第十一話 魔女の森
本当に羽澤家は呪われているのか?
放課後、晃生と鎮は魔女の森にたっていた。
昨日との違いはあるかと晃生は周囲を見渡したがめぼしいものは見つからない。視界に入るのは変わらず木々だけ。話に聞いた変わった花が咲いているわけでもなければ、不気味な獣のうなり声が聞こえるわけでもない。
ただの森。そのはずなのに、羽澤家に呪いをかけた魔女が住んでいる。そんな話を聞いた後では不気味に思えてくるのだから不思議なものだ。
鎮は昨日と同じく過剰なほどに周囲を見渡していた。木々の隙間をじっと見つめてはそこになにもいないことを確認して息をはく。姿すら現していない魔女に心底怯えている様子を見て晃生は笑う気にはなれなかった。幼い頃からすり込まれてきた魔女と呪いへの恐怖は部外者である晃生には想像しかできないが、根深いものなのは昨日のやりとりで理解できた。
それだけに違和感もある。同じような環境、どころか鎮よりもいっそう呪いに近い立場で育ったはずの響は森に対してもリンに対しても恐怖が薄いように思えた。
「お前の反応が正しいのか、響の反応が正しいのか……」
小さな晃生のつぶやきを鎮は聞き逃さなかったらしく顔をしかめた。
「響様がずれてるに決まってるだろ。平然とリン様と話せるのあの人くらいだぞ」
鎮は震えをごまかすように両手を握りしめながらいった。
響が羽澤家の中で浮いているのはなんとなく分かる。血筋と悪魔の評価を重要視する家に生まれながらそれに頓着していない。
良い人間には違いないのだが、呪いだの生贄だの、物騒な言葉が当然のように行き交う羽澤家のなかで良い人であり続けるにはぶれない意志が必要だ。穏やかに笑う姿からは想像もできないが響の根本は晃生が想像できないほどに強いのかもしれない。
それとも響には他の人間とは違う世界が見えているのだろうか。
「響に教わった抜け道って本家の人間なら知ってるものだと思うか?」
「……知らないと思う」
少し考えてから鎮は答えた。
「森には近づかないのが鉄則だ。本家の人間は特に血が濃いからな。用もなく近づいたら魔女の怒りにふれる。そういわれている」
「そもそも近づく理由がないってことか」
晃生の言葉に鎮はうなずいた。
「それなのに響は何度も使ってるみたいだった……」
晃生たちを案内する響の姿に迷いはなかった。一直線に悪魔の屋敷に向かったことを考えても響は何度もここを使って外に出ている。抜け道を教えたのはリンだろう。となれば響にとって悪魔も魔女の森もまるで恐ろしいものではないのだ。
「本当に羽澤家は呪われているのか?」
呪われているにしては魔女の森は穏やかだし、直系の響は自由に森を出入りし、悪魔と親しげにしている。化物に変わる呪いの片鱗はまるで見えず、もしかしたらすべて誰かが仕組んだ性質の悪い嘘なのではないか。
そうであってほしい。そんな希望込みの言葉に鎮の反応は悪かった。
「……お前は双子をみたことないからな……」
落ち着かせるために握りしめていた手は力を込めすぎて白くなっている。それでも体がブルブルと震えていた。
「制服の色、あれはそれぞれの立場で色分けされてる」
「なにを今更」
入学初日に見せつけられた格差。最初は違和感のあったそれも月日がたてば日常風景になった。むしろ誰がどの立場なのか分かりやすくて意外と便利だ。そういうと慎司は宇宙人を見たような顔をしていたが。
「白は羽澤家。灰色は養子。青が岡倉。黒は特待生」
ガイダンスで説明された御酒草学園の常識を鎮は改めて羅列する。眉をひそめる晃生にお構いなしで続けた鎮は色をいうごとに指を立てる。四本の指がたち、それで最後だと思われたところで五本目の指がたつ。
「赤茶色。お前この意味説明されてないだろ」
赤茶。入学式に見た生徒だ。白の集団の中にポツポツとまるで染みのように混ざり合う彼らを晃生は何度か見かけたことがある。特待生のように浮いているわけでもなく、自然と白の集団の中に混ざっているため入学式で抱いた疑問はいつのまにか消えていた。
「赤茶色も意味があるのか?」
「意味もなく制服の色変えるわけないだろ」
鎮はそういうと息をはいた。
「赤茶は双子の下。赤茶色の制服を着ている奴らはな、敷地内に双子の片方が幽閉されてるんだよ」
「幽閉……?」
魔女、悪魔、呪い、生贄。今までだって信じられない言葉ばかり聞いてきた。これ以上はないだろうと思っていた自分に晃生は顔をしかめた。
これ以上ない。そう思いたかったのだ。考えてみれば分かることだ。双子の上が呪われて生まれてくるというのに肝心の双子が見当たらない。
「羽澤家で生まれた双子は生まれてすぐ家族と引き離される。双子が幽閉されている建物が敷地内にあって、そこは関係者以外立ち入り禁止。身内もだ」
「じゃあ赤茶色の奴らは双子の上に一度もあったことがないのか?」
「会ったことないから平然としていられるんだろ。兄貴と上手くいってない俺だって、兄貴が一生幽閉されるって聞いたら平然とはしてられない」
鎮はチラリと晃生をみた。お前はもっとだろ。とその目がいっている。
晃生と兄は仲が良かった。だから兄が抜け殻になった事実が受け入れられずこんな所まで来た。だからこそ平然とすごしている赤茶色の制服を着た奴らの気持ちがまるで分からなかった。
「双子の上は呪われた子。双子の下は神に愛された子。双子なのに羽澤内じゃまるで立場が違うんだ」
「なんでだ。同じ双子だろ?」
呪われたのは双子の上。といっても呪われる原因を作ったのは双子の下。となれば同じく呪われた存在として畏怖されるものではないのか。
「双子の下をリン様は気に入ることが多いんだ。しかも当主になり結果を残してる人も多い。精神を病む人もいるんだけどな。このあたりは呪いの耐性があるかどうかじゃないかって噂」
「ってことは呪われてはいるんだな」
「聞いた話によると精神を病む奴らは悪夢を見続けるらしい。だんだん眠れなくなって弱って、最終的には気がふれるか衰弱死する。生き残った奴らを羽澤じゃ神子っていう」
鎮は歪な笑みを浮かべた。
「俺からすれば神子だって十分化物だよ。双子の兄弟がずっと幽閉されてるって知りながら平然と生きてるんだぜ? 会ったことがないとしても双子の上がいることは知ってるのにな」
どこが神に愛された子だよ。と皮肉たっぷりにつぶやく鎮をみて晃生はなにもいえなかった。
「一度だけ双子の上がいる施設に行ったことがある。名目上は保護施設ってことになってるけどな、まるっきり実験動物だった」
鎮はそういうと顔をしかめた。いつになく険しい顔をする鎮を見れば、双子の上が人間として扱われていないのは想像ができた。
「檻の中に入れられて、手足は逃げ出さないように鎖。名前はなくて番号で呼ばれる。毎日、毎日、呪いをとくためっていう名目で身体検査だの、薬物投与だの、知能実験だのされて……極めつけは本人たちはそれをおかしいと思っていない」
鎮は口元を手で押えた。吐き出してしまいたいなにかをギリギリのところで耐えているように見えた。慎司がいれば吐いてもいいと鎮の背を撫でたのかもしれない。けれど晃生は動かなかった。吐いたところで楽にならないことが分かっていた。
「羽澤家は狂ってる」
拳を握りしめ、血でも吐きそうなほど低い声で吐き捨てた鎮を見ていることしかできなかった。言葉で聞いただけでもおぞましい現実を実際に目にした鎮がなにを思ったのか。こんな家に仕えることが指命だと親に言われてどれほど苦痛だったのか。晃生には想像することしか出来ない。
羽澤家はおかしい。兄が脱け殻になったあの日からずっと思っていたことだ。羽澤家にはなにか秘密があって、その秘密を知ったから兄はあんな目にあったのだ。そう根拠もなく信じ切っていた。それは少なからず当たっていたわけだが、嬉しいという気持ちは少しも浮かばない。
想像したよりももっと醜く薄気味の悪い現実がある。それを突きつけられて、突きつけられ続けて目をそらすことも出来なかった人間を前にして、どうすればいいのだろう。家族を失ってからずっとぶれなかった支柱がぐらぐらと揺れている。
ここから逃げられたとして問題は解決するのだろうか。自分たちが逃げたって御膳祭は終わらない。来年はなにも知らない特待生がやってきて生贄になり、それをみて響や鎮は悲しむのだろう。止められない。なにも変えられないと自分たちの無力さに打ちのめされ、新たな傷を作るのだろう。
それは嫌だ。鎮や響がこれ以上苦しむ姿を見るのは嫌だ。慎司が怯える姿をみるのも嫌だし、代わりに由香里が生贄に捧げられるのだって見たくない。だったら自分は出来る限りのことをするほかない。
「魔女に土下座でも何でもして御膳祭を止めてもらえるように頼むしかないな……」
「……土下座で許してくれるか……?」
「やってみないと分からないだろ」
自分に出来ることなど限られている。大人のような財力も権力もない。差し出せるものなど自分の体ぐらい。だったら誠心誠意ぶつかるほか道はない。
晃生の本気が伝わったのか鎮はあきれた顔で笑った。仕方ないから付き合ってやるよ。と脇腹を小突いてくる鎮に晃生もかすかに笑みを浮かべる。子供が二人土下座してくらいで魔女が動くとは思えなかった。それでも、それしか方法はないのであれば、やるほかないのだ。
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