第十二話 細い糸

よぉ分からんが、その子はどうしたんじゃ

 センジュカを見つめながら晃生は考えた。彼女は味方と考えていいのだろうか。咲月を追い払ってくれたとはいえ正体不明の相手であることには違いない。真っ白な、同じ人間とは思えない容姿も晃生を警戒させるには十分だった。

 警戒する晃生をみてセンジュカは楽しそうに目を細めた。その余裕の表情がますます晃生を焦らせる。

 

 緊迫した空気を崩したのは男の声だった。おった! という独特のなまりのある声。続いて草木をかきわけて何者かが近づいてくる音。警戒しながら晃生が音のする方へ視線を向けるとセンジュカも同じ方向を見ていた。かすかに眉をひそめる姿は不満そうだ。


「ここで勝手するのはやめろといっとるじゃろ! 目つけられたら色々と面倒なんじゃっ!」


 そういいながら現れたのは怪しい男だった。肌は褐色。髪は灰色。長い髪を三つ編みにしているらしく動くたびに尻尾みたいに揺れる。目は細く、前が見えるのか分からないほど。しかし動きは危なげなく、晃生や鎮よりも足場の悪い森になれているように思えた。


 茂みをぬけ、男の前身が見えたところで男も晃生に気づいたらしい。驚いた顔をして晃生とセンジュカを見比べ、倒れている鎮にも気づくと悲鳴をあげる。


「センジュカ!? 恨みのあまり子供に手を!?」

「人聞きの悪いことをおっしゃらないでくださいませ。そっちの犬っころはともかく無関係な人間に手を出すほど無節操ではありません」


 センジュカは不快だと眉をつり上げる。その反応をみて男は困った顔をした。センジュカのいうことをどこまで信じていいのかはかりかねているらしい。


「よぉ分からんが、その子はどうしたんじゃ」


 男はそういいながら鎮へ近づく。とっさに晃生は動こうとしたがセンジュカが動くなと微笑みで圧をかけてきた。途端に体がこわばり身動きがとれなくなる。やはりセンジュカは普通の人間とは違うようだ。

 男は丁寧な仕草で鎮の様子をみている。蹴られた腹のあたりを見ると痛ましそうに顔をしかめた。


「センジュカがやったんじゃないとしたら、誰がやったんじゃ。この様子じゃ一方的じゃろ」

「神子の方が」


 センジュカの言葉に男が眉を寄せた。


「なんで神子がこんなことするんじゃ。見たところこの子は岡倉じゃろ?」

「さあ? 詳しい事情は存じ上げませんわ。私は神子の方が哀れな犬っころを虐めているのを見かけたので弱いものいじめは止めなさいと助言したまでです」


 微笑むセンジュカを見て男はため息をつくと晃生をみた。上から下までじっくりと晃生の姿を確認して眉を寄せる。


「そやつはなんでこんな所におるんじゃ。ここは羽澤家の人間以外立ち入り禁止じゃろ」

「……なんで俺が羽澤家の人間じゃないと」

「羽澤家の人間は独特の雰囲気があるからの。見ればすぐにわかるんじゃ」


 男はなんでもないような顔でいう。晃生は響や星良、咲月など羽澤家の人間を思い浮かべた。たしかに一般人とは違う雰囲気はある。といっても羽澤家の人間であると確信がもてるほど強いものでもない。


「あんたたちは何者だ?」

「人にたずねる前に質問に答えてくださいませ」


 口調は丁寧だが声が冷たい。問いに答えなければなにをされるか分からない。そんな空気に晃生は黙り込む。自分だけだったら多少我慢もできるだろうが気絶したままの鎮を残していくわけにはいかない。


「……この森の奥にいる魔女に会いに来たんだ」

 晃生の答えにセンジュカと男はそろって目を丸くした。


「おぬし、誰から魔女の話を?」

「そこにいる岡倉鎮と羽澤響に教えて貰った」

「羽澤響!?」


 晃生の答えに二人は顔を見合わせる。なにかを考えるように眉を寄せる二人を見て、晃生は居心地の悪さを覚えた。


「響様は御膳祭には否定的だとは噂には聞いておったがなあ……まさか部外者に伝えるとは」

「考えなしの阿呆ですわね」


 センジュカは肩をすくめ、やれやれとため息をつく。


「次期当主候補も阿呆ですが、あなたも阿呆ですね。魔女がいるなんて話、疑いもせずに信じてのこのこやってきたんですか?」


 魔女なんているはずがないでしょう。そういって嘲笑を浮かべるセンジュカをみて晃生は顔をしかめた。センジュカのいうことは最もだ。晃生だって羽澤家に来る前に同じ話をされたら信じなかった。けれど晃生はもう会っている。リンという圧倒的な存在に。それに近い空気を出すセンジュカが魔女をいないものとして扱っていることに違和感を覚えた。


「……お前だって、魔女側の存在じゃないのか?」


 そういった瞬間、晃生の体は地面に押し倒されていた。顔のすぐ横にセンジュカのブーツが突き刺さっている。あと数ミリでもずれていたら自分の顔は踏み潰されていた。それに気づいてヒュッと息がもれた。

 センジュカが晃生を見下ろしている。真っ白な瞳がギラギラと不気味に光り、持ち上がった口角が歪んでいる。


「今、あのクソ女と私が結託しているとおっしゃいました?」


 言葉が出ない。違う。そう否定したいのに恐怖で喉がはりついて声がでない。はく、はくと鯉みたいに口を動かす晃生を見下ろしてセンジュカは微笑んだ。目が笑っていない。


「落ちつくんじゃセンジュカ。その子がいうたのはおぬしと魔女が同じ存在、人ではない存在じゃないのか。そういうことじゃ」


 男があきれた顔でいいながらセンジュカの肩を軽くたたく。センジュカは男の手を振り払い、にらみつけ、それから晃生を見下ろした。


「コイツが言ったこと、間違いないでしょうね?」


 そうじゃなければ喉を踏み潰す。そういう威圧のこもった声と眼光に晃生は必死で頷いた。センジュカはなら最初からそういってくださいませ。と鼻をならしながら晃生から離れた。

 恐怖で呼吸が止まっていたらしい。センジュカが離れると心臓が動きだす。バカみたいに深呼吸する晃生の隣に男がしゃがみ込み、晃生の顔をのぞき込んだ。またなにかされるのかと身構えたが男は心底同情した顔で晃生を見ている。


「おぬしが我々みたいな存在を認識していること、響の坊ちゃんと知り合いなことは分かった。あと魔女に会いたいこともじゃ。おぬしが部外者であることを考えると、御膳祭についてじゃろ」


 男の言葉に頷く。体を起こすと男が背中を支えてくれた。


「よぉここまで来られたのぉ。御酒草学園からここまで見つからないように来るのは大変じゃったろ」

「……いや、抜け道を教えて貰った」


 センジュカ相手に下手に隠し事をするのは危ないと思い素直に答えた。晃生の言葉に男は驚いた顔をしてセンジュカを見る。センジュカは左右に首をふった。


「魔女の森への抜け道なんて私は存じ上げません」

「……わしも知らんの。それは響の坊ちゃんに聞いたのか?」


 晃生が頷くとセンジュカと男は顔を見合わせ、そろってため息をついた。


「教えたのはリン様じゃろうな……溺愛にもほどがあるじゃろ。わしらには全く教えてくれんかったというに」


 わざわざ裏山登ってくるのがどれほど大変か、あの人は分かっておらん。いや、分かっててか。分かったうえでか。とブツブツ文句をいう男を見てこの人も苦労しているのだなと少し同情した。

 隠し通路の存在には鎮も驚いていたし、響に教えるまではリンしか知らない通り道だったのだろう。考えてみればあの道は知ってさえいれば外部の人間が簡単に羽澤に侵入できる。しかも通じているのは魔女の森。羽澤の人間がめったに入ってこない森の中だ。隠れて悪さするには最適な環境といえる。

 森の主である魔女の存在を抜きにすれば。


「この様子では、今年の御膳祭は荒れるじゃろうな……。響の坊ちゃんはぬしを逃がしたがっておるんじゃろ」

「どうにか当主を説得するといっていた」

「あらあら、小童のくせに粋がっておりますね」


 センジュカが面白そうに笑う。そんなこと不可能だと思っている顔だ。


「説得は難しいじゃろうが……もめ事にはなるじゃろうな……どうりで御膳祭の日取りがなかなか決まらんわけじゃよ」

「……お前らはいったい何者なんだ」


 男は晃生を見つめた。晃生も男を見つめ返す。そろそろ答えがほしい。自分はこの二人から逃げるべきなのか。それとも話し合うべきなのか。

 晃生の視線に耐えかねたのか男は頬をかいた。


「……うーむ……どうしたものかのぉ……我々は口出しを禁じられておるしのぉ」

「たしかに御膳祭への口出しは禁じられておりますが、まだ日取りは決まっておりません。御膳も決まっていない様子。ならば問題ないのではありませんか」


 センジュカがいたずらを思いついた猫みたいな顔で笑う。男の顔が引きつった。


「我々はなんの知らせも貰っておりません。今年の御膳が誰かも、どんな争いごとが起こっているのかも。ですから、視察に訪れた場所で偶然、部外者と遭遇したとしてもその方が御膳だなんて知りようがございませんわ」

「それは屁理屈っていうんじゃが、ぬし知っておるか?」

「存じ上げない言葉ですね」


 平然と嘘をつくセンジュカを見て男は頭を抱えた。


「きっかけとしてはよろしいのでは? こちらとしても羽澤の悪習を見逃すのは難しくなってきました。私たちの協力を得られなくなることで困るのは羽澤家ですわ」

「どういう意味だ」


 センジュカはにっこり笑って晃生をみた。


「人間が毎年一人植物状態に陥っている。そんな事実をもみ消すのは大変なことですわ。昔みたいに人もそれ以外も好きなところで好きなように生きていた時代ならともかく、今は社会に管理される時代です。いくら羽澤家といえど世間に気づかれるのは時間の問題」

「……俺たちを逃がしてくれるのか?」

「可哀想な童に手を差し伸べてあげるのも大人の仕事ですから、手を貸してあげてもよろしいですわよ。我々が出来る範囲で。という条件付きですが」


 眉を寄せた晃生をみて男が困った顔をした。


「助けてやりたい気持ちはあるんじゃが、わしらも微妙な立場での。羽澤家に警戒されて今後の付き合いが切られても困るんじゃ。羽澤家が本気だしたらわしらみたいな弱小組織じゃあっさり取り潰されるじゃろうし。それに今は当主が不在じゃしの」

「……当主はいるだろ」


 響の父親が現在の当主。だからこそ息子である響は跡継ぎ問題で上の兄三人と揉めているときいた。


「んー、あーそうじゃな。そうじゃった。すまんのぉ。こー見えて年じゃから物忘れがひどくてのー」


 男はそういうとひらひらと手をふった。男のみためは30代。見た目よりも年が上でも40代といったところだろう。物忘れがひどい年齢には見えない。

 なにかをごまかされた。そう気づいてもなにをごまかされたのかは分からない。眉を寄せる晃生をみて男は分かりやすく目をそらした。


「詳しい話をするんじゃったら場所を変えた方がいいじゃろ。その子も手当しないといけないしの」


 未だ地面に横たわっている鎮をみて晃生は我に返った。男とセンジュカの登場で気をとられていたが鎮は思いっきり腹を蹴られていた。鎮へとかけよれば蹴られた腹のあたりは土で汚れている。服の下はひどいことになっているかもしれない。


「その子はわしが運ぼう。ぬしよりも気絶した人間を運ぶのにはなれとる」


 晃生の隣にしゃがみこんだ男がいう。鎮を任せていいものかと迷ったが気絶した、自分より大きな同級生を運べるかと言われると自信がない。


「……味方だと思っていいんだよな」


 それでも不安は残る。油断した結果、鎮がこれ以上ひどいめにあったら一生後悔するだろう。

 探るように男を見つめると男は笑った。晃生を安心させるような優しい笑みだ。


「わしはできる限りぬしたちの味方でいたいと思うておるよ。呪いとも契約とも関係ない部外者がこれ以上犠牲になるのを見ているだけというのは老体にもきついからの」


 男はそういって鎮をかかえた。気絶している人間は重いというが本人がなれているという通り危なげない所作だ。あまりにもあっさり持ち上げる姿に驚いていると男はいたずらっ子のように笑った。


「わしの名前は大鷲源十郎。大鷲さんでも源ちゃんでも好きに呼んでおくれ」

「私のことは極力呼ばないように。呼ぶのであればセンジュカ様でお願いします」


 対称的な二人だ。センジュカはかなげな姿で毒が強く、大鷲は怪しい雰囲気だが空気が優しい。この二人はいったいどんな目的でここに来ているのか。


「あの……目的地は?」

「おーそういえば、いうておらんかったな」


 迷いなく進む大鷲の後ろを歩きながら晃生は恐る恐る聞いた。鎮を抱えながら振り返った大鷲は笑う。


「魔女の館じゃ」


 あまりにもあっさり口にされた言葉を聞いて晃生は固まる。この二人についていって本当にいいのだろうか。そんな気持ちが顔に出たのかセンジュカがおかしそうに笑った。


「元から行く気だったのでしょう? 怖じ気づきましたか?」


 そうだ。元々自分は魔女の元にいくつもりだった。生贄なんかになりたくない。どうにか慎司と由香里の三人で羽澤家から逃げ出したい。そのためには悪魔にだって勝たなければいけない。

 晃生はセンジュカをにらみつける。これ以上、訳のわからないものに振り回されてたまるか。そんな気持ちで。


「望むところだ」


 晃生の言葉に若い者は元気じゃのお。と大鷲が笑う。センジュカもクスクスとおかしそうに笑っていた。晃生は気合いを入れて前を向く。

 昨日、今日と自分の常識を覆す存在に遭遇し続けている。これ以上なにがきても驚かない。そんな妙な自信までついてきた。


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