第三話 下宿

……ここは俺の部屋なんだが……

「あっちが食堂で、ここは洗濯場。共同で使える物干しは上にあるから後で案内するな」


 玄関での重苦しい空気はどこへやら。鎮はにこにこ笑いながら下宿の中を案内する。体験談も交えた説明はここで暮らしているかのようだが、暮らしているのか? と聞けば、そんなわけないだろ。と笑われた。ではなぜ、そんなに詳しい。そう突っ込みを入れるのを晃生は諦めて、ただ説明を流し聞く。


 由香里は急用を思い出したと言って帰った。その顔は青く、声も震えていた。なんてわかりやすい嘘だろうと晃生は思ったが、慎司は素直に由香里の身を案じていた。あまりに純粋すぎる慎司にあきれていると、管理人と目があう。逃げるタイミングを見失った。そう物語る表情に晃生は目を細める。


 問い詰めたら何か聞けるだろうか。口を開こうとしたとたん、案内は俺がやるから休んでて。と管理人を奥へと引っ込めたのは鎮だった。

 ほっとした顔をした管理人は取り繕ったような笑顔を浮かべて、後はよろしくね。とすぐさま奥へと消える。職務放棄にもほどがあるだろ。と突っ込むより先に、鎮が「俺、よくここ遊びにきてるから詳しいんだ」と笑った。その顔は教室で初めて見た笑顔よりもだいぶ嘘くさく、なにか隠しているのは明白だった。


 しかし、それを指摘する前に鎮は慎司と晃生の手を引いて歩き出す。男に引っ張られるというのは屈辱だったが、鎮は晃生より背が高い。見た目はチャラチャラしているが鍛えているのか思ったよりも体つきもがっしりしていた。

 振り払うのは無理だ。そう気づいた晃生は諦めて鎮の案内に耳を傾ける。場所だけでなく細かい使い方やルールまで教えてくれるのは素直に認めたくはないがありがたい。


「女子棟は鍵別だから、忍び込もうとしても無駄だからな」

「誰がするか」


 時々思い出したように鎮は軽口をいった。ふざけていないとダメな病でも患っているのだろうか。それともわざとか。

 なんとなくだが思考をかき回されている気がする。晃生が考え事を始めたり、行動を起こそうとするのを邪魔しているような。

 考えすぎかと晃生は鎮を見た。聞いてもいない下宿生のエピソードを語る鎮は笑っている。明るくノリのよい男子高校生。晃生とは縁のないタイプ。


「そいつら新入生?」


 鎮を観察していると前方から声が聞こえた。

 鎮の声が部屋の中まで聞こえたのか、とあるドアから数人の男が顔をだし、こちらの様子をうかがっていた。ラフな格好にくつろいだ様子、ここで暮らす下宿生に間違いない。となれば先輩だ。

 晃生が挨拶すると、続けて慎司も頭を下げた。それに比べて鎮は気安い様子で先輩たちに近づいていく。


「案内うけたまわりましたー。高等部1年B組岡倉鎮でーす」


 ビシリと軍人のように敬礼する鎮を見て、先輩たちが知ってる。と笑った。お前の自己紹介とか今更どうでもいい。と笑いながら鎮を小突く姿はどこからどう見ても仲のいい先輩と後輩だ。

 下宿にいるのは晃生と同じ特待生。羽澤家の関係者からすれば部外者。それなのに何故こんなにもなじんでいるのか。やっぱりお前ここにすんでいるのでは? と晃生は何度目かになる混乱に眉を寄せる。


「ていうか、なんでお前が案内してんの? 管理人さんは?」


 先輩たちのもっともな疑問に鎮は「管理人さんも忙しそうだったのでー」と明るく答えた。晃生には忙しそうにはまるで見えなかったし、毎年のことなのだからこの日に新入生が来ることも分かっているはずだ。予定を空けていなかったとも思えない。

 それでも先輩たちは少しの間を開けてから、そうか。とつぶやいた。その表情が少しだけ曇って見えたのは気のせいだろうか。


「俺、ここに半分すんでるといっても過言じゃないくらい出入りしてるんで、案内はバッチリですよ」

「その状況がそもそも謎なんだけどな」

「お前、今日まで高等部の生徒ですらなかったのに、なんで高等部の下宿に入り浸る事態になってんだよ」

「なんででしょうねー?」


 晃生の疑問を先輩たちが突っ込んでくれる。やっと疑問が解消されるかと思えば、鎮はしまりのない笑顔を浮かべて流した。わざとらしいくらいに明るいそれは、これ以上話す気はないという拒絶だ。先輩がそれを察したのか、興味がなかったのかは知らないが、あきれた顔をして晃生と慎司へと向き直る。


「同じ特待生としてこれからよろしく。何かあったら気軽に聞いてくれ」


 そういった先輩の表情はなぜだか悲しそうだった。笑顔を作ろうとして失敗した。そんな様子になんで。と疑問がこぼれそうになる。けれどその言葉が口にされることはなかった。へらへらと笑っていた鎮が突然晃生と慎司の手を取って歩き出したのだ。


 えっ。と声をあげる慎司にお構いなしに、じゃあ、部屋に案内するのでー。と先輩たちに笑いかけながら、ずんずんと歩く鎮。おいっ。と晃生が声をかけても、お前の部屋はこっち。と鎮は笑いながら歩き続ける。


 本日二度目。こうなるとわざとしか思えない。鎮を含めた全員がなにかを隠している。だから鎮は晃生に管理人や先輩を問い詰めてほしくないのだ。

 気軽に話せる相手と今日会ったばかりの男では付き合いの長い方を優先するのは当然だ。となれば鎮は管理人や先輩を気遣っていることになる。なぜという答えが出ない疑問が膨れ上がる。

 相談したいのだが同じ状況である慎司は巡るましく変わる展開について行けてないらしく、目を白黒させている。完全に鎮のペースだ。


 振り返って先輩たちを見れば、立ったまま晃生たちを見つめていた。その表情は、どう見ても悲しみのこもったもの。

 初対面の下級生に向ける感情としては、どう考えてもおかしい。


 視界に入った黒い制服。特待生であり部外者であるという証明。そう思っていたが、もっと別の意味があるかもしれない。そう晃生は考え始めたが、真実を突き止めるには情報が足りなすぎる。


「こっちが晃生で、あっちが慎司な」


 鎮は突き当たりまで晃生たちを引っ張っていくと、向かいあう部屋をそれぞれ指さした。すでに部屋のプレートには名前が入っており、荷物もあるという補足も入る。


「一人、一部屋なんだな」

「うちの特待生になれる奴なんてそういないから、部屋も余ってんだよなー。おかげで俺が泊まりに来れるからいいんだけど」

「泊まりに来てるの?」


 慎司の言葉に鎮はにこりと笑う。半分すんでいるというのは本当らしい。しかも高等部に入学する前からとなると、だいぶ自由な性格だ。

 岡倉家といえば真面目で堅物。一歩引いたところで羽澤家に仕える忠誠心をもつ一族。それが一般的なイメージだが鎮の場合は違うらしい。一歩引くどころか前を堂々と歩いて、そのまま姿をくらましそうだ。


「部屋が余ってるなら、学生以外も募集すればいいのに」


 慎司の言葉はもっともだ。古くはあるが造り自体は立派なものだし広さもある。何よりも羽澤が管理する下宿だ。たとえ下宿するだけでも箔がつくと入居を希望する人間はいるに違いない。


「ないない。羽澤家は秘密主義だから」


 鎮はケラケラ笑うと勝手に晃生の部屋のドアをあける。晃生がなにかをいう前にお邪魔しまーすと部屋の中に入った鎮は、備え付けられたベッドに勝手に腰を下ろす。


「ほら、慎司も」

「……ここは俺の部屋なんだが……」

「別にいいだろ。荷ほどきしてないから、なにもないし」


 そういうと鎮はベッドに横になる。自由人にもほどがあるだろと晃生が睨んでいると、慎司が困った顔で晃生と鎮を見比べていた。


「ほら、晃生がはいってこないから慎司こまってるだろー」

「どう見ても自由すぎるお前に困ってるだろ」


 晃生は舌打ちすると部屋の中に入る。入居の緊張感なんてあったものじゃない。

 動かない慎司に振り返り、入らないのか? と声をかけた。すぐに部屋に戻って荷ほどきするなら止めないが、なんとなく慎司は一人は心細いのではないかと思った。

 晃生の予想は当たったのか、声をかけられた慎司は心なしか表情をほころばせる。おそるおそるといった様子で部屋に入ってくる姿を見ていると放っておけない気持ちになった。兄から見たら自分はこんな感じだったのだろうか。そう考えたら少しだけ胸が痛んだ。


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