お邪魔しただろうか?
鎮と由香里から借りたノートや参考書は大変役に立った。下宿の先輩たちからしても大変有用なものだったらしく、こういうのあるなら早く貸せよ。と鎮は先輩たちにもみくちゃにされていた。その姿はどことなく楽しそうで、その姿を晃生は視界に入れないようにした。
晃生と慎司以外も見たいということで食堂にノートや参考書を置くことになった。紛失をしないために使用は食堂のみ。自室で使いたい場合は必要な箇所をコピーするということが下宿会議で決まり、その日のうち早速コンビニに行くことになった。
晃生や慎司も自室でじっくりみたい部分があったため、一緒にコンビニいったのだが何故か鎮もついてきた。妙にそわそわしている鎮を見て、どうしたのかと聞けば鎮はコンビニにいくのが初めてらしい。今時そんな奴がいるのかと驚いたが、こう見えても鎮はお坊ちゃま。買い物に行くのは使用人。時折家族で出かける事があったとしても高級店ばかりで、コンビニ、ファミレスといった学生御用達の場所入ったことがないのだという。
すげぇ! コンビニって実在するんだな! と浮かれた発言をし、物珍しげに店内をぐるぐる徘徊し、なにこれ。とはしゃぐものだから、面倒くさくなった先輩にプリンを押しつけられていた。
下宿に帰ったらプッチンしてやるよ。という先輩の台詞に不思議そうな顔をした鎮を見るに、それがどういうものだかは分かっていないようだ。ただ未知のものを目の前にして目を輝かせる姿は小さな子供。自分より高身長な男には不釣り合いな態度に晃生は顔をしかめた。
慎司は先輩たちに鎮とは違う意味でもみくちゃにされていた。控えめで素直で純粋。そんな慎司の性格は、羽澤家という魔窟にいる先輩たちにとっては癒やしだったようだ。今年の後輩可愛いとなで繰り回されている。そして晃生は慎司と比べてかわいげがないとブーイングをもらった。
初日の気まずげな空気が消えた和やかな様子に、晃生は息を吐き出す。緊張の糸が緩んでしまいそうで慌てて引き結ぶ。慎司はいい。先輩たちもいい。だが自分はだめだと晃生は気持ちを引き締めた。
一人コンビニから出て息を吐き出す。夜空に瞬く星空を見上げながら白い病室を思い出す。冷たくなった両親を思い出す。忘れてはいけない。忘れるものか。そう繰り返して拳を握りしめる。
なにやってんだ。帰るぞ。という先輩たちの声を聞いて晃生は動き出した。
慎司は相変わらず先輩たちにもみくちゃにされているし、鎮はもらったプリンをじっと見つめている。なにが楽しいのか分からないが、その顔は子供みたいに輝いている。
和やかな空気にいたたまれなくなった。こんな所にいていいんだろうか。こんなことをしていていいんだろうか。そんな焦りに拳を一層強く握りしめた。
下宿に帰ると一緒に勉強しようという先輩の誘いを断って部屋に引きこもる。勉強したいところのコピーはとったし、ただ一人になりたかった。食堂の方から賑やかな声が聞こえてきて、舌打ちする。八つ当たりだとは分かっているが、今は誰にも邪魔されない静寂がほしかった。
数少ない私物から音楽プレイヤーを取り出しイヤホンをつける。流れてくるのは兄が好んで聞いていた洋楽。小さな頃は意味が分からなかった歌詞が今の晃生は理解出来る。晃生がもっと大きくなったら意味を教えてやるからなと笑っていた兄はいない。兄と一緒に曲を聴くことはもう出来ない。
その事実をかみしめて、晃生はシャーペンを走らせた。
***
勉強は大事だが晃生はそれ以外にもしなければいけないことがある。兄があんなことになった理由。それを探らなければいけない。晃生にとってはそちらが主だ。
しかしながら特待生である晃生は自由に敷地内を歩くわけにもいかなかった。黒い制服はどこを歩いていても目立つ。食堂にいても廊下を歩いていても、黒だとささやかれ、時には嘲笑される。気の休まる時などない。そして晃生に向けられる視線が途切れることもない。
なにかを探すにはとてもやりにくい空気だ。
放課後は勉強をするという名目で図書室に向かったが、そこでも黒は目立つ。白と同じ席に座らないというのが暗黙の了解なのか、白が座っている席に近づくだけで顔をしかめられる。誰彼かまわず喧嘩を売りたい性分でもないため、図書室でも人気のない方、人気のない方へと押しやられた。
静かになれる場所があるのはいいことだが、晃生が図書室にくる目的は勉強以上に調べ物だ。生徒目録や行事録。そうしたものがないかと探しに来ているのだが、図書室内にいる白のせいで捜し物が進まない。晃生が動くたびに視線が動く。周囲の視線を集めたまま生徒目録を確認するのは失策のような気がした。
鎮も由香里も管理人さんも、もしかしたら下宿の先輩たちもなにかを晃生と慎司に隠している。これだけの人が知っていると考えると、一年生の特待生以外はみんな知っていると考えた方が良さそうだ。そのなにかがおそらく兄の件と関係している。
晃生の兄が特待生だったと言った途端にうろたえた管理人さんを思い出すと、あまり目立たない方がいい気がした。晃生が神経質になっているだけかもしれないが、白からは晃生を探るような視線を感じる時がある。下手に動いて兄の手がかりを失うわけにはいかない。
放課後が無理なら授業をさぼって来るか。なんて考えながら、図書室の奥。人気がない方へと向かう。進んでいくと珍しく人影がある。視界に入った白色に晃生は戸惑った。なんでこんな所に白が。そう思ってしまった事に少し遅れて晃生は眉を寄せる。すっかりこの学園の空気になれしまったと気づいて。
「お邪魔しただろうか?」
立ち止まった晃生に気づいた白が声をかけてくる。柔らかな口調に晃生は再び戸惑った。白はみな黒をバカにしている。目があったら舌打ちしたり、ないもののように視線をそらしたり。それに慣れ始めていた晃生からすれば声をかけられただけで衝撃だ。
「……自分の場所というわけではないので……」
白に対しては敬語で接すべき。それを学んだ晃生は目を伏せながら答えた。白がここに居座っているならば、自分は退散すべきだろう。そう思ってきびすを返そうとしたところで声をかけられた。
「同じ1年生なんだし、敬語はいらない。勉強するつもりだったんだろう。遠慮せずに勉強してくれ、私は本を読みたいだけだから」
同席の誘いに晃生は驚く。今まで出会った白だったら確実に、晃生が出て行けというか、不快だから自分が出て行くかの二択だ。同じ空間ですごそうと提案されるとは思わなかった晃生は驚いて、まじまじと相手を見た。
そこでやっと気づく。彼の事は見覚えがあった。
「羽澤……響……」
入学式にあまり関わり合いにならない方がいいと忠告されたことを思い出す。香川に言われたこともあったが、その後学園の空気を知って、たしかに関わらない方がいい相手なのだろうと思った。
御酒草学園の中にははっきりとしたヒエラルキーが存在する。最下層にいるのが特待生。その上二位置するのが岡倉、次が養子、最上位が羽澤家。しかしその羽澤家の中でも分家、本家という階級。そのほかにもよそ者である晃生には分からないような細かい格差が存在する。
その中で御酒草学園のヒエラルキーの頂点に存在するのが当主の息子であり、直系の血筋である羽澤響だ。当主は響の他にも3人の息子がいるが3人とも高校を卒業して大学生、社会人へと立場を変えている。年の離れた上の兄たちに晃生が会う機会などないだろうから、現状は一番対応を気をつけなければいけない人物は響である。
自分の立場を考えるならば、なにかしらの理由をつけてその場を離れるのが一番だ。羽澤直系の扱いというのは白組の中でも難しいと聞く。後継者争いが水面下で行われているという噂が御酒草学園に入学したての晃生の耳に入るくらいだ。内情はもっと混沌としてるに違いない。
関わらない方がいいに決まっている。ただでさえ特待生の立場は弱い。ここで響に嫌われでもしたら目も当てられない。そう冷静な部分は告げる。しかし、一方ではいうのだ。
これはチャンスなのではないか。
「……お言葉に甘えて失礼しても?」
そう声をかけると響は読んでいた本から顔を上げ、目を瞬かせた。自分で言っておいて、晃生が頷くとは思っていなかったのだろう。晃生をじっと見上げる表情は幼く見える。それから嬉しそうに微笑んで、どうぞ。という声は穏やかで、それだけで響が優しい性格なのが分かった。
それだけに少しだけ胸が苦しくなるが、その気持ちを振り払う。
椅子を引いて向かい合うように座ると響は嬉しそうに微笑んだ。無垢な赤ん坊のような表情に晃生は居心地が悪くなる。本を読むといっていたのに、にこにこと笑みを浮かべて晃生を見ているのも気になる。
「あの……」
「すまない。断れることが多かったから、受け入れてもらえるのが嬉しくてね」
ふふっと男にしては上品な笑みを浮かべた響は晃生とは別の生き物に見えた。その姿を見て岡倉が羽澤を神聖視する意味が少しだけ分かる。
晃生は羽澤の直系には響しか会ったことはないが、少し話して正面から顔を合わせただけで根本的に違うと感じた。同じ生き物の姿をした別の存在。
神と足下にひざまずく人間。それほどの差があるといった鎮の言葉は間違いではなく事実なのだ。これほどまでに神聖な存在を晃生は初めて見た。
汚してはいけない。不用意に触れてはいけない。けれど目をそらすことは許されない。そうした魅了を持った存在。
羽澤という一族が長きに渡り頂点に立ち、愛されると同時に畏怖されてきた理由はここにあるのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます