君はバカにされているのか?
じっと響を見てしまったことに気づいて晃生は目をそらす。このまま見続けるのはよくない。他者を惑わす魅了を持った伝説上の生き物はいくつかいるが、羽澤の場合は実在する脅威であると身をもって知ってしまった。
立ち去らなかったことに後悔しそうになり、晃生は小さく息を吐く。魅了されている場合ではない。晃生が御酒草学園に入学したのは兄のことを知るため。羽澤家に陶酔するためではなく、羽澤家を糾弾するためだ。お前らのせいで俺の家族は、人生は崩壊したのだと突きつけて、真実を知るためだ。
そのために響と親しくなるのはなにかと便利に違いない。本家直系の彼は晃生よりも多くのことを知っている。一般生徒が知らないような。もしかしたら兄のことだって知っているかもしれない。
けれど、問題はどうやって話を切り出すか。他の白のようにこちらをバカにした態度をとってくれればやりやすいのだが、響の態度はあくまで温和。黒だとさげすまれる特待生に対しても平等に接する態度から見ると、こんな相手をだますのはと戸惑いが浮かぶ。だが、そうしなければ真実は分からない。
対立する感情にどうしたものかと悩みつつ、その場をしのぐために持ってきたノート、参考書を広げる。すると響が身を乗り出すのが視界の端に移った。
「……どうかしましたか?」
突然のことに驚いたが、あくまで平静なフリをして問いかける。響は何もこたえずにじっと晃生が広げたノートと参考書を見つめて、首をかしげた。
「B組はいまそこをやっているのか?」
白が所属するA組とその他が所属するB組は授業内容が違う。それは教師から聞いた。A組はもっと難しい問題をといているのに、こんなことも分からないのか。という嘲りと共に。
鎮に詳しく聞けば、A組はB組よりもさらに細かく難しい内容を勉強しているのだという。スピードもB組より上で、あれについて行けるのは羽澤様ぐらいだ。と真顔でいっていたから、羽澤と共に生きてきた岡倉から見ても引くようなものなのだろう。
B組ですらついて行けてない晃生と慎司は、これより上があるのかと固まった。晃生は眉間のしわを深くしたし、慎司は青くなった。クラスまで分けるとは差別にもほどがあると思ったが、純粋に学力差の違いもあったのだとそのとき初めて気づいた。
同時に羽澤家という存在がいかに規格外なのかということも。
けれど、晃生がいま勉強しているのはB組の内容ですらない。鎮と由香里に借りた中等部の内容である。まずはそこから理解しないと授業についていけないと悟った慎司と晃生は地道に中等部、時には初等部の内容まで遡ってコツコツ知識を詰め込んでいた。本当になにから手をつければいいか分からなかった時よりは、鎮と由香里のノートがあるだけましなのだが、気が遠くなる作業なのには変わりない。
「いえ、これは中等部の授業ノートをクラスメイトから借りまして……」
「……何で中等部のものを?」
「前の中学で習ったものと、御酒草学園で習うものはまるで違うことがわかりまして」
晃生の言葉に響は目を瞬かせた。そんなことがあるのだろうか。そういう疑問を隠さない表情を見て、響は羽澤から出たことがないのだと晃生は思う。
晃生からみて羽澤という家はおかしい。御酒草学園だけ見てもここまで徹底して階級をわけるのもおかしいし、羽澤の外と中で学習内容の違いに差がありすぎる。国が決めた方針など羽澤家には関係ない。そう喧嘩をうっているのかと思うほどだ。
「具体的にいうと、どのくらい……?」
好奇心にかられたのか響の目が輝く。そこに興味を持つのかと晃生は戸惑いつつ、中学で習った範囲を説明する。すると響は目を見開いて「そんなの初歩的すぎないか?」と驚いた。
初歩的もなにも、羽澤家以外の中学生は似たり寄ったりだろう。進学校といえど、御酒草学園ほど極端に授業内容とスピードが違う場所などないに違いない。羽澤家が一般の学校に進学しない理由については、一族贔屓だの一般人をバカにしているなど、色々と言われていたが、単純に羽澤とそれ以外では学習内容に差がありすぎるのだ。
一般的な中学、高校の授業内容など羽澤の人間にとっては足し算、引き算を習うのと同レベルの初歩なのだろう。わざわざ外部の学校に数年通わせ、覚えてきたのが足し算、引き算。ついでにかけ算と割り算レベルなら、一族内で教育した方が早い。そういう結論に至るのも分かる。
羽澤の人間はみな優秀で一般人から抜きん出ているといわれている。その理由も幼い頃から繰り返される教育による差なのだとここにきて気づいた。一般人から見たら英才教育が、羽澤からすれば普通なのだ。
「特待生がバカにされる理由がわかりました……」
羽澤の人間からすれば特待生は人の言葉をしゃべる猿くらいの知能。人の言葉をしゃべる特異性をもっていようと、猿は猿。頭がいい、面白いと好奇の視線でみたところで同じ人間だとは認識できない。羽澤の人間は性格が悪いと思っていたが、それに加えて環境差というものが大きいのだと気づかされ、なんともいえない気持ちになった。
「君はバカにされているのか?」
改めて突きつけられた差異に、ここまでくるとどうにもならないと半ば諦めの境地でいると響が驚いた顔をする。純粋に意外だと告げる表情に晃生は面食らった。
「バカにされるような人間ではないだろう」
「……初めてあったのに、やけにきっぱりいいますね」
「人を見る目には自信があるんだ」
響は笑う。その笑顔は作り物には見えない。これが演技だとしたら俳優になるべきだと思うが、羽澤家というだけで演技の一つも簡単にやってのけそうだ。どちらの可能性も捨てきれず晃生は苦笑を浮かべるほかなかった。
「ということは、授業についていくのは大変だろう。どうにもうちは外部の人間に厳しいからな」
響は眉を寄せる。厳しいという表現はだいぶ控えめではあるが、よくない傾向だとは思っているのだろう。そんな風に思う人間が羽澤内、しかも当主の息子であることが意外で晃生は目を見開いた。
そんな晃生に気づかず響は広げられた晃生のノートと参考書を見つめる。何かを考えているらしい静かな面立ちに落ち着かない気持ちになってきた頃、なにかをひらめいた。そんな明るい表情で響が顔を上げた。
「そうだ! 私が勉強を教えよう!」
「はい!?」
予想外すぎる言葉に晃生は声をあげる。しかし響はいかにも名案だという顔で、うんうんと頷いていた。
「人に教えるのは得意なんだ。私自身の復習にもなる。私は羽澤の外に出たことがない。外の話を色々と聞いてみたいと思っていたから、ちょうどいい」
「いや、ちょっとまて……!」
思わず素でストップをかけると、響が眉を寄せる。ダメか? と小首をかしげる姿は同い年の男のはずなのに幼く見える。落ち着いた雰囲気、優しげな語り口から落ち着いて冷静な人物だと思っていたのだが、もしかしたら天然なのだろうか。
「特待生と関わるのはよくないのでは……?」
「そんな校則は存在しない」
響はにこりと笑う。問題は校則の有無ではないだろう。そう思ったが、なぜだか言葉が出てこない。
これはチャンスである。晃生は最初から響に近づきたかった。あわよくば兄について知っているか探りを入れたかった。状況としては晃生にとって願ってもないことなのだが、いいのか? という疑問が湧き上がるのは何故だろう。
響に視線を合わせるとやけに楽しげに笑っている。初めて出来た友達にはしゃぐ子供のようだった。しかしこれは演技で、もしかしたら何かの罠なのではないか。そんな不安が晃生の中に湧き上がる。
だが、罠だとしたそれこそチャンスなのかもしれない。わざわざ特待生に罠を仕掛ける理由。それを知ることが出来れば、兄の真相にだって近づけるのではないか。
「では……お願いしても?」
「むしろ私からお願いしたい。私の復習のために協力してほしい」
そういって手を差し出す響は晴れやかで、裏なんてないように見えた。だからこそ不自然にも思えた。今まで散々見てきた羽澤の闇。そんなもの一切関係ないように、一人だけ純粋に見える響という存在が。
それでも晃生は手を取った。この先になにが待っていようと、羽澤家に関わってしまった以上、もう後に引くことは出来ない。そう覚悟を決めた。
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