魔女なら、知ってるんじゃないか
「ある日俺は耐えられなくなって逃げたわけ。こんな家出て行ってやる! って思って子供用のリュックにお菓子パンパンに詰めて、御酒草学園の裏門から逃走する計画を実行したんだよ」
「逃走経路、裏門かよ……」
「行っておくけど裏門が一番手薄。っていうか他の場所は警備員いるんだよ。いないのは裏門くらい」
その発言にいかに特待生が雑な対応をされているのか晃生は悟ったが、話の腰をおるのでふれないでおいた。
「裏門までわざわざ来る羽澤、岡倉の子供ってのはいないんだよ。外部の人間は野蛮だとか、羽澤家は選ばれた血筋だって英才教育よろしく小さいころから洗脳されるから。野蛮な特待生が出入りする裏門なんか近づかないだよ。普通は」
「そっちの都合でよんどいて酷い言い草だな」
晃生が眉をつりあげると鎮はだよな。とつぶやいた。
「だから俺の家出はあっさり成功する予定だったんだけど、予想外のアクシデントが起こった。俺が裏門から出たちょうどそのとき、下宿から出てきた当時の特待生とバッチリ目があった」
その特待生の気持ちを晃生は想像してみた。自分たちしか出入りしない裏門。そこからパンパンにリュックを膨らませた子供が出てくる。きっと一目を忍んで怪しい動きをしていただろうし、聡い人間なら何かある。とすぐに気づいただろう。
「俺はヤバいと思って逃げようとしたけど、あっさり捕まった。そして誘拐よろしく下宿に連れ込まれた」
「心配してくれたんだろ」
あんまりないいようにフォローすると鎮は何も言い返さなかった。クッションの上に腕を組み、その上に顎を乗せた鎮はどこか遠い所を見るような顔で言葉を続けた。
「そこで俺は初めて兄と呼ばれる人が出来た。実の兄よりもよっぽど俺の話を聞いてくれて、俺と一緒に遊んでくれて、俺が泣きたい時はそばにいてくれた。他の特待生も親切で俺が遊びにくるたびによく来たな。って一緒に遊んでくれた」
その姿は今と変わらない。鎮が今より小さい子供で、特待生の顔ぶれが違うだけ。下宿を我が物顔で使う鎮もそれを仕方ないなと笑って許す先輩たちの姿も、きっと同じだったのだ。そう想像できるだけに、鎮の顔が無機質なのが気になった。楽しい思い出を語るにしてはその瞳は冷え切っていた。
「でもある日さ、遊びにきたらお通夜みたいな雰囲気でさ、俺が兄みたいに慕ってた人の友達が俺を見るなり怒鳴ったんだ。お前は知ってたのかって」
鎮の瞳が揺れる。
「俺、そのときは何も知らなかったんだ。特待生がどんな存在か。リン様の事だって名前ぐらいは知ってたけど、怖い人だとしか思ってなくて、毎年誰かが生贄に捧げられてるなんて全くしらなくて……。だから俺はそのときただ怖くて、それでさ、なんで兄ちゃんがいないんだろうって思ったんだよ」
鎮はそういうと奥歯をかみしめた。
「後から生贄のことを知って、兄ちゃんが生贄になったんだって聞いて……俺は自分の生まれた家がそのとき本気で嫌いになった。なんでこんな家に生まれてしまったんだろうって後悔して、どうにかならないかって考えて……でもさ、俺には無理だったんだよ」
顔を埋めた鎮は押し殺した声でそういうと、その後は何も言わなかった。
泣き声は聞こえなかった。それでも泣いているんだろうと晃生は思った。いっそ泣いてくれればいいのにとも思った。
そんな経験をして、それでも下宿に通い続けた鎮はなにを思っていたのだろう。毎年1人へる特待生を見て、年々近づく自分の代を思ってなにを考えたのだろう。それは晃生にはとても想像できないもので、軽々しく慰められるようなものではなかった。
晃生は初めて病室で兄をみた日のことを思い出した。理解ができなかった現実。理解が追いついたらどこに向けていいか分からない激情がわいてきて、次にどうして兄がという疑問や悲しみ、喪失感が襲ってきた。
鎮も同じ気持ちを味わったのだろうか。今まで何度もそれを味わい続けたのだろうか。
「……だから僕たちに優しくしてくれたの?」
いつのまにかクッションを手放した慎司が鎮の背をなでていた。未だ目元は潤んでいるし声は震えている。それでも必死に鎮を慰めようとしている姿を見て晃生はなにも出来なかった。
「俺には、それくらいしか出来ない……」
くぐもった鎮の声は泣きそうで、押し殺した感情が叫びたがっているように思えた。逃げ場もなければ消えることもない。毎年上塗りされる傷口。癒えることのない苦しみ。それを見ていると晃生は両親を思い出した。
両親は兄の状況を受け入れられなかった。羽澤家から莫大な援助を貰っても、死んだわけではないと周囲に慰められても決して傷は癒えなかった。それどころか時間がたつにつれ、兄がもう話さないという現実に押しつぶされていくようで、晃生はそれを見ているのがつらかった。
「魔女なら、知ってるんじゃないか」
だから、もれた言葉は自分でも冷静な言葉じゃないと分かっていた。分かっていても晃生はなにかを言わずにはいられなかった。諦めるわけにはいかない。そう思った。今年もまた鎮の前に、どうにも出来なかった現実を残してはいけないと。
晃生の言葉に鎮は顔をあげた。瞳からは涙はこぼれていなかった。それに晃生は安堵していいのか、悲しんでいいのか分からないまま言葉を続けた。
「悪魔もきっと知ってる。でも教えてくれない。だが、魔女ならもしかしたら」
「本気か?」
鎮の声は震えていた。慎司も信じられないという顔で晃生を見ていた。
晃生だってバカなことをいっている自覚はあった。だが、他に案なんて思いつかない。このまま、なにもしないまま生贄に捧げられるなんてまっぴらだ。そんなやけくそじみた気持ちだけで動いている自覚があった。
「他に案があるか? 俺も慎司も由香里も死なない案が」
「でも、魔女って……大丈夫なの?」
不安で慎司の瞳が大きく揺れた。
森にはいって花を摘んだ。それだけで羽澤家の始祖を呪ったという人間嫌いの魔女。その話を聞くだけなら悪魔よりもよほど厄介な存在に思える。しかし、
「魔女はずっと引きこもって出てきてないんだろう? 悪魔があれだけ大きい顔してるのに。それって賭けの勝敗がつくまで手を出すつもりはないってことなんじゃないか?」
この考えに賭けるほかないと晃生は思った。
鎮が目を見開く。でも、そうだとしてもと慎司は弱々しい言葉をつぶやいて、やがて他に案がないと気づくと押し黙る。
「悪魔にもう一度頼むよりは可能性があると俺は思っている。それに説得するなら俺たちよりも溺愛されてるっていう響の方が適任だろう」
「それはそうだな……変なこといって機嫌損ねられた方がマズい」
「分かるけど、分かるけどさ……悪魔の次は魔女って……」
「慎司も鎮も来なくていい。今回は俺だけでいく」
告げた言葉に鎮と晃生は言葉を失った。それから一拍間を置いて鎮が叫ぶ。
「バカじゃねえか!? お前一人でどうやっていくんだよ!」
「響から教わった隠し通路は覚えた。あそこが森なら歩き回ってればいつかは魔女の家につくだろ」
いくら森といっても羽澤の敷地内。それほど広い空間ではないだろうし一人でもなんとかなる。これ以上岡倉の人間である鎮、怯えている慎司を付き合わせることはない。そう晃生は合理的に判断したつもりだったが、鎮がバンッと勢いよく床をたたいた。
「お前なあ……危険は自分一人で背負えばいいとか思ってんじゃないだろうな?」
「そこまでは思ってないが、お前は見つかったら問題だし、慎司は怖い物は苦手だろ」
「得意ではないけど、そんなホラー映画は見れないだろ。みたいなテンションでいうことじゃないからね」
危険だって分かってる? と慎司が言葉なく問いかけてくる。
晃生はそれにはもちろんだと答えたい。けれど分かっているからこそ、一人で行った方がいいと晃生は判断しただけだった。
「安心しろ。必ず帰ってくる。俺が帰ってこなかった結果、慎司が生贄になるなんて未来は避ける」
「そういう問題じゃねえから! 不安すぎる! 俺も行くからな!」
鎮が頭をかきむしり、最後にビシリと晃生を指さした。その目は若干血走っていて、晃生は少し恐怖を覚えた。
「ぼ、僕も……!」
「悪いけど慎司は残っていてくれ。怖がってるっていうのを抜きにしても、特待生が2人ともちょこちょこ姿くらましてるのは怪しまれる」
自分たちは監視されている立場だ。そう突きつけられる言葉に晃生も慎司も言葉を失った。しかし、だからといっても自分だけ安全な場所でまっている。それも慎司としては納得いかなかったのだろう。でも。と食い下がろうとした慎司に鎮は目をあわせた。
「代わりに慎司には頼みたいことがある」
「頼みたいこと?」
「由香里と話してほしい」
本当に逃げることになるなら、情報は共有しておいた方がいい。そう告げる鎮に慎司は目を見開いて、それから頷いた。
怖いものから目をそらすのではなく、3人一緒に助かるために。そのためにそれぞれ出来ることをする。この2人は仲間なのだと晃生は強く感じた。それは鎮と慎司も同じだったようで慎司ははにかむように、鎮は恥ずかしそうに笑う。
「初めての家出は失敗したけど、今度は成功させてみせるから安心しろ!」
空気を変えようとしたのだろう、胸に手を置いて宣言する鎮に慎司は笑う。
「お前がいうとあんまり安心できないな」
「ここは空気読め」
半眼でにらみつけてくる鎮に晃生は少しだけ笑った。笑う晃生をみて鎮と慎司が意外そうな顔をする。けれどすぐに2人とも嬉しそうな笑みを浮かべた。その表情に晃生はくすぐったさを覚えたが悪くない気持ちだった。
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