三人で逃げるために

 森は思ったよりも広かった。センジュカと大鷲は地理をすっかり覚えているらしく迷いなく進んでいく。晃生からすればどこを見ても木々ばかりで代わり映えしない風景。目印もない。帰り道を覚えようと必死にあたりを見回したが覚えられる気がしなかった。


「魔女の館への道はどうやって覚えているんだ?」

「道というか気配をたどっているだけじゃな。魔女様の気配は独特じゃからのう」

「人間の小童には出来ない芸当です。諦めなさい」


 晃生はだまりこむ。たしかにそれは出来ない。気配などと言われても分かるはずがない。前を歩く二人が分かっているということはやはり人ではないのだろうか。センジュカは見るからに異質だが、大鷲は普通の人間に見える。背が高い。雰囲気が怪しいといってもリンやセンジュカのような異質さは感じない。

 じっと見つめていると顔だけ振り返った大鷲がにこりと笑う。どう反応していいか分からず晃生は眉をよせた。それを気にした様子もなく大鷲は歩き続ける。


 聞きたいことはたくさんあったが情報を整理したい気持ちもあった。咲月、センジュカと大鷲の登場で考えることがさらに増えた。

 鎮から羽澤家は一枚岩ではないとは聞いていた。咲月はおそらく響をよく思っていない人間の差し金だ。鎮を殺すなと言われているという発言から考えても何者かの指示によって動いているのは間違いない。問題は晃生にはそれが誰なのか、目的がなんなのか見当もつかないことだ。そのあたりは鎮が起きてから相談するほかない。


 大鷲に抱えられた鎮は起きる気配がない。顔色はいいとは言えず、騒がしい鎮が静かに眠っていると不安になる。大丈夫だと信じることしか出来ないことに無力さを感じた。


「ほれ、見えてきた。あれが魔女の館じゃ」


 考え事をしている間にずいぶん進んだらしい。大鷲の声に前を向けばひらけた空間が目に入る。その中央には森の中には不釣り合いな立派な洋館が建っており、井戸や手入れされた庭まであった。

 年期のある建物らしく洋館はツタで覆われている。魔女の館というだけで薄暗い雰囲気を想像していたが明るい日差しの下で見る洋館は不気味どころか綺麗という印象だった。

 庭に咲き誇る花は花びらが大きく光によって鮮やかに色が変わる。白、青、緑、黄色と変わる花を見て晃生は目をこする。目の錯覚かと思ったが瞬きを繰り返しても見える光景は変わらない。


「……見たことがない花だな……」

「魔女の花ですよ。根暗の引きこもりは花を愛でるくらいしか趣味がなかったそうで。品種改良やらまじないやらしているうちにあのような花ができあがったとか。祟ることしか出来ない女のくせに生意気ですよね」

「センジュカ……棘はもうちょっと控えめにせぇ」


 淡々と毒をはくセンジュカに大鷲があきれた顔をした。

 さきほどのことといいセンジュカは魔女を嫌っているようだ。それなのにこうして魔女を訪ねているのだからよく分からない。全部まとめて説明してもらえるのだろうかと晃生が心配になってきたところで魔女の館から人が出てきた。


 魔女かと身構えた晃生が目にしたのは壮年の男性だった。表情は険しく、片目には眼帯。手には杖を持っている。片足を引きずっていることから体が不自由なことがうかがえるが鋭い視線には衰えた様子はない。片足だろうと晃生を平気でぶん投げそうな気迫がある。

 堅気ではない。とっさにそう思った。晃生はヤクザといった反社会勢力の人間にはあったことがないが、思い描くイメージとぴったりだ。一般人ではないとひしひしと感じる。

 羽澤家の人間がもつ注目されることになれたきらびやかな印象とは真逆の雰囲気だ。


「その坊主たちはなんだ」


 片方だけの目で壮年の男は晃生、そうして鎮を見つめた。ただ見られただけなのに自然と背筋が伸びる。


「センジュカが見つけての。今年の御膳候補とそのお友達のようじゃ」


 御膳という言葉に壮年の男は目をすがめる。さきほどよりも真剣に晃生を値踏みする視線に居心地の悪さを感じた。久しぶりに亡き両親にしかられた時の気持ちを思い出す。


「……御膳候補がこんな場所まで入ってこられたのか?」

「この岡倉の子と響様が協力したようじゃ」

「今年の御膳祭の日取りが決まらないわけだ」


 壮年の男は渋い顔をした。


「なんでここまで連れてきた。ここがどこか、その坊主はしってんのか」

「そもそもこやつらは魔女様に会いに来たんじゃと」


 大鷲の言葉に壮年の男は目を見開いた。本当かと確認するようにセンジュカを見る。センジュカが頷くと信じられないという顔で晃生を見た。


「……自分の置かれた立場は知ってるのか?」

「……響からこのままだと俺か友達、もしくはクラスメイトがリンって奴の生贄にされるって聞いた」

「そこまで知って、なんでここに来た。悪魔の話を聞いて魔女の話は聞かなかったってことはないだろ」

「三人で逃げるために」


 キッパリと言い切ると大鷲が口笛をふく。センジュカが愉快そうに手をたたいた。それとは対称的に壮年の男の表情は険しくなる。


「本気で出来ると思ってるのか?」

「わからない……。でもなにもせずに俺や友達が犠牲になるなんて嫌だ。出来る限りあがきたい。出来ることなら逃げ出したい」


 壮年の男はじっと晃生を見つめている。先ほどよりも鋭い視線に体が引きそうになるが耐えた。目の前にいる男は魔女ではない。となればこの家の中にはもっと恐ろしい存在が待っている。ここで負けていては魔女に立ち向かえるはずがない。

 にらみつけるように男を見る。男はしばし晃生とにらみ合うと疲れた顔で大鷲を見た。


「……本気なんだな」

「じゃなければ羽澤の敷地内、しかも魔女の森になんてこんよ。ここまで骨がある子は久しぶりじゃ。多くは真実に気づいたら我先にと逃げ出したからの」

「無様で滑稽でしたわね。羽澤家から逃げられるはずがないというのに。後先も考えずに動いて、あとはどうなったのやら」


 ろくなことにはなっていないだろう。逃げたからといって羽澤家が放っておくとは思えない。晃生の両親の死因は事故死だったが、今となっては疑問が残る。両親はずっと羽澤に真実を教えてくれと訴え続けていた。子供の晃生に詳しいことは教えてくれなかったが、兄が抜け殻になってからずっと羽澤家について調べ続けていた。それが羽澤家の目にとまったから口封じをされたのだ。今回、晃生が特待生として選ばれたのも口封じの意味合いが強いのだろう。生贄も用意できて邪魔者も排除出来る。羽澤家にとって都合の良いことばかりだ。


「俺は別にいいんだ……逃げ出したって帰る場所なんてない」


 病院にいる兄は晃生のことなど分からない。いくら見舞いにいっても声をかけても反応しない。ただ天井を見つめているだけの抜け殻だ。晃生が死んだとしても理解できない。けれど兄の入院費は羽澤家がはらってくれる。生贄にしたせめてもの対価なのだろう。兄のことは死ぬまで面倒を見る。その契約だけは羽澤家は真摯に対応してくれた。


「親も死んだ。親戚もいない。兄は何年か前に悪魔に食われた」


 晃生の言葉で三人の空気が変わった。なにかを思い出そうとするように晃生の顔を見つめる。そんな三人を見て気づいてしまった。この三人も兄を見たことがあるのだ。直接なのか間接的なのかは分からないが。


「俺は残された家族の気持ちが分かる。あんな想いを友達やクラスメイトの家族にさせたくはない」

「お人好しですわね。それとも悪魔の愛し子に気に入られた余裕でしょうか? 自分は生贄の対象から外れたから、代わりに生贄候補になってしまった童が可哀想になったのでしょう? それは偽善というのですよ」


 センジュカの言葉は容赦がない。大鷲が止めようとしたが晃生は先に口を開いた。


「偽善でもなんでもいい。三人で逃げられるなら。誰になんと言われようと出来ることをやるしかないんだ。俺たちに選ぶような余裕はない」

「ほお……思ったより状況が見えているらしい」


 男が関心したようにつぶやいた。見れば口角がかすかにあがっている。微笑みというには迫力があったが好意的に受け取って貰えたようで晃生は少しだけ安堵した。


「ここに来たのも無鉄砲ってわけではないのか」

「……悪魔には頼んだが断られた。響がさらに頼むといっていたが難しいだろうというのが鎮の……大鷲さんに抱えられてる岡倉の意見だ。響に頼ってばかりでもいられないから俺たちなりに情報を集めようという話になった」

「それで悪魔が無理なら魔女にって?」


 こくりと頷くと壮年の男が声をあげて笑った。気持ちのよい笑い声に晃生の目が点になる。センジュカはあきれた顔をして大鷲は苦笑を浮かべていた。


「いやー思い切った事をする。リン様にあったのなら恐ろしかっただろう。俺でもあの方は恐ろしい。頭から丸呑みにされそうな気がする」

「……はい。恐ろしかったです……」

「それでも悪魔様と対となる魔女様に会って直談判しようなんて、肝が据わってる」

「考えなしのバカでしょう」


 センジュカの冷たい言葉にそうともいうな。と壮年の男は笑う。晃生が反応に困って大鷲を見ると大鷲は苦笑を浮かべたままだった。

 ひとしきり笑った男はゴホンと咳払いをすると晃生を見た。片方しかない目が晃生を射貫く。晃生は思わず拳を握りしめた。


「度胸は認めてやってもいいがな、魔女様も力を貸してはくれないぞ」

「それはなぜ……?」

「魔女様は羽澤家にはもう関わりたくないと言っている」

「魔女が呪ったのが始まりなんだろ?」


 羽澤家の先祖がなにをしたのかは分からない。どうしてこんな奇っ怪な一族ができあがったのかも。けれどきっかけが魔女の呪いだったことは間違いない。魔女に呪われたから羽澤という家ができあがり、ゆがみ続けて現代までたどり着いた。というのに元凶である魔女が関わりたくないとはどういうことなのか。


「元をたどればそうなんだがな、状況はもはや魔女様の手には余る。何代にもわたって複雑に歪んだ呪いはかけた魔女様にもとけない。それに魔女様はずっとここに引きこもっていたから羽澤家との関係も切れかかっている。魔女様の存在をきちんと認識しているのは守家。魔女の森を管理し、召使いを用意している家だけだ」

「……いまさら魔女が出て行っても当主は納得しないということか?」

「羽澤家は魔女様よりもリン様を恐れているからな。魔女様がなにかいってもリン様が納得しなければ意味がない。魔女様とリン様の仲はよいともいえないしな」

「だから諦めろっていってるのか」


 晃生がにらみつけても男の表情は揺るがなかった。先ほど笑っていたとは思えない迫力のある風貌に引きそうになる。それでも晃生は男をにらみつけた。


「俺と友人の人生がかかってる。諦めろといわれて簡単に諦められるか。それに魔女本人にいわれるならともかく、どこの誰だかもわからないおっさんに言われても納得いかない。そもそもあんたら何者なんだよ!」

「おっさん……」

「あらまあ」


 唖然とした大鷲とセンジュカの声が聞こえる。けれど晃生は男から目をそらさなかった。無表情で晃生を見つめていた男はやがてニヤリと口角をあげる。


「お前のいう通りだな。どこの誰かも分からない人間の自分の人生預けるなんてまね、平然とするやつはどうかしてる。気に入った。部下にほしいくらいだ」


 男はそういってずんずんと近づいてくると晃生の頭を乱暴に撫でた。両親が死んで以来、頭を撫でられることなんてなかった。久しぶりの感覚に理解が追いつかず目を白黒させる晃生をみて男は笑う。


「俺の名前は緒方幸一郎。一般的に幽霊だとか妖怪だとか言われるものを調査、記録する組織のリーダーを任せられてる。そこにいる奴らは協力者だな」


 そういいながら緒方はセンジュカと大鷲を見る。


「……部下じゃなく?」

「部下なんていったら失礼だ。二人とも俺よりも年上だ。俺たちじゃ逆立ちしても生きられない年月を生きてる」


 驚いて大鷲を見た。センジュカに関しては勘づいていたが大鷲は半信半疑だった。もしかしたら人ではないのかもしれないと思っていたが、実際に人間ではない。目の前にいる緒方よりも年上だと言われると不思議な感覚になる。

 言われた大鷲は「年までばらさんでいいのに」とブツブツ文句を言っていた。センジュカも「乙女の年齢に言及するなんてデリカシーがありませんわ」と笑顔で毒を吐く。

 しかし緒方はそんな二人に構わず晃生の肩をつかんだ。


「俺たちがしてやれるのは魔女様と話す機会をつくってやるくらいだ。人でない存在というのは人間の手に余る。魔女様はそこにいる二人よりもさらに長生きだ。しかも呪詛の使い手ときている。本気で怒らせたらお前も俺も今すぐ殺されるだろうよ。言葉だけで」


 冗談ではない。緒方の片目は怖いほどに真剣だった。本気で魔女は簡単に晃生を殺すことができるのだ。夕食の選ぶような軽いノリで食べていいのか聞いてきたリンのように、気まぐれであっさりと命を奪うことが出来るのだ。

 それはとても恐ろしいことだ。それでも晃生は進むほかない。道は細く頼りなくもも、足下を見て怖がっている余裕などないのだ。


「お願いします」


 晃生の顔を見て緒方は満足そうに笑う。激励なのか背中を思いっきりたたかれる。ビリビリと痛みが広がって思わずうめき声がもれた。それに緒方は声をあげて笑うと玄関へと戻っていく。


「魔女様、お客様がお目見えです」


 緒方が声を張り上げるとドアがひとりでに開いた。固まったのは晃生だけで三人とも平然と中に入っていく。

 さすが魔女の館である。このくらいで驚くなということなのだろう。

 晃生は気合いをいれるため両方の頬を力一杯たたいた。それで逃げ出しそうになる弱い心は追い払った。だから後は進むだけだ。誰も生贄になることなく逃げるために。


 晃生は魔女の館へ足を踏み入れた。



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