔女の森を代々管理している家系。羽澤の中でそれなりの地位を得るかわりに魔女に世話係を差し出している。それは決まって一卵性の双子の上。最初に魔女に呪われたご先祖様をもして、どうか怒りをお鎮くださいと魔女に祈りを捧げ続けている。


 御膳祭に捧げられる生贄がいつしか外部の人間に変わったのと同じくして、魔女の世話係も外部の人間に変わった。養護施設を巡り、身よりのない一卵性双子を見つけてくるのだという。


 それが由香里なのだ。

 絵里香に会ったという晃生も事情を聞いたのだろう。詳しいことがわからない慎司だけが状況についていけていない。晃生と由香里を純粋に心配する姿をみて鎮はいたたまれない気持ちになった。


 なんで俺が生まれた家はこうも歪んでいるのだろう。関係ない他人を巻き込まなければ成り立たない。そんな家が続く意味などあるのだろうか。

 鎮は奥歯を噛み締める。


「鎮、協力してくれ。お前の意見もほしい」


 無力感に拳を握りしめていると冷静な晃生の声が聞こえた。晃生はじっと鎮を見ている。その目には絶望はない。やるべきことをやる。そういう決意があった。


「チャンスは一度きりだ。逃げよう。こんな場所から」


 晃生の言葉に由香里が目を見張った。慎司が喜びで目を潤ませる。

 晃生は見つけてきたのだ。逃げる方法を。どこかで無理だと諦めていた自分とは違い、晃生はチャンスをつかみとった。ならば自分にできることは一つだけだ。そう鎮は気持ちを入れ換える。


「こんなとこ、もうごめんだ!」


 この家はおかしい。そう気づいた幼い日からずっと逃げ出したかった。その機会がようやく巡ってきたのだ。なにを躊躇する必要があるのか。

 鎮は晃生の肩に手を回す。出会った当初にやったときは振り払われた。だが今は違う。困ったやつだなという顔で晃生が微笑を浮かべる。同い年だというのにやけに落ち着いた反応に苛立つこともあるが、今はそれが頼もしかった。


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