無理だって兄さんも思ってんだろ
「羽澤は古い仕来たりに縛られすぎなんだよ。時代に会わせて変わるべきなんじゃねえの? 手始めに兄さんがちゃちゃっと当主になって、面倒くせぇ跡取り問題とか終わらせてくれよ」
ソファの背もたれによりかかり、快斗は足を組む。
響、いや深里が生まれてからというもの羽澤家は跡取り問題で揉めている。表面上はみんな羽澤家の未来のためと真面目な顔をしているが本音はただの権力争い。四兄弟のうち誰につけば得か腹を探り合い、あわよくば羽澤の実権を得たいと欲にまみれた人間たちが足を引きずり合っている。
なんてアホらしいと快斗は思っている。快斗は跡継ぎ問題には昔から興味がなかった。
快斗の取り巻きたちが快斗を当主にしたいのは分かっている。快斗を形だけの当主にして自分は甘い汁をすするつもりなのだ。しかしながら快斗はまったくやる気がなかった。面倒くさいだけで見返りのない立場にどうしてなりたいと思うのか。長男だからという理由だけで勝手に持ち上げられ、当主になるべきだとうるさく言われ続けている航には心底同情していた。真面目な分、周囲の勝手な言い分をすべて真剣に聞いてしまう航を見てバカだなとあきれてすらいた。
航は自分が当主になることで羽澤家が一丸になるのであれば。そう思っているようだが、快斗からすればあり得ない妄想だ。航が当主になったところで喜ぶのは航の取り巻きだけで航以外を当主にしたかった奴らは変わらず不平不満を言う。それは快斗やほかの兄弟が当主になっても変わらない。
本家、分家と別れ、枝分かれし、様々な思想や理想で分裂した羽澤家が一つにまとまることなど今更ありえない。羽澤家は歴史と共に大きくなりすぎてしまって、当主ただ一人には身に余る。実際、快斗や航の父――現当主だって制御出来ているとは言いがたい。
「リン様のご意向なんか伺うから余計に面倒なことになるんじゃねえの。リン様は婚姻以外に口出しなんてしねえし。事業とかはノータッチだろ。いったいなんの神様だよ。縁結びと子宝の神か」
全身真っ黒、いつもニヤニヤと薄ら笑いを浮かべているリンの姿を思い出してあまりの似あわなさに快斗は喉の奥で笑う。見た目からして縁結びなんて可愛らしいものとは無縁。快斗にはリンがそういった力を持っている存在にはとても思えなかった。
快斗も早いうちからリンに婚約者を決められていたが、婚約者は快斗の好みとはかけ離れていた。自己主張は薄い。表情も乏しいうえに口数も少ない。黙って後ろをついてくるだけの人形みたいな婚約者。幼いころから何度も会ったが快斗はどうにも好きになれず、未だ婚約者止まりなことをいいことに遊びほうけている。それに対してもなにもいってこないから、向こうだって快斗のことはなんとも思っていないだろう。
ただリンが決めた。それだけの関係。そこに愛もなければ運命なんて甘酸っぱいものもない。これのどこが神様の選定だというのか。
「航兄さんだって許嫁と上手くいってねえだろ。リン様のいうことに従ってれば安泰ってどっからきたんだか」
快斗の言葉に航は顔をしかめて黙り込んだ。否定しないのが事実。航も婚約者がいるが上手くいっていない。航の場合は婚約者は航を好いているようだが、航が仕事を優先するあまりすれ違いがつづいている。婚約者は航を見ている分、快斗よりはマシかもしれない。それでも一方通行。婚約までしているというのにまるっきり片思いだ。
両親だって上手くいっているとは言いがたかった。リンに認められる子供を産まなければいけないというプレッシャーからどんどん関係がギスギスし、やっと深里で肩の荷が下りたかとおもえば響が過剰なほどの評価を受けたことでまた萎縮した。今は極力家に戻らず、響の世話は使用人に任せきり。家庭は完全に崩壊しているといっていい。
羽澤を繁栄させるための縁談。どこがだと快斗は鼻で笑う。ただ老いない、死なないだけのペテン師ではないのか。
「もう神だ、信仰だっていってる時代じゃないだろ。変わり時なんじゃねえの、羽澤も。で、変えるとなればやっぱ兄さんじぇねえ?」
快斗の言葉に航は黙り込んだ。航がなにを考えているのか快斗には分からない。航の表情は変わらない。いつも通りのとっつきにくい顔でじっと快斗を見つめている。
「……長きにわたる伝統を、私の代で終わらせるわけにはいかないだろう」
しばしの沈黙ののちに航が吐き出した言葉に快斗は幻滅した。この期に及んでまだそんなことをいうのかと半眼で航をみる。しかし航は快斗から目をそらし、気持ちを落ち着けるように大きく息を吐き出した。
「じゃーいつになったらこのゴタゴタ終わるんだよ。今回だって響が勝手なことをしたせいで揉めて、俺たちは缶詰だ。兄さんが次期当主で決定してたらこんな面倒なことになんなかっただろ」
航が次期当主で決定していれば響が最有力候補の特待生を気に入ったところでこうは揉めなかった。航と父が響を説き伏せればそれで終わる。深里は響をわかりやすく嫌っているので助けることはない。快斗から見ても優柔不断で臆病なくせに事を荒げる響が叱られるのを見るのはいい気味だ。響が納得いかなかろうが権力者が否といえば状況は覆せない。それで終わるはずだったのだ、航の地盤がしっかりしていれば。
「父さんが俺たちに残れっていったのも、今後、信仰派と革命派がなにしでかすか分からねえからだろ」
快斗の言葉に航は黙り込む。それが答えだ。響が特待生と仲良くなってしまったことにより、例年通り滞りなくとはいかなくなった。響に取り入りたい信仰派は響が気に入っているのであれば別の候補に変えるべきだと主張するだろうし、深里をあがめる改革派は深里が嫌う響をこれを機に責めるだろう。そして快斗と航のどちらかを当主につけたい血統派は二勢力の衝突させて漁夫の利を狙う。
「どこも納得させる落とし所を探さなきゃいけなくなった。ほんっとふざけんなよ響の奴、面倒なことばっかしやがって」
ドンっとテーブルをたたく。航は快斗に行儀は悪いとは言わなかった。それだけで航だって響に思うところがあるのが伝わってくる。
響が生まれてからというもの面倒ごとばかりだ。次期当主も深里でほぼ決まっていたのに白紙に戻った。黙ってリンの指示通り次期当主の座を継げばよかったというのに、響が断ったせいで跡継ぎ問題が激化した。
兄さんたちの方が相応しい。なんていい子ちゃんぶった顔で空気の読めないことをいう弟が快斗は好きになれなかった。
「響は本当に御膳祭がやめられると思っているのか……」
ワープロをたたく手を止めた航が考えている。
「無理だって兄さんも思ってんだろ」
「ああ……。リン様の動向もそうだが、いまの状況でやめるとなれば悪魔信仰者がなにを言い出すか分からない。特に深里が怖い」
いつも穏やかな笑みを浮かべているわりに腹の内を一切さらさらない深里の姿を思い出し快斗は身震いした。響はいい子ちゃんすぎてムカつくが深里に比べればかわいげがある。そんな深里に毛嫌いされている響が少々可哀想に思わなくもない。けれど手助けをしてやる気になれなかった。快斗だって我が身の方が可愛いのである。
「あーもー、アイツだって面倒なことになるってわかってんだろ! なんで特待生に近づくなんてことしたんだよ! どんな奴に骨抜きにされやがった」
快斗はそういいながら立ち上がると航に向かってズカズカと歩いて行く。特待生なんて興味はなかったからまともに見ていなかったが、こうも引っかき回されると腹が立つし気になってくる。響はいったい特待生のどこを気に入ったのか。こうなったら納得いく理由を無理矢理にでも見つけたい。
航に無言で手を差し出す。航は自分の代が終わっても生真面目に特待生のリストを見ていた。今年の分だってちゃんと持っているだろうし、こうなった以上確認できる場所においているはずだ。
そんな快斗の考えは正しかったらしく航は快斗の勢いにおされつつも積み上げられたファイルの中からクリアファイルを取り出した。これだけ積み上げておいて、よくどこになにがあるか分かるもものだと感心しつつ、快斗はクリアファイルから書類を取り出す。
書類といっても数枚の紙がホチキスで留めてあるだけの簡素なものだ。ここ数年は大きなもめ事もなく最初に目をつけられた有力な特待生がそのままリンに捧げられた。そういった経緯もあり年々御膳祭の準備はおざなりになっている。その代の学生と関係者以外に話題にあがることもなく、そういえばそろそろ御膳祭だったな。と毎年の風物詩のように気づけば終わっていた。
羽澤にとってはその程度の行事。そう考えれば響が必要性を問うのも分からなくもない。そう響を肯定しかけて、快斗は不快さに舌打ちをする。
一枚目は予備として用意された養子組。特待生の動向を監視する役割も担っているため快斗も一応の挨拶に出向いた。やけに着飾った母親の隣で大変名誉なお役目を申しつかりましてと貼り付けた笑顔で典型文を口にしていた少女だ。予備として確保される養子は誰もがそういった様子だったため、たいして印象には残っていなかったがこんな顔だったかと添付された写真を見て思う。
一枚めくると現れたのは気の弱そうなメガネの少年。いかにも勉強しか出来ない風貌にコイツは生き残っても使えなさそうだなと快斗は顔をしかめた。第一予備、と書かれていることに内心がっかりする。どうせ残るのであれば骨のある奴の方がいい。勉強だけできても羽澤家の中では使えない。
最後の一人が響が気に入ったやつか。そう思いながらめくると気の強そうな双眸が目に飛び込んできた。こちらをにらみつけるような写真に口笛がもれる。羽澤家の特待生に残る奴はだいたい使えなさそうなガリ勉か羽澤にこびようという意志が透けて見える奴である。どちらでもないということに意外性を覚えた快斗は響がこの特待生を気に入ったことに多少の理解を覚えた。面白そう。写真だけでもそう思える顔つきをしている。
同時に、引っかかりを覚えた。
じっと写真を見つめる快斗を見て航が首をかしげる。なにかあったのか? という言葉に快斗は応えられなかった。引っかかった部分がもう少しで分かりそうなもどかしい感覚。なかなか出てこないことに不快さを感じながら快斗は写真をにらみつけ、出身、経歴といった調査資料にも目を滑らせる。そこで目に入った「清水」という名字をみた瞬間、思わず笑みがこぼれた。
「おい航、お前知ってたか」
「なんの話だ」
航がいぶかしげな顔で快斗をみる。快斗はなぜだか知らないが腹のうちから浮かんでくる笑いが抑えきれず口元に手を当てた。
「響が気に入った奴、俺の代で生贄になった奴の弟だ」
その言葉に航の目が見開かれた。椅子から立ち上がり快斗が見ていた書類を横からのぞき込む。
清水晃生という名の写真の中の少年がこちらをにらみつけている。珍しい特待生だと思ったがそりゃそうだ。この目は羽澤にこびる気など欠片もない。むしろ羽澤を食い潰そうとしているかのように獰猛で笑いがこらえきれない。
「兄弟そろってバカかよ」
ついにこらえきれなくなって体を折り曲げて笑う。思わず握りつぶした書類を見て航がなにか言いたげな顔をした。
「いい子ちゃんな響は、まんまと同情したわけか」
笑いすぎて浮かんだ涙を拭いながら快斗は変わらずこちらをにらみつけてくる晃生を見つめた。記憶にある兄に比べるとだいぶ目つきが悪い。兄の方はもっと温和な顔つきをしていた。声を荒げたのは一度だけ。快斗に向かってこんなのおかしい。間違っている。そう叫んだあの時だけだ。
「はぁー……バカみてぇ……」
弟たちに振り回されて地盤を固められない航も、生贄のために呼ばれた存在に同情した響も、そんな響を可愛がるリンも、自ら死を選んだ兄を追いかけてきた弟もみんなバカ。俺よりよほどコイツらの方がバカじゃねえかと快斗はただ口角をつり上げた。
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