部外者がこれ以上かきまわすな

 決意を新たに魔女の館へ向かおうとしたところで、パキンと枝の折れる音がした。


「部外者がこれ以上かきまわすな」


 続いて聞こえた低い声に振り返れば森には不釣り合いな制服姿の少年が立っている。入学式でみた赤茶色の制服をきた少年。髪の隙間から見える肌は前にみた時よりもいっそう白く頼りなく見える。体型も男子高校生にしては小柄で慎司とそれほど変わらないように見えた。

 しかし慎司とは圧倒的に違うものがある。殺気だ。今まで一度だって浴びたことはない。日常ではほぼ向けられることのない感情。それでも分かる。肌を焼くピリピリとした感覚が訴える。動くなと。


「赤茶色……」

「そんなことまで話したのか、部外者に」


 晃生がつぶやいた言葉に少年の目が鋭くなる。隣の鎮が後ずさるのが見えた。


「部外者には俺が双子かどうかなど関係ない。双子の上下が重要視されるのは羽澤家だけだ。岡倉なら分かっているはずだろう。なぜ部外者に話している?」

「な、なんで咲月様がこんなところに……」

「それはこちらの台詞だ。俺の質問にだけ答えろ」


 鎮の言葉に空気が重くなる。押しつぶされそうな殺気を浴びて思わず晃生も後ずさる。その姿を見て咲月は不快そうに舌打ちをした。


「部外者が羽澤の敷地内にいるだけでも問題だというのに、なぜよりにもよって魔女の森にいる。いったいどこから入った」


 ブツブツと呟きながら咲月は近づいてくる。ただ歩いているだけ。それだけなのに、晃生は咲月から目が離せない。目を離した途端、重要ななにかを見落としそうな気がする。


「まあいいか、手間が省けた」

 咲月はそういうと手を後ろにまわした。


「勝手に聖域にはいったんだ。殺されても文句は言えないだろ」


 一瞬、光に反射する鈍いなにかが見えて晃生は鎮を突き飛ばした。頭の横をなにかが通り過ぎた。髪の毛が何本か引っ張られたような感覚。通り過ぎたなにかを確認するために頭を動かすと、木の幹にナイフが突き刺さっていた。


「……反応は悪くないな」


 淡々とした声と共に足音が近づく。ポキリと再び折れた枝の音が妙に耳に残った。冷や汗を流しながら咲月を見れば、その手にはナイフが握られている。


「さ、咲月様……?」


 震える鎮の声に咲月は視線を動かす。髪の隙間から見えた瞳は全く感情が乗っていない。人を殺そうとしているとは思えないほど静かな所作に晃生はこれが夢なのではないかと思った。


「生贄に情が移って逃がそうとした。そういう話は今までもあったらしい。岡倉は情に厚い。監視目的で近づいてほだされたんだろ」


 鎮を無理矢理引っ張りあげて立たせる。現実についていけてない鎮は咲月から目を離さず、なんで。と繰り返していた。そんな鎮をみても咲月の反応は変わらない。


「可哀想にな。部外者にそそのかされて。部外者をかばって死んだ。人に仕える岡倉らしい最期だ。なんの問題もないな」

「問題しかないだろ!」


 鎮の代わりに吠える。ありったけの気持ちでにらみつける。ケンカなんてろくにしたこともない。相手は自分より小柄。それだけが今の晃生の勝機で、出来るだけ自分を強そうに、大きくみせようと必死だった。

 そんな晃生を見て咲月は鼻で笑う。必死に威嚇する子犬でもみるかのような顔で。


「多少の問題はあってもそういうことになる。心配するな。お前らが死んでも御膳祭は予定通りに執り行われる。なんの問題もない」

「ふざけんなよ!」

「ふざけてるのはお前らだろうが」


 余裕ぶっていた咲月の顔が憤怒に歪んだ。

「羽澤とは関係ない部外者がひっかき回すな!」


 その言葉と同時にナイフがとんできた。地面を無様に転がって避ける。動きやすい服装に着替えてから来てよかったと心底思った。

 鎮も硬直がとれたらしく晃生が引っ張らなくてもなんとか動いている。といっても、ナイフ避けなんてお互いにしたことがない。余裕なんて全くなく、大げさな動作でなんとかさけて咲月を凝視する。


 気づけば咲月の手元には四本のナイフがあった。一体何本用意されているのか。こちらのぎこちなさとは違い洗礼された動きに頭が混乱する。

 相手は自分と同じ高校生のはずだ。


「羽澤家では人殺しの訓練とかあるのか!?」

「あるわけないだろ!! えっ、ないよな!?」


 鎮が錯乱ぎみに叫ぶ。ありえない。と言えない辺りが羽澤家らしい。今まで出てきた衝撃の事実を並べていくとないとは言い切れない。その事実に晃生は舌打ちする。


「とりあえず逃げるぞ!」


 顔を見合わせ走り出す。転びそうになりながらついてくる鎮を横目に咲月をみれば不快そうな顔でこちらをみていた。ナイフをもった手をかかげ……


「鎮! しゃがめ!」


 投げる動作が見えると同時に叫ぶ。晃生の声に鎮が慌ててしゃがむ。晃生も同じく姿勢を低くすると頭上をなにかが通り抜けた気配。前をみれば先程と同じくナイフが木の幹に突き刺さっている。一体どんな腕力で投げているのか。深々と突き刺さったナイフに冷や汗が流れた。


 鎮と一瞬視線を合わせ障害物となる木の影へ転がり込む。先ほどまで晃生の足があった場所にナイフが突き刺さっており、ドッと心臓が音を立てた。あのままあそこにいたら晃生の足に突き刺さっていたはずだ。向かいの木に隠れた鎮の顔も青い。


「往生際悪いな」


 木の影から咲月を見ればナイフをもてあそびながら無表情でこちらの様子を見ている。いつでも殺せるという余裕の表情に嫌な汗が流れた。このまま鎮と二手に分かれて逃げるという手もあるが、向こうが飛び道具を持っている以上背を向けるのは悪手だ。鎮と別れてしまえば地の利がない晃生が無事下宿に帰れる保証はない。森から出て羽澤家の人間に見つかってしまった時点で詰み。晃生には不利な状況がそろっている。


 咲月に対しての優位な点があるとすれば人数。そして体格。咲月がもっているナイフはあと二本。あの二本をどうにか使わせてから鎮と協力して抑えつけるしかない。

 だが、それは向こうだって分かっているはずだ。だからこそナイフなんて刃物を持ちだしている。簡単に武器を手放しはしないだろう。

 どうすればいいのか。晃生が考えている間に咲月の足音がゆっくり近づいてくる。それほど大きな音でもないのに嫌に耳に響く。自分の命がすり減っているような感覚に心臓が締め付けられる。


「咲月様! 考え直してください! 人殺しなんて正気の沙汰じゃない!」


 鎮が声を張り上げる。咲月をどうにか説得しようとしているように見えたが声をはりながら晃生をチラリと見た。時間をかせぐからその間に作戦を考えろということだろう。


「誰に指示されたか分かりませんが、穏便にすませましょう。人殺しで刑務所いきなんて馬鹿げてる」

「羽澤内で起こった事件ぐらいどうとでももみ消せる。お前らはよぉーく分かってるだろ岡倉」


 張り上げた鎮の言葉が淡々とした言葉で返された。鎮が固まっている。その様子を咲月は鼻で笑った。


「今までももみ消してきた。だから毎年、特待生が一人植物状態に陥っても一族の地位が揺るがない。植物状態だから死んではいない。そんな屁理屈で遺族が納得するとお前は思うのか」

「お前がそれをいうな!」


 とっさに叫んでいた。なんとか木の影から飛び出すことは抑えたが怒りで手が震える。木の影からにらみつけると咲月は眉を寄せている。しばし間を置いてから、そういえば。と納得した様子で頷いた。


「お前の兄は何年か前の御膳だったらしいな。なら、お前こそ身をもって知ってるだろ。残された人間は納得しない。羽澤家は昔から人殺しの犯罪者。すでに詰みを背負っているんだからそこにまた一つ罪が増えたところでたいした問題じゃない」

「……お前、兄さんの件に関わって」

「関わってはない。お前の兄など見たこともない。だが、俺は羽澤の人間だ」


 咲月はナイフの刃先を自分の心臓に向ける。自分で自分を突き刺してしまうのではと焦ったが刃先は制服の胸ポケットを傷つけて終わる。胸ポケットにはBと書かれていた。


「直接手を下していないからといって罪がないといえるか? 毎年生贄を捧げていることを知っているのに? それを黙認しているのに? 誰かが自分の代わりに死んでくれることにホッとしているのに? 無罪だとお前は思うか? なあ、岡倉」


 咲月が言葉を続けるたびに鎮の顔が青くなる。ガタガタと震え胸元を押える鎮を見て晃生はかけよりたくなった。お前が悪いわけじゃない。お前の生まれた家がおかしかっただけだ。そう言えば鎮の心は少しは軽くなるのか。

 いや、ならない。それを晃生は知っている。


「もともと罪人だからって罪を重ねてもいい。その理屈だっておかしいだろ」


 絞りだした声は思いのほか低かった。怒りのにじんだ、自分でもこんな声が出せるのかと驚くほどのものだったが咲月は気にした様子もない。器用にくるりとナイフを回すと切っ先を晃生へ向ける。


「おかしかろうがどうでもいい。俺の目的が達成されるなら。だから……」


 咲月の言葉が途切れた。そう思った時には目の前に咲月の顔があった。いつの間に距離を詰めてきたのか分からない。とっさに晃生は後ろに下がる。晃生の目の前を咲月のナイフが通り過ぎた。首に痛み。首を液体が流れる感覚。血のにおいが鼻を通り過ぎた。

 数センチ、数秒、少しでも遅かったら首が切られていた。反射的に避けられたのは奇跡といっていい。


「咲月様! お願いですから止めてください!」


 鎮が叫ぶ。それに咲月は一切答えずナイフの切っ先を晃生に向けていた。ナイフの先は赤く塗れている。自分の血だという事実に鳥肌がたった。


「大人しく殺されろ」


 目の前にいるのは本当に自分と同じ高校生だろうか。小柄な体型からは想像もできない殺気が肌を貫く。少しでも動いたらその瞬間、今度こそ心臓を一突きにされる。それは簡単に想像できる未来だった。


「晃生! 逃げろ!」


 鎮が咲月に飛びかかる。咲月は一切鎮には意識を向けていなかった。咲月は小柄だ。鎮が抑えつけ、それから晃生が加勢すれば形成は逆転する。晃生は鎮に加勢しようと足を踏み出した。

 そのとき、晃生がみたのは咲月を抑えつける鎮の姿ではなく、咲月に蹴り飛ばされふっとぶ鎮の姿だった。自分よりも大きな人間を振り向きざまに軽々と蹴り飛ばす咲月を晃生は呆然とみていることしか出来なかった。鎮が吹っ飛ばされる姿がやけにゆっくり見える。先ほどまで鎮が隠れいた木に背中からたたきつけられ、肺に入った空気を苦しげに吐き出す鎮。そんな鎮に休む暇も与えず咲月は地面に倒れた体を踏みつけた。


「鎮!」


 とっさに叫びかけよろうとした晃生に見せつけるように咲月は鎮の心臓の上に切っ先を向ける。一突きにするだけで鎮の命は終わる。それが分かった晃生は動けなかった。


「コイツは岡倉の中でも優秀らしいな。出来れば殺すなと言われているんだが、どうする?」


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